尾崎豊のライブに心酔してみたかった…
尾崎豊の霊柩車を追いかけたい。子供の時に見た、尾崎豊の葬式の映像が忘れられない。黒い車を追いかけるファン達が「ゆたかぁ~!!」と絶叫していて、それが衝撃的で私もなんとなくいつかあれをやってみたいなと思っていた。レコードの上の彼ではなく、ステージの上の彼に惹き込まれてみたかったと思う。尾崎豊に心酔してみたかった。
時々、YouTube を開いて当時の映像を見るのだけど、音楽だけで知る以上の魅力があって、「魂を削ってステージ立ってるんだな…」というのが伝わってくる。まあ、本当に削っちゃったんだけど…。痛いなあと冷笑的に思うこともあるけど、大抵、こちらがお酒を飲んでいたり、ホルモンバランスが乱れてたりする時で、尾崎の歌がよく染みる。本当は自傷的にならずに、感受性を研ぎ澄ませて彼の曲を聴けるくらいの健全でナイーブなハートを常に持っていたい。
私は「Scrambling Rock'n'Roll」「ダンスホール」がお気に入りで、この2曲に出てくる女の子たちの描写が好きなのだ。「Scrambling Rock'n'Roll」は「♪ 通りすがりの着飾った彼女は クールに夜を歩く 悲しませるもの すがりつけるもの 胸にいくつかかかえ…」の部分。「ダンスホール」に登場する、高校を辞めて夜の街で働く小粋などら猫みたいな女の子。この2曲のステージ映像は何度も見ている。
ただ、92年に死んだ彼のステージを96年生まれの私が体験することは叶わない。映像ならいくらでも見られるけれど、私は観衆と一体感をもって尾崎豊を体験したいのだ。
映画「尾崎豊を探して」映し出された普通の繊細そうな青年
尾崎豊の映画が公開されると知り、スクリーンで彼が見られるという期待に胸を膨らませ、友達と観に行ってきた。
映画『尾崎豊を探して』はライブシーンの合間に、尾崎豊のモノローグやイメージビデオのようなものが挟まれる。当時のレアな映像ばかりだ。スクリーンに映る尾崎豊の顔の綺麗さと、繊細な佇まいに悶絶した。ライブシーンだけで全力で盛り上がりたい気持ちが削がれてしまうのは少し残念だったが、一緒に行った友達とは今度別でライブ DVD を観ることにした。
良かったシーンがいくつかあって、彼のライブ後、楽屋にやってきた親戚の子供たちの前で “素” に戻っている尾崎豊はとても印象的だった。普通の繊細そうな青年で微笑ましかった。「なんなんだこの人は… このおにいちゃんは何をやってるんだろうって思ったでしょ… いや… 写真なんて…」とか言って、照れ笑いする美形の青年は、さっきまではステージから下りてスタッフが止めるのも聞かずに会場を走り回って歌っていたのだ。
恥とか恐れの裏返しにある発散は、いつだって魅力的だと思っている。開き直りの美学みたいなのがあると思っていて、そういうメンタルでステージに立っている人を私は尊敬している。
尾崎豊と同じ時期に青学の高等部に通っていた人に、当時の彼の様子を聞いたことがある。「尾崎先輩は、静かで真面目な剣道部の先輩。文化祭ではギターを弾いたりしていたけど、そんなに強い印象にない」と話してくれた。
「そういう気持ち」になってみる面白さ、それが尾崎豊の世界?
曲のイメージに反して、本人は盗んだバイクで走り出してもいなければ、窓ガラスも割ってないというのはよく言われるけど、逆に本当に割ってしまうのならそこで発散されるわけで…。
頭の中でそれくらいのパッションがありながら、そのエネルギーを発散するはけ口が歌にしかないのなら、本当にしているかというのは “どうでもいい” ことで、むしろしていないからこそ歌になるという部分があると思う。
創作の中で、バイクを盗んだりガラスを割るのも、思春期の行動のひとつだと思う。それはたとえばバーで働くどら猫と本当に恋をしていなくても、「そういう気持ち」になってみる面白さが表現の世界にはある。
26歳で死んだことに意味づけをしたくなるのも、霊柩車を追いかけてるファンも、彼の精神世界に引きずられてしまっているともいえる。ただ、私もそこであえてその世界観に心酔してみる当時のファンになってみたかったなと妄想しては、気分が沈む帰り道には尾崎豊を聴いたりしている。
2020.03.04