7月10日

エリック・クラプトン&フレンズ、たった4人のライヴ・アット・モントルー

33
0
 
 この日何の日? 
エリック・クラプトン&フレンズがモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1986年のコラム 
ランDMCから教わった「ウォーク・ディス・ウェイ」は自業自得のお説教

1986年の桑田佳祐と佐野元春、30歳になった2人のロックミュージシャン

無敵のダイヤモンド・デイヴ 「ヤンキー・ローズ」一発で、僕はヤラれた

1986年の秋元康 ― 小泉今日子「夜明けのMEW」にみる ほとばしる才気

おニャン子クラブ「夏休みは終わらない」蘇る夏の風景と夕方5時の歌声

夜空を見上げる小泉今日子「夜明けのMEW」から溢れ出る少女感

もっとみる≫




エリック・クラプトン、時代と共に大きく変化した音楽性


エリック・クラプトンという人は、とても掴みどころのないミュージシャンだ。もし音楽ファンに「エリック・クラプトンと言えば?」と質問を投げかけたとしたら、回答者の世代や音楽を聴き始めた時期によって、答えが全く違ってくるだろう。なぜなら、彼の音楽性は、時代と共に大きく変化してきたからだ。

僕はこれまでにリマインダーの中で何度も指摘してきたが、クラプトンには “その時代に最も流行っている音” を採り入れようとする傾向がある。良く言えば “流行に敏感”、悪く言えば “節操がない”。お陰で、彼のキャリアには1960年代、70年代、90年代と3度のピークが訪れた。こんなのは、数いる大御所ミュージシャンの中でも彼だけではないだろうか。そこで、その歴史を簡単におさらいしてみると――

【1960年代】クリームで一世を風靡、ペインテッドSG弾きまくり!


いくつものバンドを渡り歩く中、特にクリーム時代には「サンシャイン・ラヴ(Sunshine Of Your Love)」や「ホワイト・ルーム」がヒットし、一世を風靡した。古いファンなら、彼がペインテッドSG(サイケデリックに塗りたくったギブソンのギター)を弾きまくる映像を観たことがあるのではないか。ザ・ビートルズ「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のギターソロを弾いたのも、この頃だ。

【1970年代】肩の力が抜けたレイドバック・サウンド!


拠点を米国に移し、ギターをフェンダーのストラトキャスターに持ち替えた末に生まれたのが、名曲「いとしのレイラ(Layla)」である。その後、薬物中毒による中断期間を経て、ソロ活動を開始。アルバム『461オーシャン・ブールヴァード』とボブ・マーリーのカバー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」で、自身初の全米No.1を獲得した。クリーム時代とは打って変わった、ゆる~く肩の力が抜けたサウンドは “レイドバック(Laid-Back)” と呼ばれた。

【1990年代】大ヒットに恵まれグラミー主要3部門独占!


92年、わずか4歳半で命を落とした息子のために書いた「ティアーズ・イン・ヘヴン」と、この曲を収録したライブアルバム『アンプラグド~アコースティック・クラプトン』が大ヒット、グラミー賞の主要3部門を独占した。96年には、ベイビーフェイスと組んだ「チェンジ・ザ・ワールド」がヒットし、グラミー賞の最優秀レコード(Record of the Year)、最優秀楽曲(Song of the Year)を受賞。

80年代のクラプトン、フィル・コリンズとのコラボに注目!


…とまぁ、こんな感じで、多くの音楽ファンの彼に対するイメージは、このどれかに当てはまるのではないかと思う。とすると、次に「いったいクラプトンは80年代には何をやっていたのか?」という疑問が湧いてくるはずだ。

確かに80年代は大ヒットこそなかったが、コンスタントに “中ヒット” を飛ばしていた。そんな中でトピックがあるとしたら、やはりフィル・コリンズとのコラボレーションだろう。

クラプトンは、85年リリースのアルバム『ビハインド・ザ・サン』と翌86年の『オーガスト』で、プロデューサーにフィル・コリンズを起用した。この頃が、彼のキャリアの中で、最もポップな音作りを指向した時期ではないかと思う。それゆえ、正直なところ、僕はこの2枚のアルバムがそんなに好きではない。だが、この時期に行われたライブは本当に素晴らしく、今でも何度も聴き(観)直している。

クリーム解散以降、クラプトンのライブと言えば、いつも大人数がステージに上がっている印象があった。チャリティー・コンサートの類に数多く出演しているので、そのイメージが強いのかもしれない。でも、僕は少数のプレーヤーによる “まるで果し合いをしているかのような” 緊張感ある演奏を観るのが好きなので、少々残念に思っていた。

ところが、である。86年7月、クラプトンはフィル・コリンズ(ドラム)と、この時期からレコーディングに参加するようになったネイザン・イースト(ベース)とグレッグ・フィリンゲインズ(キーボード)を加えた、たった4人でステージに上がったのだった。記録によると、6回しか演っていないのだが、とにかくその演奏が凄かった。

必見必聴! モントルー・ジャズ・フェスティバルのライブ映像


幸運にも6回のライブのうち2回分の動画が公開されている(7月15日のバーミンガムでの公演が87年にVHSでリリース、7月10日のモントルーでの公演が2006年にDVDでリリースされた)ので、今でも僕たちはその凄さを体感することができる。一部を除いてほぼ4人だけの生歌生演奏なので、各人の技術の高さが嫌と言うほど伝わってくるのだ。

80年代に入って、ライブパフォーマンスにも様々なテクノロジーが持ち込まれるようになり、プレーヤーの肉体だけでは困難な演奏も容易に再現できるようになったが、そんな時代の流れに抗うかのように、自分の身ひとつで勝負している彼らの潔さを見て、僕はなんだかとても嬉しかったのを覚えている。

それに、クラプトンが「いとしのレイラ」のギターをひとりで弾いているのはかなり珍しいし(サポートギタリストがいないので)、当時バカ売れしていたフィル・コリンズが純粋にドラマーとして出演しているのを観られるのも有難い。全体的にフュージョンバンドに近い印象だが、とにかく彼らの演奏に注目したい人には最高のライブである。


Billboard Chart&Official Charts
■ Sunshine Of Your Love / Cream(1968年8月31日 全米5位、1968年10月29日 全英25位)
■ White Room / Cream(1968年11月9日 全米6位、1969年2月25日 全英28位)
■ Layla / Derek & The Dominos(1972年8月5日 全米10位、1972年8月26日 全英7位)
■ I Shot The Sheriff / Eric Clapton(1974年8月17日 全英9位、1974年9月14日 全米1位)
■ Tears In Heaven / Eric Clapton(1992年3月21日 全英5位、1992年3月28日 全米2位)
■ Change The World (From "Phenomenon") / Eric Clapton(1996年7月20日 全英18位、1996年8月17日 全米5位)



Billboard Chart&Official Charts(Album)
■ 461 Ocean Boulevard / Eric Clapton(1974年8月17日 全米1位、1974年8月31日 全英3位)
■ Behind The Sun / Eric Clapton(1985年3月23日 全英8位、1985年5月25日 全米34位)
■ August / Eric Clapton(1987年2月14日 全英3位、1987年3月21日 全米37位)
■ Unplugged / Eric Clapton(1993年3月13日 全米1位、1993年3月20日 全英2位)


2020.07.10
33
  YouTube / Eagle Rock
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1965年生まれ
中川肇
コラムリスト≫
6
2
0
1
9
プリンスの提供楽曲集「オリジナルズ」想像の翼は広がるばかり
カタリベ / 海老沼 大輔
48
1
9
8
4
35年前のティーンネイジドリーム、7月20日は【1984年】に時間旅行!
カタリベ / 古木 秀典
23
1
9
8
7
テレンス・トレント・ダービー、安直なジャンル分けを拒んだ果敢な挑戦
カタリベ / 岡田 ヒロシ
30
1
9
8
2
80年代は洋楽黄金時代【カバー曲 TOP10 番外編】やっぱり音楽は記録より記憶?
カタリベ / 中川 肇
35
1
9
8
6
エリック・クラプトン、心の底からの絶望と救済についての歌
カタリベ / 宮井 章裕
21
1
9
8
0
共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.6
カタリベ / KARL南澤