9月21日

【佐橋佳幸の40曲】​​UGUISS「Sweet Revenge」40年早かった⁉ 伝説バンドのデビュー曲

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連載【佐橋佳幸の40曲】vol.30
Sweet Revenge / ​​UGUISS
作詞:山根栄子
作曲:佐橋佳幸
編曲:UGUISS

UGUISS40周年、メンバーが再集結


「いやー、UGUISSは “今” だったね。やっぱ早すぎたのかな(笑)」

1983年にEPIC・ソニーからデビューしたUGUISS。が、本連載を読んでくださっている方ならばご存じの通り、当時は夢を実現することができず、翌84年にあえなく解散。佐橋佳幸をはじめとするメンバーたちはそれぞれの道に進むことになったのだけれど。

そんなデビューから数えて、昨年9月で40年。周年を機に、今年4月、彼らが唯一残したファーストアルバム『UGUISS』と、発売目前までいきながらお蔵入りしてしまった幻のセカンドアルバム『Presentation』とをカップリングにしたアナログLP2枚組『UGUISS (1983-1984)~40th Anniversary Vinyl Edition~』(完全生産限定盤)もリリースされた。

その発売を記念してメンバーが再結集。この5月から6月にかけて東京、名古屋、大阪を巡るライブハウスツアーが敢行された。UGUISSの再結成はデビュー30周年にあたる2013年にも実現しており、そのときは前年2012年に逝去したリードボーカルの山根栄子に代わって渡辺美里をフィーチャーしたスペシャル編成だったが、今回、フロントを担ったのは新ボーカリスト、冨田麗香。さらにキーボード、シンセ・ベースを担当していた伊東暁に代わり佐橋の盟友、Dr.kyOnがサポートメンバーとして参加。オリジナルメンバーである佐橋(ギター)、柴田俊文(キーボード)、松本淳(ドラム)の3人に冨田、キョンが加わった5人編成で東名阪で計4本、熱いライブを披露した。

冒頭の言葉は、ツアー初日、名古屋TOKUZOでの公演を終えた佐橋が思わず口にした感想だった。

デビュー当時からの古株ファン、応援してくれていた業界関係者、さらにはリアルタイムには間に合わなかった新しいファンやメンバーの音楽仲間たち…。UGUISSの “今” を目撃したい、そんな思いを抱きながら詰めかけた観客で東名阪3公演は即ソールドアウト。急遽、かつて大いにお世話になった東京・原宿クロコダイルでの追加公演も決まったが、これもまた即完となった。



観客は総立ち、1曲目は「Sweet Revenge」


コンサートの幕開け。デビューアルバムのオープニングナンバーを今回のツアーメンバーで新録した「How Are You Doing? 2024 New Version」が場内に流れる中、メンバーたちがステージに登場する。そして、1曲目。もちろんデビューシングルでもある「Sweet Revenge」だ。

「昔も、オープニングはいつもこの流れだったから。今回も同じようにやろう、ということになったの。そしたらさ、1曲目から総立ちだよ、総立ち。デビュー当時、千葉のライブハウスでお客さん3人でさ。お店の電話を借りて、柴田とオレの弟に電話して “今から車飛ばしてこい!” って言って。それでようやくお客さん5人で、バンドとマンツーマンになった… なんて笑い話もあるくらいのバンドだったからさ(笑)。ソールドアウトで、全員総立ち。そんなライブ、40年目にして初めて。オレたちのほうがびっくりしちゃって。ツアーが決まった時は、正直どれだけお客さんが来るんだろうって心配していたの。もうお客さんも若くないだろうから、年齢層を考えて椅子席にして… 。でも、これならオールスタンディングでもよかったよね」

ステージ上で感じた客席の熱気がどんなに凄かったか。笑顔で話す佐橋は、まるで初ライブを終えた新人バンドのメンバーのようだった。武道館はもちろん、全国津々浦々のスタジアムやアリーナ、大ホールを埋め尽くす観客たちの前でスポットライトを浴びてギターを弾く。そんな体験をこの40年間、数え切れないほどこなしてきたはずの佐橋。にもかかわらず、そんな彼が “総立ちだよ!?” と本当にうれしそう。ちょっと思いがけない様子ではあった。

「やっぱり “自分たちのこと” だからね。仕事での充実感とは歓喜の種類が全然違う。リハでもさ、自分たちのバンドだから、全員、思ったことは全部言うもんね。気になるところは遠慮なく何回でもやり直す。仕事の時とはまるで違いますよ。自分が求められている仕事を極めるためのリハではなく、自分たちの音にしようと努力するためのリハ。ベクトルが違うんだよね」

Photo:Koichi Morishima


40年前 “早すぎたバンド” と言われたUGUISS


ライブツアーの熱狂ぶりだけでなく、2枚組アナログLPへの反響も大きかった。1984年、セカンドアルバム発売を目前に突如解散した時からずっと “早すぎたバンド” と言われ続けてきたUGUISS。結局、どれくらい早すぎたのかと言えば、まさに “40年” 。そういうことだったのかもしれない。

「今回、いろんなところで取材してもらったんだけど、デビュー当時よりも今の時代のほうに合っていると思う… と、けっこう言われて。どこかのラジオ番組では、84年に出るはずだったセカンドアルバムについて “少しシティポップ入ってませんか?” って言われたの。80年代のロックにしてはちょっとおしゃれな感じがするって。なるほど、と思った。たしかに今の若い人にしてみるとそういう感じなのかもしれない。僕らはそんな風に思ったこともなく、むしろ当時はシティポップとかAOR的なものをちょっとバカにしていたところもあって。ほら、オレら、生意気ざかりだったからさ。お洒落なAORとか好きな生ぬるいヤツらとは違う、自分たちはもっと硬派な音楽を目指してるんだー… とか言っちゃってたバンドだったから(笑)」

「当時のいわゆるシティポップ系の音楽に対抗するものとして「Sweet Revenge」があったような感じはあった。でも、考えてみたら当時主流だった音楽も一通り聴いていたし。いわゆるフュージョン路線の王道は好きじゃなかったとはいえ、TOTOとか、当時のAORやフュージョンのスターたちがバックに参加していたジェイムズ・テイラーとか、そういうものは聴いてはいたからね。マイケル・マクドナルドが加入したドゥービー・ブラザーズとかだって、ロックファンの間では賛否両論あったけど、オレたちは好きだったしね。ただ、そういうものを姑息にマネしてるだけの日本のバンドとかに反発があって、世の中に流されまいとふんばって。で、どんどんガンコになっていったわけだけど。自分たちがリスナーとして聴いて、いいなと思っていた音楽の要素は少なからずUGUISSの音にも入ってはいたんだろうな。だから今、当時のシティポップとかを聴いている若い人たちの耳は、そういう時代感も聴きとって、それを心地よく新鮮に感じてくれているのかもしれない」



あのころよりずっとナチュラルに、心地よく響く「Sweet Revenge」


流行に抗っているわけでもなく、しかしそこに乗っかりすぎるわけでもない。UGUISSといえばアメリカンロック、特に80年代当時の西海岸サウンドを基調にした痛快なバンドサウンドが身上ではあったけれど、そのサウンドの背景にはMTV前夜、洋楽ヒットチャートの匂いをふんだんに盛り込んだ幅広いポップ感覚が横たわっていた。彼らのデビューシングルでありシグネチャーナンバーでもある「Sweet Revenge」は、当時ツウ好みすぎるとか、洋楽すぎると言われていたけれど。今、40年前よりずっと複雑になった2024年の世界に響くこの曲は、あのころよりずっとナチュラルに、心地よく響く。

「あの曲、実はトッド・ラングレン率いるユートピアっぽかったりもするんだよ。今になってみれば、だけど。サビのシンセのフレーズなんか、完全に「Can We Still Be Friends?」だもんね。これ、実は僕もつい最近気づいたんだけど(笑)。当時、キーボードが入っているロックバンドをわりと一生懸命聴いたりしてたからだろうね。ベースがいないバンドだったから、どうやってロックの中でキーボードを使ったらいいのか、みたいな研究はしていたな」

Photo:Koichi Morishima


40年前の自分が憑依している感じ


「佐橋くんはね、もう、佐橋くんそのまんまだった」

ツアーが終わった直後、Dr.kyOnがそう語っていた。足りないところも余分なところもない。もともと佐橋佳幸というのはこういうギタリストだった。UGUISSでの佐橋は、そんなありのままのカタチをした佐橋だったのだ、と。この30年あまり、さまざまなライブやスタジオセッションで共演してきた盟友Dr.kyOnが言うのだから間違いない。

「今回のリハーサルは当時やっていたことを思い出す作業だった。麗香ちゃんやキョンさんにとってはすべて新曲でしょ。だから僕が全部譜面を書いて。当時、譜面なんて使わなかったから、“ああ、この曲はこんな凝ったことやってたのかぁ” って発見したり(笑)。だからリハの時はけっこういろいろ考えながらやってたんだけど。本番はね、なんか不思議な感じだった。名古屋の初日、バーンッて始まった瞬間に、“あ、なんか覚えてるな、この感じ” って思ったの。もう、何か身体が、指が、考えるより先に勝手に行ってる感じ。なんだったんだろうな、あれ。時が昔に戻ったという感じとは微妙に違う。なんかね、憑依してる感じだった、40年前の自分が(笑)。自分でもびっくりした。え、俺、こんなこと弾いてたっけ? みたいなこともあったり」

「リハでは、柴田が “今、間違えてなかった?” って言うから、“いや、間違えたんじゃなくて、手が追いつかなかったの” “そうかそうか” (笑)みたいなこともあったけど、いざ本番になったら、結局、当時の感じになるというか。たとえばリハでは、“このコーラス、いちばん上のとこハモってたの誰だっけ?” “覚えてないなぁ” とか言っていても、本番になると自然と出てくる。間違えないんだよ」

リハーサルを重ねる中でだんだんUGUISSの佐橋が戻ってきて。本番でそれが本格的に炸裂したということだろう。

「40年前もやってれば当然、手クセや指グセは変わってくる。しかも僕の場合、コロナ禍の間に暇すぎてギターの練習ばっかりしていたら(笑)、いつの間にかピックで弾くより指で弾くことの方が増えちゃったりしてさ。最後の(山下)達郎さんのツアーなんかは、もう半分くらい指で弾いていたの。だからUGUISSのリハ初日も、そういう最近の手クセで始めたんだけど、そうすると弾けない曲が出てきたの。指で弾いたらとてつもない速さで弾かないと間に合わない。だからUGUISS用に、ちょっと昔の弾き方に戻したり」

「あとさ、83年とか84年だから、みんな当時ヴァン・ヘイレン大好きだったじゃない? で、僕もその頃、ちょっとライトハンド奏法とかしてたの。今は僕、山弦とかやるために、爪がボロボロにならないように爪をジェルネイルで固めちゃっててね。だからライトハンドは無理なんだけど。ただ、今回、UGUISSのセカンドに入っている「Turn Up Your Radio」って曲をやることになって。あれ、最後のほうでライトハンド奏法やってたんだよ。で、リハの時、“あ!やばい” って気づいたんだけど。俺が言うより先に柴田がニヤニヤしながら “あの曲、ソロの最後どうすんの?” って聞いてきた(笑)。で、この爪じゃ弾けないから何か考えるわって言って。結局いろいろ工夫して、ものすごいややこしいライトハンドもどき奏法で乗り切りました(笑)。普通のライトハンド奏法よりこっちのほうが難しいかも」

Photo:Koichi Morishima


新たなヴォーカリストを迎えて東名阪ツアーに


昨夏、この連載で佐橋・柴田・松本の3人が久しぶりに顔を合わせて行われたUGUISS鼎談。そこで、40周年は2枚組のアナログを出せたらいいねという話も出ていたけれど、ライブについてはまだ何ひとつ決まっていなかった。それが、1年も経たないうちに新たなボーカリストを迎えて東名阪ツアーに出ることになるとは…。

「今回はとにかくキャスティングがうまくいった。ご縁だね。麗香ちゃんはもともと大阪でバンド活動をしていて、その頃に先輩ミュージシャンたちから “麗香ちゃん、UGUISSの山根栄子に似てるね” って言われてたんだって。それで “誰だ、それ?” って調べて、ネットで曲を聴いたり、カバーしたりしてくれていたらしい。で、5年くらい前、淳がどっかのセッションで知り合って。リンダ・ロンシュタットとか西海岸系の曲ばかり歌っていて、この子なんなんだって驚いた、と」

「で、もしUGUISS関係で何かやる時には… と、連絡先を交換して。今回、ライブが決まる前、試しにオーディションじゃないけど、練習スタジオで3曲ぐらいセッションしてみることになったんです。初めて一緒に「Sweet Revenge」で ♪ジャーンって音出した瞬間、僕と柴田と淳はもう顔見合わせて “これだ!” と。淳が言うだけあって、まったく違和感がなかった。これならライブもできるぞということになり、さっそくキーボード探し。でも、もうこれはキョンさんしか考えられない。で、すぐ電話してみたら “そりゃ、やらせてもらいますよ” って快諾してくれて。現在に至るわけです」

予算がないので、オリジナルメンバーの佐橋、柴田、松本は初日の名古屋へ向けて機材車で移動したという。今や大ベテラン、大御所ミュージシャンである3人が狭い機材車で身を寄せ合い、“よくこんなに喋ることあるな、というくらいずーっと喋ってた” という姿は想像するだけで微笑ましい。

ツアー最終日の原宿クロコダイル。いつもはクールなたたずまいの柴田俊文がマイクを握り、客席にコール&レスポンスを求めてシャウトする。熱狂する客席にはオリジナルメンバーのひとりである伊東暁、そして初代ボーカリスト竹内仁恵の姿もあった。楽しかった夏休みの終わり… になるはずの、うれしくもせつない夜。だが、最後に佐橋がこう叫ぶと、客席からは歓声が沸き起こった。

「やめるの、やーめた!」

どうやらUGUISSの新しい旅が、今ここからまた始まるようだ。

Photo:Koichi Morishima


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2024.07.06
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カタリベ
1964年生まれ
能地祐子
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