1982年公開の『ダイナー』は、素晴らしい「モラトリアム映画」だ。夜な夜なダイナー(簡易食堂)に集まる、ボルチモアの20代半ばにして将来も定まらず煮え切らない6人組。そんな彼らの悲哀がこの映画の魅力である。もう一つの魅力が、その音楽。1959年12月という設定上、全編に去りゆく50年代のアメリカ音楽が「感傷的に」ちりばめられている。僕はその点、同じ傾向の映画でも馴染み薄いプロム文化を中心とした『アメリカン・グラフィティ』より『ダイナー』の方が心に残っている。
この手の映画には必ず常軌を逸した「音楽オタク」が登場する。ダニエル・スターン演じる “シュレヴィー” がそうだ。彼は6人中、唯一の既婚者である。一人だけ「大人になった」彼は、しかしダイナーに通いつめ、仲間と過ごす「子どもの」時代を忘れられない。
印象的なシーンがある。彼は音楽に興味のない妻に、レコードを聴き終えたら棚へ「アルファベット順・年代順・カテゴリー別」に戻すルールを押し付けている。ある晩、ジェームス・ブラウンのレコードがBの棚でなくJの棚に、しかもR&BでなくR&Rの棚に戻されていたことで彼は怒り出す。
「ただ音楽が聴きたいだけ」という妻に、彼は「チャーリー・パーカーをR&Rに入れたりしないだろ」と問い詰める。そこで妻は答える、「そんなの大切? チャーリー・パーカーって誰? 」……… 怒った彼は、レコードを選ばせA面を言えと叫ぶ。彼は、そのB面をレーベル名まで答える。しかしその熱意が理解できない妻はこう言う、「誰がB面なんて気にするの?」と。
「俺だよ!」と叫ぶ彼。「ここにあるどのレコードも、俺には大切なんだ! 〜レコードを聴く度、人生のある瞬間に戻れるんだ、わかるか?」と言う彼の台詞に共感しない音楽オタクもいないだろう(彼の幼稚性はともかく)。レコードを文字通り人生の「記録」とする僕のような音楽オタクを少し感傷的にさせる、全編こんな調子のこの映画は、僕にとって「大切な」映画だ。つまり観なおすたび、初めて観た時の感傷へ僕を連れ帰らせる、そんな映画なのだ。
2016.08.04
YouTube / senorrogers
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