7月10日

エリック・クラプトン&フレンズ、たった4人のライヴ・アット・モントルー

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エリック・クラプトン&フレンズがモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した日
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エリック・クラプトン、時代と共に大きく変化した音楽性


エリック・クラプトンという人は、とても掴みどころのないミュージシャンだ。もし音楽ファンに「エリック・クラプトンと言えば?」と質問を投げかけたとしたら、回答者の世代や音楽を聴き始めた時期によって、答えが全く違ってくるだろう。なぜなら、彼の音楽性は、時代と共に大きく変化してきたからだ。

僕はこれまでにリマインダーの中で何度も指摘してきたが、クラプトンには “その時代に最も流行っている音” を採り入れようとする傾向がある。良く言えば “流行に敏感”、悪く言えば “節操がない”。お陰で、彼のキャリアには1960年代、70年代、90年代と3度のピークが訪れた。こんなのは、数いる大御所ミュージシャンの中でも彼だけではないだろうか。そこで、その歴史を簡単におさらいしてみると――

【1960年代】クリームで一世を風靡、ペインテッドSG弾きまくり!


いくつものバンドを渡り歩く中、特にクリーム時代には「サンシャイン・ラヴ(Sunshine Of Your Love)」や「ホワイト・ルーム」がヒットし、一世を風靡した。古いファンなら、彼がペインテッドSG(サイケデリックに塗りたくったギブソンのギター)を弾きまくる映像を観たことがあるのではないか。ザ・ビートルズ「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のギターソロを弾いたのも、この頃だ。

【1970年代】肩の力が抜けたレイドバック・サウンド!


拠点を米国に移し、ギターをフェンダーのストラトキャスターに持ち替えた末に生まれたのが、名曲「いとしのレイラ(Layla)」である。その後、薬物中毒による中断期間を経て、ソロ活動を開始。アルバム『461オーシャン・ブールヴァード』とボブ・マーリーのカバー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」で、自身初の全米No.1を獲得した。クリーム時代とは打って変わった、ゆる~く肩の力が抜けたサウンドは “レイドバック(Laid-Back)” と呼ばれた。

【1990年代】大ヒットに恵まれグラミー主要3部門独占!


92年、わずか4歳半で命を落とした息子のために書いた「ティアーズ・イン・ヘヴン」と、この曲を収録したライブアルバム『アンプラグド~アコースティック・クラプトン』が大ヒット、グラミー賞の主要3部門を独占した。96年には、ベイビーフェイスと組んだ「チェンジ・ザ・ワールド」がヒットし、グラミー賞の最優秀レコード(Record of the Year)、最優秀楽曲(Song of the Year)を受賞。

80年代のクラプトン、フィル・コリンズとのコラボに注目!


…とまぁ、こんな感じで、多くの音楽ファンの彼に対するイメージは、このどれかに当てはまるのではないかと思う。とすると、次に「いったいクラプトンは80年代には何をやっていたのか?」という疑問が湧いてくるはずだ。

確かに80年代は大ヒットこそなかったが、コンスタントに “中ヒット” を飛ばしていた。そんな中でトピックがあるとしたら、やはりフィル・コリンズとのコラボレーションだろう。

クラプトンは、85年リリースのアルバム『ビハインド・ザ・サン』と翌86年の『オーガスト』で、プロデューサーにフィル・コリンズを起用した。この頃が、彼のキャリアの中で、最もポップな音作りを指向した時期ではないかと思う。それゆえ、正直なところ、僕はこの2枚のアルバムがそんなに好きではない。だが、この時期に行われたライブは本当に素晴らしく、今でも何度も聴き(観)直している。

クリーム解散以降、クラプトンのライブと言えば、いつも大人数がステージに上がっている印象があった。チャリティー・コンサートの類に数多く出演しているので、そのイメージが強いのかもしれない。でも、僕は少数のプレーヤーによる “まるで果し合いをしているかのような” 緊張感ある演奏を観るのが好きなので、少々残念に思っていた。

ところが、である。86年7月、クラプトンはフィル・コリンズ(ドラム)と、この時期からレコーディングに参加するようになったネイザン・イースト(ベース)とグレッグ・フィリンゲインズ(キーボード)を加えた、たった4人でステージに上がったのだった。記録によると、6回しか演っていないのだが、とにかくその演奏が凄かった。

必見必聴! モントルー・ジャズ・フェスティバルのライブ映像


幸運にも6回のライブのうち2回分の動画が公開されている(7月15日のバーミンガムでの公演が87年にVHSでリリース、7月10日のモントルーでの公演が2006年にDVDでリリースされた)ので、今でも僕たちはその凄さを体感することができる。一部を除いてほぼ4人だけの生歌生演奏なので、各人の技術の高さが嫌と言うほど伝わってくるのだ。

80年代に入って、ライブパフォーマンスにも様々なテクノロジーが持ち込まれるようになり、プレーヤーの肉体だけでは困難な演奏も容易に再現できるようになったが、そんな時代の流れに抗うかのように、自分の身ひとつで勝負している彼らの潔さを見て、僕はなんだかとても嬉しかったのを覚えている。

それに、クラプトンが「いとしのレイラ」のギターをひとりで弾いているのはかなり珍しいし(サポートギタリストがいないので)、当時バカ売れしていたフィル・コリンズが純粋にドラマーとして出演しているのを観られるのも有難い。全体的にフュージョンバンドに近い印象だが、とにかく彼らの演奏に注目したい人には最高のライブである。


Billboard Chart&Official Charts
■ Sunshine Of Your Love / Cream(1968年8月31日 全米5位、1968年10月29日 全英25位)
■ White Room / Cream(1968年11月9日 全米6位、1969年2月25日 全英28位)
■ Layla / Derek & The Dominos(1972年8月5日 全米10位、1972年8月26日 全英7位)
■ I Shot The Sheriff / Eric Clapton(1974年8月17日 全英9位、1974年9月14日 全米1位)
■ Tears In Heaven / Eric Clapton(1992年3月21日 全英5位、1992年3月28日 全米2位)
■ Change The World (From "Phenomenon") / Eric Clapton(1996年7月20日 全英18位、1996年8月17日 全米5位)



Billboard Chart&Official Charts(Album)
■ 461 Ocean Boulevard / Eric Clapton(1974年8月17日 全米1位、1974年8月31日 全英3位)
■ Behind The Sun / Eric Clapton(1985年3月23日 全英8位、1985年5月25日 全米34位)
■ August / Eric Clapton(1987年2月14日 全英3位、1987年3月21日 全米37位)
■ Unplugged / Eric Clapton(1993年3月13日 全米1位、1993年3月20日 全英2位)


2020.07.10
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カタリベ
1965年生まれ
中川肇
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