3月6日

【パリ五輪開催記念】ソフィー・マルソーと80年代フランスのアイドル&ポップアイコン

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ソフィー・マルソー主演映画「ラ・ブーム」主題歌はピンクのハート型レコード

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リレー連載【パリ五輪開催記念】フランス関連音楽特集 vol.4

2024年の夏、フランスに世界の注目が集まっている。そこで、『Re:minder - リマインダー』というメディアらしく、80年代から90年代前期の日本において、アイドル、ポップアイコンだったフランス発の6人のスターについて取り上げることにした。

ジャッキー・チェンが好きな中学生にも愛された最強アイドル


ソフィー・マルソー / Sophie Marceau
1966年11月17日生まれ

まず、フランスが生んだアイドルとして、80年代前期の日本で圧倒的な存在だったのがソフィー・マルソーだ。彼女のデビュー作『ラ・ブーム』と続編『ラ・ブーム2』は、後述するシャルロット・ゲンズブールやジュリエット・ビノシュの作品とは異なり、ジャッキー・チェン映画や『ロッキー』『マッドマックス』『ランボー』を好むような中高生にも届いたのである。

『ラ・ブーム』は、ブーム(若者が集まるパーティ)に憧れる13歳のヴィック(ソフィー・マルソー)の恋愛を軸に、周囲の人々の人間模様を描いた作品である。本国フランスでは多くの観客を動員し、それがヨーロッパ全域にも波及した。日本公開にあたっては、配給会社がソフィー・マルソーのビジュアルを全面的に推したプロモーションを行い、それが見事に成功した。

映画はヒットし、ソフィー・マルソーは多くのファンを獲得した。主に男子中高生の間で疑似恋愛の対象となり、当時、直接的なセックスシンボルだったフィービー・ケイツ(アメリカ)らとともに、『ロードショー』(集英社)や『スクリーン』(近代映画社)の売上に大きく貢献することになる。

パリ五輪の開会セレモニーで演奏された「愛のファンタジー」


その人気を後押ししたのが音楽だ。映画の主題歌であるリチャード・サンダーソンの「愛のファンタジー」は、恋の始まりを予感させるような、愛の儚さを表現したような、ティーンエイジャーの漠然とした恋愛願望をチクチクと刺激するような、そんなメロディだった。



日本では通常のシングルレコードとは別にピンク色のハート型レコードが発売された。なお、この曲はパリ五輪の開会セレモニーにてアコーディオンで演奏され、『ラ・ブーム』の頃に若者だった一部の人たちがSNSでざわつく現象があった。

『ラ・ブーム』のヒットでアイドルとなったソフィー・マルソーは、フランスにてシンガーソングライターのフランソワ・ヴァレリーとのデュエットで「Dream in Blue」という曲で歌手デビューを果たした。この曲は日本では1981年に「夢見るソフィ」のタイトルで発売され、ジャケットも含めて彼女の単独曲のように売り出された。こちらは、イエローグリーンのハート型レコードだった。

「ラ・ブーム2」の主題歌は「恋する瞳」


1982年に制作された続編『ラ・ブーム2』はヴィックの成長と新たな恋愛模様を中心に展開する。主題歌はクック・ダ・ブックスによる「恋する瞳」で、その日本盤はブルーのハート型レコードで発売された。しかも、ジャケットはソフィー・マルソーの顔を大きくプリントしたジャケ買い狙いの仕様だった。そして、このラブソングも「愛のファンタジー」と同様の効果を生んだ。



興味深いのは、両作品の日本公開のタイミングが本国と異なり、劇中と現実のねじれ現象が起きていたことである。ソフィー・マルソーの年齢を併記して整理してみよう。

▶『ラ・ブーム』
・フランス公開:1980年12月(14歳、撮影時は13歳)
・日本公開:1982年3月(15歳)

▶『ラ・ブーム2』
・フランス公開:1982年12月(16歳、撮影時は15歳)
・日本公開:1983年3月(16歳)

1982年春に13歳のソフィー・マルソーに恋をした日本のファンは、わずか1年後に続編のキャンペーンで来日した16歳の彼女に遭遇するのだ。そのギャップもファンをドキドキさせた要素となった。

ソフィー・マルソーはその後、CMに出演するなど日本限定のアイドル的活動を散発的に行っていた。しかし、『ラ・ブーム』2作品に夢中になったファンが求めていたような映画には出演せず、挑戦的な役ばかりを演じるようになる。それは、アイドルのイメージを脱したがっているようでもあった。

恵まれた環境で育ったミニシアターのアイドル、シャルロット・ゲンズブール




シャルロット・ゲンズブール / Charlotte Gainsbourg
1971年7月21日生まれ

シャルロット・ゲンズブールは、父親がシンガー、音楽プロデューサー、映画監督でもあるセルジュ・ゲンスブール、母親が俳優でモデルとしても第一線で活動し、エルメスの “バーキン” の由来でもあるジェーン・バーキンという、芸術的な感性やセンスが磨かれないわけがない環境で育った。

彼女は日本においてはミニシアターのアイドルだった。80年代の日本、特に東京では主にアート指向の高い作品、インディペンデント映画、ドキュメンタリーなどを上映するミニシアターが続々とオープンし、フランス映画の注目度が上がっていた。大劇場で派手なハリウッド映画を観るのではなく、ミニシアターで静かな、もしくはアバンギャルドなフランス映画を観たいという需要が一部で高まっていた。その中で、10代で俳優活動を始めた “セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンの娘” がミニシアターの客層に注目されるのは自然な流れだった。

1988年に『シャルロット・フォー・エヴァー』(1986年制作)、1989年に『なまいきシャルロット』(1985年制作)、1990年に『小さな泥棒』(1988年制作)と主演作が続々とミニシアター系で公開されている。

シャルロット・ゲンズブールの才能は音楽の分野でも発揮された。1984年以降、現在に至るまでミュージシャンとして積極的な活動を続け、商業的にも成功。2010年代以降、2度の来日公演も行った。

80年代の “新しい波” に乗り世界に飛躍




ジュリエット・ビノシュ / Juliette Binoche
1964年3月9日生まれ

ジャン=ジャック・ベネックス、リュック・ベッソンとともに、80年代のフランス映画に “ネオ・ヌーヴェル・ヴァーグ” をもたらした映画監督のひとりがレオス・カラックスである。ジュリエット・ビノシュは、そのカラックス映画に出演することで、日本のミニシアターファン、言い換えればスノッブ層にとって要チェックの存在となる。

まず、1986年、22歳の頃に『汚れた血』(日本公開は1988年2月)に、次に1991年、27歳の頃に『ポンヌフの恋人』(日本公開は1992年3月)に出演した。5年の開きがあるため、それぞれの作品での彼女の印象は異なる。その間にアメリカ映画『存在の耐えられない軽さ』でキャリアアップを果たしている。

1991年に『ポンヌフの恋人』でヨーロッパ映画賞女優賞を受賞したジュリエット・ビノシュは、以後、ヴェネツィア国際映画祭女優賞、セザール賞主演女優賞、ベルリン国際映画祭銀熊賞、アカデミー助演女優賞、カンヌ国際映画祭の女優賞を受賞。世界的に評価される演技者となった。

強烈なインパクトを残したエキセントリックなアイコン




ベアトリス・ダル / Béatrice Dalle
1964年12月19日生まれ


世界5都市のタクシーにまつわる人間ドラマを描いたジム・ジャームッシュ監督のオムニバス作品『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991年)のアイドルといえば、ロサンゼルス編のウィノナ・ライダー(アメリカ)だが、パリ編に登場したベアトリス・ダルも記憶に残る存在だ。

ベアトリス・ダルのデビュー作は、日本では1987年末に公開された『ベティ・ブルー / 愛と激情の日々』である。ここで彼女は、自由奔放かつ情熱的な性格で、恋人に対して深い愛情を持ちながらも、精神的に不安定になっていく主人公を演じた。激しい性的シーンや、破壊的なシーンを演じることで強烈なインパクトを残した。そして、『ナイト・オン・ザ・プラネット』で演じたのは、鋭利な感覚を持ち、やたらと当たりが強い盲目の女性の役だ。これも強烈だった。1994年に日本で公開された『彼女たちの関係』も含めエキセントリックな役が続いたため、日本における “アイドル” のイメージとは異なるが、当時、東京のミニシアターシーンのアイコンのひとりであったことは確かだろう。

世界的アイドルブーム、フランス代表




エルザ・ランギーニ / Elsa Lunghini
1973年5月20日生まれ



ヴァネッサ・パラディ / Vanessa Paradis
1972年12月22日生まれ

欧米では、日本でいう “アイドル” のように10代の頃にデビューする女性シンガーは少なかった。今も少ない。しかし、これまでに2度、10代の女性ソロシンガーが同時多発的に登場し、爆発的人気を獲得した時期があった。2度目はブリトニー・スピアーズ(アメリカ)、クリスティーナ・アギレラ(アメリカ)、アヴリル・ラヴィーン(カナダ)らが人気を博した2000年前後である。

そして1度目は80年代後期だ。具体例を挙げれば、デビー・ギブソン(アメリカ)、ティファニー(アメリカ)、マルティカ(アメリカ)、カイリー・ミノーグ(オーストラリア)といった面々である。そして、フランスからはエルザ・ランギーニとヴァネッサ・パラディがブレイクした。

エルザ・ランギーニは13歳だった1986年に「哀しみのアダージョ」を大ヒットさせている。透き通るような声で歌ったこの曲は、翌年に日本でもリリースされ、同年7月には原田知世が大貫妙子による日本語詞で「彼と彼女のソネット」のタイトルでカバーした。また、ジーンズメーカー、エドウィンが女性向けブランド「サムシング」のCM曲として使用していたので、何気なく耳にしていた人も多いだろう。

一方、ヴァネッサ・パラディは14歳だった1987年にシングル「夢見るジョー」でデビューした。この曲はフランスで11週連続ナンバーワンの大ヒットとなり、アルバムも好調なセールスを記録。いきなり華々しいサクセスロードを歩んだ。90年代にはセルジュ・ゲンスブールやレニー・クラヴィッツをプロデューサーとして迎えるなど、多様な音楽活動を繰り広げていき、当時のアルバムは日本の市場でも受け入れられた。

また、俳優としてのキャリアでも成功を収めている。私生活では俳優のジョニー・デップと事実婚関係にあった時期もあった。シンガーとして、アクターとして長く活動を続けた彼女は80年代の世界的アイドルムーブメントで最大の成功者といえるだろう。

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2024.08.03
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NOISE
もう少しだけ前だったら、ベルギーのPOPガール"LIO"がいたなぁ
プロデュースをTELEXやSPARKSあたりの人がやってたような?
テクノポップを可愛い声のフランス語で囁かれるのがとても心地よかった
2024/08/10 04:38
0
返信
カタリベ
ミゾロギ・ダイスケ
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