12月1日

音楽が聴こえてきた街:尾崎豊の見た渋谷の夕陽と歌舞伎町のダンスホール

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photo:SonyMusic  

尾崎豊の記念碑があるという――。

この話を聞いて僕は、ブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」の歌詞にある「世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう」という一節を思い出した。それは、日本中の尾崎ファンにとっても同じ心境だろう。しかし、同時に記念碑を前にして、そんな気持ちと相反した感慨が不意に沸き上がってきた。


■記念碑に刻まれた「十七歳の地図」

尾崎は、自身の内から吐き出される真理と、現実とかけ離れたパブリックイメージとの軋轢(不一致)に悩み、戦い続けたアーティストだ。そんな早世のスターの記念碑が彼の心の故郷とも言える渋谷にある。

場所は、渋谷駅からほど近い旧東邦生命ビル前の歩道橋近く、現在の渋谷クロスタワーテラスだ。そして、この記念碑には尾崎のキャリアのスタートとも言えるアンセム、「十七歳の地図」の歌詞の一節が刻まれている。


 人波の中をかきわけ
 壁づたいに歩けば
 しがらみのこの街だから
 強く生きなきゃと思うんだ
 ちっぽけな俺の心に
 空っ風が吹いてくる
 歩道橋の上 振り返り
 焼けつくような夕陽が
 今 心の地図の上で
 起こるすべての出来事を照らすよ
 SEVENTEEN’S MAP


そう、尾崎はとことん正直に自らのロックンロールと向き合ってきた。


■尾崎の決意表明

デビュー前、渋谷駅から徒歩12~3分の青山学院高等部に通っていた尾崎だから、この歌詞に出て来る「人波」というのは、駅前のスクランブル交差点かもしれない。そして、彼が焼けつくような夕陽を浴び振り返った歩道橋こそが、この記念碑が置かれた場所だとされている。2019年の今日、この歌が世に出てから30年以上経ち、再開発の波が押し寄せる渋谷の街であっても、雑踏に吹く風の色、通り過ぎていく人々の風情は、当時となにひとつ変わっていない――。

街に流れる流行歌、彩り鮮やかだがどこか空虚なネオンサイン。それでも若者は何かを求めて街に繰り出す。尾崎は欲望と希望が入り混じった雑踏の風景を俯瞰しながら、「今 心の地図の上で 起こるすべての出来事を照らすよ」と歌う。

つまり、ファーストアルバムのタイトルにもなったこの「十七歳の地図」は、自分の目で見たこと、体感したことだけを歌にしていこうという決意表明だ。そしてこれは、嘘、作り物は歌いたくないという尾崎の純真な精神性の表れだったのだと思う。


■歌舞伎町のディスコから生まれた「ダンスホール」

「十七歳の地図」と同じように、尾崎自身の原体験から生まれた楽曲として思い出されるのが、CBSソニーが主催するオーディションで歌い、デビューのきっかけとなった「ダンスホール」である。

この楽曲は、1982年6月に起こった「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件」がモチーフにされたと言われている(尾崎はこの時16歳)。歌舞伎町のディスコ、ワンプラスワンでナンパされた、当時14歳だった二人の家出少女が何者かに殺傷された強盗殺人事件。未だ解決に至っていないこの事件を当時の尾崎はどのように捉えていたのだろう。


 安いダンスホールは
 たくさんの人だかり
 陽気な色と音楽と
 煙草の煙にまかれてた
 ギュウギュウづめのダンスホール
 しゃれた小さなステップ
 はしゃいで踊りつづけてる
 おまえを見つけた。


彩り鮮やかなカクテルグラスを映すミラーボールとフロアの熱気が夢心地にさせてくれたディスコの情景。それをあえて昭和歌謡のような古めかしい言葉を選び奏でる尾崎――。

1982年といえば、ボーイズ・タウン・ギャングがフランキー・ヴァリの名曲「君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off You)」をリメイク。ミラーボール輝くディスコのフロアを沸かせていた。翌年には映画『フラッシュダンス』が公開され、主題歌「ホワット・ア・フィーリング」も歌舞伎町ではヘビロテされていた。この一連のヒットは、1978年の『サタデー・ナイト・フィーバー』公開時の大ディスコブームに次ぐ、大きなムーブメントであった。

確かに歌舞伎町のディスコはヒットナンバーに彩られた流行の発信基地だった。そして行き場をなくしたティーンエイジャーの心の拠り所でもあった。事件に巻き込まれた二人も例外ではないだろう。家族や学校との不和、自分の存在証明、虚しさが募る日常… ほんの些細なことが原因で十代の多くの少年少女が行き場を失くしていた。煌びやかな光景の影にある、そんな蒼い心情がセンシティブな尾崎のハートに突き刺さっていたのかもしれない。痛いぐらいに…

1983年12月、尾崎豊はアルバム『十七歳の地図』でデビューを果たす。僅か1300枚のファーストプレスだったが、アルバムに収録された全10曲には、ディスコの熱狂では拭いきれない、燻ぶり続ける十代の想いが尾崎の言葉で綴られていた。

そして、この翌年… ディスコシーンに大きな異変が起こる。


■風営法の大幅改正

1984年8月14日大幅改正(1985年2月13日施行)、この改正でこれまで「風俗営業等取締法」だった名目を「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」に改正。対象の店舗は営業を午前0時までとされた。これにはディスコはもとより、ゲームセンターなども含まれていた。つまり、十代の少年少女たちの深夜の行き場は失われていったのだ。この要因のひとつとして、「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件」も挙げられている。

これまで、不良少年少女の漂流地であった歌舞伎町のディスコはパーティ気分で音楽を楽しむどこにでもいる普通の高校生たちの遊び場となり…

「少し酔ったみたいね しゃべりすぎてしまったわ」

と「ダンスホール」の中で歌われていたカクテルは高校生の客を配慮してか、いくら飲んでも酔わないカクテルジュースに変わっていった。中間・期末といった定期試験の時期のフロアはガラガラ。遊びと学校を上手く両立し、大人向けの作り笑いを心得た器用なティーンエイジャーの社交場へと変わっていった。放課後のクラブ活動のようにディスコに通っていた高校生には、「ダンスホール」の主人公がお伽噺のように感られたのではないか?

そんな歌舞伎町の光景を尾崎が見たら、どんな歌をつくるのだろう。きっと今ある「ダンスホール」とは違うものになるに違いない。とは言え尾崎の心の地図の上で起こる出来事である。ガラスのように繊細な感性で描かれていたと思う。

2019.03.27
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カタリベ
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