7月7日

無敵のダイヤモンド・デイヴ 「ヤンキー・ローズ」一発で、僕はヤラれた

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デイヴィッド・リー・ロスのアルバム「イート・エム・アンド・スマイル」がリリースされた日
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photo:Warner Music Japan  

ヴァン・ヘイレンのデイヴィッド・リー・ロスが10月10日に65回目のバースデイを迎えた。流石に80年代の見てくれから随分変貌したけれど、煌びやかな天性のロックスターとしてのオーラには、いささかの陰りもない。

僕がリアルタイムで初めて買ったヴァン・ヘイレンの音源は、79年の2作目『伝説の爆撃機』だったが、裏ジャケに写る豪快な開脚ジャンプを決めたデイヴを見て、一体どんな身体能力を持っているんだ!と子供心に驚いた記憶がある。そんな40年も前の鮮烈なイメージが今も残ったままだ。

それにしても、“ダイヤモンド・デイヴ” とは実に上手く名づけたものだ。その名の通り、デイヴは群雄割拠の80sハードロックシーンの中で、ダイヤモンドの如く輝いていた。その勢いはヴァン・ヘイレンというフィールドから “ジャンプ” し、85年のソロEP『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』へと繋がっていく。そこでは、ロックにとどまらない幅広いジャンルのカヴァー曲を通して、自らの趣味やルーツをさらけ出し、エンターテインメントの世界へ僕たちを誘ってくれた。

そんなソロ活動を経て、ヴァン・ヘイレンの次作を楽しみにしていた矢先に勃発したまさかの脱退劇。僕は言いようのないショックを受けた。それは、相性抜群のデイヴとエディが生み出す、理屈では語れないケミストリーこそが、ヴァン・ヘイレンの魅力の核だと思っていたからだ。

いったいデイヴとヴァン・ヘイレンは、どうなってしまうのか? 固唾を呑んで動向を見守る中で、86年3月に先陣をきって届けられたのが、サミー・ヘイガーをヴォーカルに迎えた新生ヴァン・ヘイレンのアルバム『5150』だった。

今でこそ愛聴しているが、デイヴ派の僕にとってはその時、違和感の塊だった、当たり前だが声もキーも全く違う。ソロ時代のサミーは好きなヴォーカリストだったのに、デイヴのイメージが濃すぎてどうしても馴染めないのだ。

全体的に何だか小綺麗になってしまったサウンドも、僕は受け入れられずにいた。猥雑で破天荒、血湧き肉躍るクレイジーなヴァン・ヘイレン流ハードロックは影を潜めて、別バンドのようになってしまったのだから…。

それでも、売れるための作品としては完璧と思える『5150』は、ヴァン・ヘイレンの存在を一般層にまで浸透させて、結果的に初の全米1位まで獲得。デイヴの脱退は正解だったといわれても仕方がない状況がつくられてしまう。

このヴァン・ヘイレンの大成功に対してデイヴはどう反応するのか?その回答として4ヶ月後に発売されたのが、初のソロアルバム、『イート・エム・アンド・スマイル』だった。

参加メンバーは、アルカトラスで完璧なギターテクを披露したスティーヴ・ヴァイと、タラスでの超絶なベースプレイが話題を呼んだビリー・シーン。ドラムに名手グレッグ・ビソネット、そして、プロデュースが初期ヴァン・ヘイレンを創ったテッド・テンプルマンとくれば、いやがおうにも期待が高まった。

奇抜なペインティングを施したデイヴが、全面を飾るジャケットにも度肝を抜かされた。80年代の数多のロックアルバムの中でも、これほど自己主張の激しいヴィジュアルはないだろう。そういえば予約した LP を取りに行ったとき、レジでなんだか恥ずかしかったことを思い出す。

なんと言ってもいちばんの驚きは、実際に音を聴いた時だった。ヴァイがまるで人間がしゃべるようにギターを鳴らすイントロから始まる「ヤンキー・ローズ」一発で、僕はヤラれた。ノー天気なまでにカラッと明るいアメリカンハードロックの真骨頂。本家よりもずっとヴァン・ヘイレンらしくて最高じゃないか!

歌のバックでもお構いなしに、凄まじい弦楽器陣のユニゾンプレイが縦横無尽に駆け巡り、ドラムも含めて演奏の緊張感は半端ない。けれども、バカテクのバック陣がいくら暴れようと、デイヴの歌唱は余裕の存在感で、どんな楽曲も自分色に染め上げた。

最後まで飽きさせないカラフルでご機嫌なハードロックナンバーがズラリと並び、まさに会心作となった『イート・エム・アンド・スマイル』は、結果的に全米4位の大ヒットを記録。ダイヤモンド・デイヴここにあり!をシーンに知らしめたのだった。

80年代の真っ只中に凌ぎを削りあった『5150』 vs 『イート・エム・アンド・スマイル』。チャートやセールスではヴァン・ヘイレンが上でも、僕のジャッジはデイヴの “KO 勝ち!” だった。同じように感じた古くからのヴァン・ヘイレンのファンもきっと多かったに違いない。

88年にはソロで来日。大阪城ホールでの公演を僕は目撃したが、サーフィンボードに乗って、観客の真上の通過するバカバカしい演出を始め、最高のエンターテインメントで存分に楽しませてくれた。ヴァン・ヘイレンの楽曲も披露したが、これがヴァン・ヘイレンとしてのライヴだったら、と正直思ったのも事実だ。

その願いは、長い長いストーリーを経て、遂にデイヴが完全復活し、2013年の東京ドーム公演で叶うことになるとは、夢にも思わなかった。ヴァン・ヘイレンも、特にデイヴも、90年代以降は低迷期といえる時を過ごしただけに、最終的にはお互いの必要性を認識したのではないだろうか。

もし、『1984』後にデイヴが脱退していなかったら、きっと次作は『イート・エム・アンド・スマイル』のような作風のアルバムになった気がしてならない。それだけに、ヴァン・ヘイレンがあのアルバムの楽曲を演奏しても、何の違和感も感じないだろう。逆に、『5150』の楽曲を歌うデイヴは想像できない。「ヴァン・ヘイレンらしさ」をあの時継承していたのは、デイヴの方だったことに改めて気付かされるのだ。

『イート・エム・アンド・スマイル』は、『ソンリサ・サルバヘ』というタイトルのスペイン語ヴァージョンもリリースされたが、これがなかなかオツな味わいで楽しめる逸品だ。そういえば、デイヴは、2012年頃に数ヶ月ほどお忍びで日本に住んでいたほどの日本通なので、もしも日本語ヴァージョンならどんな風になるだろうか。そんな妄想をしてみるのも楽しい。

2019.10.10
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  YouTube / TheRothShow
 

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カタリベ
1968年生まれ
中塚一晶
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