未唯mieとT-GROOVE、ピンク・レディー50周年対談が実現 今年(2026年)は、ピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューしてから50周年。「渚のシンドバッド」「UFO」「サウスポー」といった、世代を問わず愛されたミリオンヒットは今も聴き継がれている。そして50周年を記念して、ピンク・レディーをリスペクトするアーティストたちが集結したトリビュート・アルバム『ピンク・レディー伝説 Now and Forever -50th Anniversary Tribute Album-』もリリースされた。参加アーティストそれぞれの解釈によって、ピンク・レディーの楽曲が持つ普遍的な魅力が、2026年の今、新たな形で提示されている。
一方、ピンク・レディーのミイ(現:未唯mie)は現在もアーティストとして自身の音楽をクリエイトしながら、ピンク・レディーの楽曲も様々なアプローチで歌い続けている。そして7月22日にはピンク・レディーの “ミイ” として50周年、ソロ活動としては45周年を記念した新曲「Anti Limit」をリリースした。
この曲のサウンドプロデュースを担ったのは、“キング・オブ・モダン・ディスコ” と称されるソウル / ディスコ・クリエイターのT-GROOVEだ。ディスコ研究家としての顔も持つT-GROOVEは、「Kiss In The Dark」「マンデー・モナリザ・クラブ」といったピンク・レディーの本格的なディスコ路線に大きな衝撃を受け、邦楽・洋楽の垣根を越えて世界中のディスコ・レコードを追い求めるようになった。
そして今回、未唯mieとT-GROOVEによる50周年対談が実現。ディスコをはじめとするポピュラーミュージックの世界標準という視点からピンク・レディーの楽曲を掘り下げ、2026年現在の未唯mieのアーティスト性にも迫る。前編では、デビュー曲「ペッパー警部」をはじめとするヒット曲に秘められた音楽性、そしてピンク・レディーがアメリカ進出に至るまでの背景を存分に語ってもらった。
ディスコ路線から始まった「ペッパー警部」 ーー 今回の対談では、“ディスコクイーン未唯mie” を大きなテーマとして、ピンク・レディーの名曲を深掘りしていきたいと思います。
T-GROOVE:デビュー当時、振り付けを担当した土居甫先生から “ピンク・レディーをディスコクイーンにする” と言われたと聞いています。
未唯mie:そうです。「ペッパー警部」はソウルフルなディスコ路線で嬉しかったのですが、次の「S・O・S」で急に可愛い方向に行っちゃったなと。この曲はアイドルを意識したのかな、という気がしました
T-GROOVE:デビュー曲の「ペッパー警部」がどちらかといえばディスコで、続く「S・O・S」がポップス。そしてサードシングルの「カルメン '77」でディスコに戻り、次の「渚のシンドバッド」がまたポップス。もしかすると、かっこいい曲とポップな曲を交互に出すことで、音楽好きにも、アイドルファンや一般層にも届くような戦略があったのかもしれません。
未唯mie:1979年に、都倉俊一先生が私たち2人にご褒美ということで “こういう曲が歌いたかったんでしょ” と、本格的なディスコナンバー「マンデー・モナリザ・クラブ」を書いてくださいました。だから都倉先生は、最初から “ディスコってこういうものだよね” ということを分かった上で、いろいろなお考えがあったのかもしれません。
T-GROOVE:僕は個人的に、「ペッパー警部」も四つ打ちで良かったのかなと思うんです。でも、そこではあえてスネアを使ってドッチドッチドッチドッチとリズムを刻んでいます。都倉先生が作曲・編曲を手がけた山本リンダさんの「どうにもとまらない」のリズムに疾走感を加えた仕上がりですね。だから歌謡曲感も出ているのだと思います。
未唯mie:都倉先生には、本格的なディスコ・サウンドにするとキャッチーではなくなる、というお考えがあったのかも……。あの時は、阿久先生と都倉先生が2曲を用意していて、レコード会社がどちらかを選ぶということだったと思います。
T-GROOVE:「乾杯お嬢さん」がA面になりかけたとか?
未唯mie:ピンク・レディーというユニット名が決まった段階で、路線もはっきり固まり、私たちのプロジェクトが作られました。それでデビュー曲が「ペッパー警部」になったということです。
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海外進出を意識したスパンコールの衣装 T-GROOVE:なるほど。デビュー当時の衣装も、アイドル風の衣装ではなく、海外のアーティストを意識していたように感じました。ABBAを意識した衣装もありましたね。
未唯mie:「ウォンテッド(指名手配)」かな。白と黒で、私が黒い衣装を着ていた時ですね。
T-GROOVE:そうでした!それ以外のスパンコールの衣装は、ヨーロッパのディスコ系アーティストにも通じるものを感じました。たとえばボニーMとか、ドイツのアーティストは露出の多いセクシーな衣装が多かったので、ピンク・レディーにもそういう印象があります。
未唯mie:『スター誕生!』に合格した時からプロデューサーは “海外進出を意識しているから君たちとやりたい” と言ってくれていました。そうした意識から、あの衣装になったんだと思います。当時、海外進出といえばアメリカで、あちらのソウルフルな人たちって、シンプルなスパンコールの衣装をよく着ていましたよね。私は素直にかっこいいなと思っていましたけど、同世代の若い歌手の方たちはみんな可愛い衣装を着ていて、そっちを着てみたいなという思いもありましたね(笑)。だから「ウォンテッド(指名手配)」の時に衣装らしい衣装になったから嬉しかったです。
T-GROOVE:海外進出といえば、未唯mieさんは『ソウル・トレイン』(*全米で放送されていたソウルミュージックの音楽番組)がお好きでしたよね。それに当時は全世界的なディスコブームでした。プロジェクトとしても、ディスコサウンドを軸に海外進出を目指すような構想があったんですか?
未唯mie:海外進出はプロジェクトの中にはなかったのね。それはプロデューサーの思い。その思いが、当時所属していたT&Cミュージックの社長も動かしたんです。それで事務所は海外進出に向けてロサンゼルスで人脈を開拓してくれたりしていましたね。
「ウォンテッド(指名手配)」はユーロディスコだった T-GROOVE:アメリカでのデビューシングルとなった「Kiss In The Dark」(1979年)もロサンゼルス・レコーディングでしたね。
未唯mie:音楽プロデューサーのマイケル・ロイド(*当時、レイフ・ギャレットやショーン・キャサディなどをプロデュース)のスタジオでした。
T-GROOVE:その少し前に都倉先生も、“サム・クラート・オーケストラ” という名義のディスコ・プロジェクトでイタリアに進出しているんです。「Sansoo Dancing」(サンスー・ダンシング)というシングルを現地でリリースしています。また、ピンク・レディーの「ペッパー警部」と「ウォンテッド(指名手配)」の英語バージョンもヨーロッパでリリースされていますよね。
未唯mie:当時は、ヨーロッパに進出というよりも、私たちの曲を向こうでも販売したいという感じだったと思います。
T-GROOVE:いずれにしても、都倉先生が作っていた曲はヨーロッパでも受けるディスコサウンドになっていました。
未唯mie:都倉先生が私のラジオ番組にゲストでいらした時、ピンク・レディーの楽曲のモチーフにしているサウンドがあるという話をされていました。
T-GROOVE:「ウォンテッド(指名手配)」にしても、完璧にユーロディスコとして成立していますよね。ドイツの人気ディスコプロデューサー、バーント・モハルがコズミック・ギャル名義でカバーしたこの曲のディスコバージョンが1978年にヨーロッパ諸国でリリースされています。
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西ドイツのアラベスクにも影響を与えたピンク・レディー 未唯mie:アメリカとヨーロッパのディスコサウンドの違いって、どの辺にあるの?
T-GROOVE:傾向として、ヨーロッパはメロディーの展開が複雑でドラマティックな曲が多い。一方、アメリカは基本的に同じコードの繰り返しでシンプルな曲作りが主流。そういう違いがあると思います。
未唯mie:なるほど。アメリカでレギュラー番組(アメリカ3大ネットワークのひとつ、NBC系で放送されていた冠番組『ピンク・レディー・アンド・ジェフ』)を持った時になかなかオリジナル曲を歌わせてもらえなかったのは、そういう理由があったのかもしれませんね。
T-GROOVE:日本で歌っていた楽曲を引っ提げて進出するのではなく、アメリカサイドで曲を用意する形になったのも、好まれる音楽性の違いがあったからではないでしょうか。もしかしたら、ピンク・レディーのサウンドをそのまま受け入れやすかったのはヨーロッパだったのかもしれません。そう考えると、アメリカではなくヨーロッパに進出していたらどうなっていたのか、気になるところです。
未唯mie:みんなが “目指せアメリカ” だったからね。日本全体がそうだった。
T-GROOVE:ちょっと面白い話があって、当時、西ドイツの女性3人組のボーカルグループ、アラベスクが日本でも爆発的にヒットしていたんですね。それで日本のアラベスク担当のディレクターが “こういう曲を作ってくれないか” と、ピンク・レディーのレコードを西ドイツに送ったというエピソードを聞いたことがあります。そう考えると、アラベスクもピンク・レディーから少なからず影響を受けていたのかもしれません。
未唯mie:それは面白い!
T-GROOVE:彼女たちの「今夜もロックミー」(Rock Me After Midnight)とかも、ストリングスの入り方が「カメレオン・アーミー」を思わせるんですよね。
未唯mie:ピンク・レディーもアラベスクの「ハロー・ミスター・モンキー」とか演っていたし。シングル「ピンク・タイフーン(In The Navy)」のB面にライブバージョンが収録されています。
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日本のディスコDJを騒然とさせた「Kiss In The Dark」 T-GROOVE:そして1979年5月、ピンク・レディーは「Kiss In The Dark」でアメリカデビューするんですよね。この曲がリリースされた時、日本のディスコDJたちはかなり騒然となったようです。なぜか、アメリカでの活動は日本でほとんど報道されていなかったですよね。
未唯mie:そうですね。
T-GROOVE:だから、ピンク・レディーがアメリカで何をしているのか、ほとんど情報が入ってこなかった。そんな中で「Kiss In The Dark」のプロモーション用12インチが出回って、ピンク・レディーがすごく本格的なディスコサウンドをやっていると、みんな驚いたようです。
未唯mie:今考えると、慣れないアメリカ進出で、スタッフも十分にコントロールできなかった部分が多かったんじゃないかと思います。あの時は日本の仕事とか市場のこととか、あんまり意識していなかったかもしれません。イケイケドンドンでNBCのレギュラー番組が決まって、急遽渡米しなくてはならなくて。その時、日本では1年半先までテレビ番組やコンサートツアーなどが決まっていたのですが、全部キャンセルしてアメリカに行っちゃったの。そういう事情もあって、アメリカでの活動があまり報道されなかったんだと思います。
T-GROOVE:ディスコのDJや輸入レコード店の人たちはピンク・レディーがすごくカッコいいレコードを作ったということを知っていましたが、一般の人たちには、なかなか広まらなかった。
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「Kiss In The Dark」は全米ビルボード37位を記録 未唯mie:アメリカでの活動については、知られないどころか、ピンク・レディーはアメリカで失敗したなんていう話が流れてしまって……。
T-GROOVE:「Kiss In The Dark」の世界発売は1979年5月で、日本でのリリースは9月。同じく9月には、本格的なディスコサウンドの「マンデー・モナリザ・クラブ」もリリースされています。
未唯mie:「Kiss In The Dark」については、洋楽カバーアルバム『WE ARE SEXY』(1979年12月)を制作した際、日本で改めてレコーディングしましたね。
T-GROOVE:「Kiss In The Dark」は本当にすごい曲だと思います。ディスコサウンドとしても完璧で、「Billboard Hot 100」で37位を記録。日本のアーティストでトップ40入りを果たしているのは、坂本九「Sukiyaki」(1963年1位)とピンク・レディー「Kiss In The Dark」(1979年37位)、そしてJoji「Glimpse of Us」(2022年8位)の3曲しかありません。この3曲だけという事実を考えても、「Kiss In The Dark」が残した記録の大きさが分かります。
*後編では、アメリカ進出後の冠番組『ピンク・レディー・アンド・ジェフ』のエピソードから、T-GROOVEがプロデュースを担った新曲「Anti Limit」の制作背景、そして未唯mieが今もピンク・レディーの楽曲を歌い続ける思いまで、お二人にたっぷりと語っていただきます。
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2026.09.04