1983年11月5日土曜日に “くじら” を初めて観ました。
“くじら” と言っても、海を泳ぐアレではありません。さほど大きな成功を作れなかったために、昔は「ムーンライダーズのくじらさん(武川雅寛)?」とよく訊かれましたし、今もネット検索すると、動物のくじら、声優さん、ものまねタレントさんしかヒットせず、“くじら(バンド)” とか “Qujila” で探すとやっと出てくる、という存在なのです。
1985年にEPICソニーよりデビュー、7枚のアルバムを発表し、95年の契約終了後も、オリジナルメンバーの杉林恭雄君を中心に活動を続け、今も現役な、ロックバンドです。私はEPIC時代に音楽ディレクターとして関わっていました。
その “くじら” を初めて観た日の話なのですが、場所は原宿の「クロコダイル」という古ーくからあるライブハウス(1977年の夏の終わりスタートだそうです…)。
いくつかバンドが出るオムニバスライブで、そこに私たちも “GONTITI” と、もう一組、“スクーターズ” というグループをブッキングしていたのです。
ここでまた説明しなければなりませんが、“スクーターズ”、ご存知でしょうか。80年代初頭に「東京モータウンサウンド」を標榜し、実力はともかくスタイルを重視した男女混成大所帯グループ。デザイン関係の人たちが集まってたのかな? あの信藤三雄さんがギター兼リーダーだったこともあり、今や軽く伝説化していますね。
で、その大所帯が一旦解散した後、サックスのルーシーという女子だけがまだ続けたいってことで、どういう成り行きだったかまったく憶えてないのですが、私が関わるようになって、固定メンバーは女性3人でいいやなんてことで、あと2人、女子を連れてきてくっつけたんです。
ひとりは、1979年にアイドルとしてEPICソニーからデビューしながら、あまり好成績を残せず、少々フェイドアウト気味だった大滝裕子さん。その後、“Amazons” として有名ですね。もうひとりはその頃歌手志望でその辺にいた山下弥生さん。90年代半ばに“Homeless Heart” という男女ユニットで、これもEPICから何枚かアルバムをリリースします。
そんな3人組で、オリジナルも作りつつ、モータウンの曲とかをレパートリーにして、新宿にあったツバキハウスというディスコでライブをやったりしていたのです。
ただそれ以上発展することはなく、私もなんだか中途半端だったのですが、何回かライブをやったのみで自然解散というかフェイドアウトしてしまい、この女子トリオ時代は “スクーターズ” の歴史から抹殺されております。信藤さんも恐らくご存知ないんじゃないかな。その頃、私はまだ信藤さんと出会ってもなくて、かなり後に仕事はさせていただくのですが、その時もこれについては触れずじまいでした(笑)。
寄り道が長くなりましたが、ともかくそのオムニバスライブに、それまで名前も知らなかった バンド、“くじら” が登場したのです。
始まってすぐに、私は彼らのユニークさに度肝を抜かれました。彼らはなんとマイクを使わないで、生声で唄うのでした。3人組で、ひとりはリードボーカルと生ギター、ひとりはとても小さなバスドラムと空き缶(笑)を並べたタムからなるドラムセットをブラシで叩き、ひとりはヘフナーのベースをワイヤレスで飛ばして小さなアンプで小さな音を鳴らします。つまり小さなベーアン以外は電気をまったく使わないのです。
ふだん、うるさいくらいの音量で、ギターを掻き鳴らし、シャウトするライブに慣れている耳には最初、え?! と思うくらい音量は小さい。だけどしばらくすると馴染んできて、そんな小さな音量でもダイナミクスをちゃんと感じられるようになって。
ドラマーとベーシストも唄います。どの曲もコーラスはふんだんに入り、使い方に工夫がありました。そしてマイクを使わないからこそできることですが、彼らはステージ・客席お構いなしに自由に動き回り(ドラマーもセットを離れてフライパンかなんか持って)、3人が大きな三角形を作りながら唄い、三角形の中にいる観客は、三方から発せられた声が作る立体ハーモニーに包まれるという、なかなか得難い状況にまみえるのでした。
その音響的なユニークさに私はもう感動してしまったのですが、加えて楽曲も独創的かつ耳馴染みのよいものでした。歌詞はシュールで文芸的で、どこか見知らぬ世界へ連れて行かれそうでした。
このバンドは私が世に出さなければならない…… 何か確信めいたものが私の心に芽生えました。
その日はたぶん挨拶程度しか言葉は交わさなかったと記憶しますが、
「PAなしってすごい発想だね」
「“エコノポップ” って呼んでください(笑)」
てな会話があったような気もします。確信はやがて現実になるのですが、それはまだ2年も先のことです。
翌1984年から “くじら” は新宿ロフト(もちろん現在の場所ではありません)で月1回、『カッパ音楽会』と題した定期ライブを展開します。みるみるお客さんは増えて、地上への階段にまで人がぎっしりという状態になっていきます。
それにほぼ毎回足を運びながら、私は渡辺音楽出版を辞め、EPICソニーに入社する、という人生の転換期を迎えることになるのであります。
2018.01.26
YouTube / tomorobin
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