11月21日

総立ちの女王、白井貴子の魅力とは? AORから女性ロックシンガーの頂点へ

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白井貴子のファーストアルバム『Do For Loving』がリリースされた日
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photo:SonyMusic  

時は1981年 ―― 。白井貴子は CBSソニーレコード主催のオーディションに合格、ファーストアルバム『Do For Loving』から先行してシングルカットされた「内気なマイ・ボーイ」でデビューを果たした。その翌年、同アルバムから「ピローケースにさようなら」がシングルカット。さらに当時売り出し中だった佐野元春のバックコーラスに参加したことで、名曲「SOMEDAY」をカヴァーすることになる。

ステージに上がりスポットライトを浴びた瞬間に群がる観客が総立ちになって、そのままエンディングまで熱狂が止まらないところから “総立ちの貴子” と呼ばれるようになったのもこの頃。その勢いは止まることを知らず、84年10月には伝説と呼ばれている、渋谷「ライブ・イン82」で10日間連続LIVEを敢行する。(延べ観客動員数7000人・うち失神者32名)。すでにライブハウスに収まりきらないファンを抱えたていた白井は、その後トントン拍子で日本武道館や西武球場などの大規模コンサートを成功に導いていった。そうして80年代中盤まで “ロックンロールエンジェル” として音楽界を席巻してゆく――。

さて、今回は白井貴子ファーストアルバム「Do For Loving」の1曲目に収録されている「ピローケースにさようなら」を振り返り、どうして白井はロックに傾倒していったのか、その要因を探ってみたいと思う。そう、歴史に埋もれてしまっているけれど、デビューした時の白井はもっとニューミュージックに近いおしとやかなシンガーだったのだ。

「ピローケースにさようなら」は、AOR(注)色の強いアレンジを椎名和夫が施した。椎名和夫は、80年代の山下達郎バンドを支えたギタリストであり、中森明菜「DESIRE - 情熱 -」で日本レコード大賞編曲賞を受賞したこともある凄腕アレンジャーだ。

レコーディングメンバーは、椎名自らがギターを弾き、ドラムに青山純、キーボードに難波弘之という “ほぼ山下達郎バンド” で構成。その楽曲は、青山純の十八番である “片手16ビート” から繰り出すミディアムテンポが小粋であり、クールなホーンアレンジや、セブンスを多用したコードによってアダルティーな一面を覗かせる絶妙な仕上がりになっている。

アレンジが素晴らしいのは当然だけれど、そもそもその元になるメロディーが良くなければアレンジどころの話ではない。驚いたことにデビューアルバムは全曲新人である白井の作曲で、歌詞もそのほとんどが白井のものである(数曲だけ竜真知子との共作)。メロディーメーカーとして、あるいは作詞の才能も、当時のプロデューサー穂口雄右(代表作・キャンディーズ「春一番」詞曲アレンジ)は把握していたのだろう。

僕がお気に入りなのは歌詞の冒頭、


そりゃ めげる時もあるわ

だけど すぐに忘れるのよ


という “語り口調” を入れるセンスの良さだ。こういうちょっとした距離感覚が聴く者に親近感を与えるのだと思う。そしてこの「めげる」という歌詞に合わせ、メジャーセブンスからマイナーセブンスを被せ、さらにメジャーセブンスに戻してルートに帰結させるコード展開(楽曲中に何度も使われている)を思いつく奇抜さが、新人らしからぬ才能の片鱗を見せていると僕は感じ取ったのだ。

ちなみにアルバム2曲目でありデビュー曲の「内気なマイ・ボーイ」も、椎名率いる同メンバーで録音されている。こちらはロック色の強い8ビートが全面に押し出されたポップロックだ。

さらに、アルバム3曲目以降もギタリストに白井良明(ムーンライダース)や、芳野藤丸(SHOGUN)、松原正樹、今剛など強力なメンバーを揃え、ベースには後藤次利、ドラムにはロバート・ブリル(映画『トップ・ガン』のテーマ「愛は吐息のように」のヒットをとばしたグループ “ベルリン” のメンバー)という布陣で、カントリーロックからフォークロックなど多彩なアレンジが1枚のアルバムに混在している。

深読みすると、この時点でプロデューサーは白井の才能を評価しつつも、CBSソニーとして売り出す方向性がまだ決まっていなかったのでは? と、勘ぐってしまわずにいられない。

白井の声質は、中音域から高音への伸びやかさが最大の魅力だと思う。ハードロックにおける倍音の豊かさで言えば、当時のカルメン・マキや、80年代中期に現れるSHOW-YAの寺田恵子、プリンセス プリンセスの岸谷香(奥井)に白井は到底敵わない。タイプが違うのだ。白井の歌い方は、言葉ひとつひとつの発音がとてもきれいで日本語を大切にするタイプである。今の音楽界で言えば木村カエラが非常によく似た歌唱法だ。

そんなことから考えても、僕はもうちょっと落ち着いたAOR色の強い「ピローケースにさようなら」系統の曲が合っていたのではないかと思っているのだ。デビューアルバムのジャケットを見ても一目瞭然、どう見てもそこにロックの匂いは感じられない。きっと佐野元春のコーラスに参加したことでロックに目覚めたのではないか? と推察する。

当時はアメリカンロック(商業ロック)が盛んであり、何よりも佐野元春が恰好いいので影響されないわけがないのだ。大音量の中、観客と一体感を味わう喜びはバンドを経験したものでないとわからない。当然の流れで白井は自己のバンド、白井貴子&CRAZY BOYSを結成した。

そうしてライブハウスを席巻し、学園祭などで大暴れするようになってからのストーリーは前置きで書いたとおり… チャンス!そう、白井最大のヒット曲「Chance!」(1984年)を文字通りモノにしたのだ。

Tシャツにジーパンのナチュラルなスタイルから一転して、ミニスカートで大胆に脚を見せ、チューブトップで胸から肩まで肌を露わにしてワンレンの髪を振り乱して歌う姿は、デビューアルバムから想像するに難い。ただ、白井は “ファンのもの” になることを選び、女性ロックシンガーの頂点へと登り詰めてゆく。

ところが、1987年から段階的に仕事を減らしていった白井は、1988年レコード会社も事務所も辞めて、バンドメンバーでリードギターの本田清巳と共に渡英することになる。ビジネスライクな音楽活動との軋轢もあっただろうけれど、ある意味燃え尽きてしまったのではなかろうか。本当の自分に対して無理を強いていたのではないか? と考えてしまう。何故なら帰国後の白井は、ロック、ポップス路線からアコースティックへと切り替わり、地球環境問題などに造詣を深めてゆく。やっぱりもともとナチュラリストだったのでは? と思えてならないからだ。

現在白井は『涙河』というアルバムを引っ提げ、パートナーである本田と共に全国を飛び回ってライブ活動をしている。もちろん伸びのある歌声は健在だ。そして、アコースティックギターにTシャツとジーパンスタイルに戻っていることは言うまでもない。こっちのスタイルの方が断然似合っているのだ。


注:AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)とは、1970年後半辺りからのニューミュージックに相当する音楽用語で、大人向けロックの総称である。TOTO やシカゴ、スティーリー・ダン、日本なら山下達郎、松任谷由実、杏里、aiko やドリームズ・カム・トゥルーも AOR と呼ばれる。

2019.04.16
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