3月24日

歌謡曲との親和性! ライオットは日本と不思議な絆で結ばれたメタルバンド

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ライオットのアルバム「サンダースティール」が米国でリリースされた日
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photo:SonyMusic  

80年代の最後―1989年12月、ライオットの初来日公演開催!


80年代の最後という節目に、皆さんは何のライヴをご覧になっただろうか。90年代へのカウントダウンが1ヶ月を切った1989年12月11日、僕はライオットのジャパンツアーの初日を観るために、大阪・毎日ホールにいた。

「ついにライオットのライヴを体験できる!」

会場にいるメタルファンの誰もが、そんな高揚感で緊張しているように見えた。場内が暗転し、ライオットの総帥、マーク・リアリが奏でる「ナリタ」のイントロが飛び出した瞬間、興奮は早くもピークを迎えた。インストゥルメンタルで奏でられる、この名曲の旋律に合わせて観客はシンガロングで必死に応えている。

ヴォーカルのトニー・ムーアが登場して、日本のファンに愛されてきた楽曲の数々を、惜しげもなく繰り出していく。ボビー・ジャーゾンベクが叩き出す激しい2バスのリズムに合わせて、ヘッドバンギングしていると、胸に熱いものが込み上げて、自然と涙が溢れてくる。多くの観客が、きっとそんな状況に見舞われたことだろう。

日本との不思議な絆で結ばれたヘヴィメタルバンド、ライオット。彼らの初来日公演が、80年代に数多観た、どのライヴとも異なる深い興奮と感動をもたらしてくれたのは、両者が繋がっている絆を… ようやく実現したライヴを通じて、強く実感したからに他ならない。

五十嵐夕紀のシングル「バイバイ・ボーイ」はライオットのカヴァー


ライオットと日本の縁は、1978年に国内リリースされたデビュー作『ロック・シティ』に遡る。「トーキョー・ローズ」と名付けられた楽曲が収録されていたのも興味深いが、それ以上に驚いたのは、彼らの楽曲がいきなり日本語でカヴァーされたことだった。

のちにライオットの代表曲となった「ウォリアー」は、当時のアイドル歌手、五十嵐夕紀のシングル「バイバイ・ボーイ」として姿を変え、翌1979年8月、日本の歌謡界に送り出されたのだ。洋楽の有名ロックバンドのカヴァーならともかく、まだデビューして間もない、洋楽ハードロックバンドの楽曲が取り上げられたのは異例だった。

「♪ シャイン シャイン オン」というサビの英詞は、「♪ バーイ バイ ボーイ」という全く異なる歌詞に書き変えれられたのはご愛嬌だが、馬飼野康二が編曲を手がけたアレンジは、意外にも原曲が持つハードロックテイストを色濃く残しており、歌謡曲にしてはアップテンポのままだった。

こうした、日本の歌謡曲との優れた親和性があった事実は、ライオットの楽曲に、当初から日本人好みの “侘び寂び” が含まれていた証に他ならないだろう。

さらに、1979年のセカンド作『ナリタ』は、その名の通り、当時の日本で大きな社会問題になった、成田空港に伴う成田闘争から名付けられたものだ。ジャケットには “成田” の漢字と飛行機が、さらにのちにバンドのキャラクターと化していく、アザラシが頭になった相撲取りが描かれていた。

まさにカオスなトンデモジャケットだったが、拙いヴィジュアルからは想像できない、デビュー作を凌ぐクオリティの作品に仕上がった。お得意のスピーディーなリフや、叙情的で哀愁を帯びたメロディも強化され、まさに日本との繋がりをさらに強めていく中で、初期の名曲が生み出されていった。

メタルブームにもかかわらず低迷していった不運


80年には、イギリスで開催された『第一回モンスターズ・オブ・ロック』に出演し、レインボー、スコーピオンズらとフェスのライヴ盤に楽曲が収録されるなど、順調に活動を続けた。

しかし、1981年のサード作『ファイアー・ダウン・アンダー』は、本国では過去最高のヒットを記録し、優れた内容にも関わらず、日本では前2作ほど話題に上ることはなかった。これは、80年代に入りニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)が勃発し、新進気鋭なバンドが数多く登場したことで、70年代末期のシーンを支えてきた、ライオットのようなバンドの存在自体が、オールドウェイヴとして不当に評価されてしまったのが一因かもしれない。

さらに、追い打ちをかけるように、マークと並んでライオットの顔的な存在だった、ヴォーカルのガイ・スペランザが脱退。彼らは新たなヴォーカル、レット・フォリスターを迎え、1982年に『レストレス・ブリード』を発表するが、従来のライオット節は影を潜め、より本国のマーケットを見据えたグルーヴ感を重視した方向性に転換していた。結果として次作『ボーン・イン・アメリカ』では、メジャーレーベルとの契約までも失い、ライオットは解散状態へと追い込まれてしまう。

そんな中でも、マークは自らの音楽活動を諦めていなかった。ライオット名義ではなく、NARITA名義等により、水面下で活動を続けたことが功を奏し、1986年にはメンバーを一新したライオットとしての復活が実現したのだ。

正統派ヘヴィメタル、必殺のアルバム「サンダースティール」


そして1988年、ライオットから届けられた新しい音源を聴いた日本のメタルファンに、最大級の衝撃が走った。ラインナップを一新して作られたアルバム、『サンダースティール』には、タイトル曲に代表されるように、メロディ、パワー、スピードの全てを80年代仕様にチューンナップした、新たな “メタルの教科書” 誕生というべき、極上の正統派ヘヴィメタルが収められていたのだ。

伸びやかで超絶なハイトーンヴォイスを持つトニー・ムーア、ピック弾きの技巧派ベーシストのドン・ヴァン・スタヴァンと、2バスを駆使して複雑なフレーズを叩き出すバカテクドラマーのボビー・ジャーゾンベクによる鉄壁のリズム隊。そして、他のメンバーに触発されるように、マーク・リアリまでもが、これまでにないほど速く、メロディアスなソロと強烈なリフの数々を奏でた。

アルバム『サンダースティール』が発売されるや、多くの日本のメタルファンが、この傑作に対して一様に快哉を叫んだ。1988年といえば、ボン・ジョヴィやガンズらが大ブレイクし、HM/HRがメジャーな音楽ジャンルとして、まさにメインストリームに躍り出ていた絶頂期だ。

その一方で、ポピュラリティを増していくHM/HRへのアンチテーゼのごとく、メタリカら過激なスラッシュメタルが支持を集め、日本ではハロウィンに代表される、日本人の嗜好に合った “メロディック・パワー・メタル” が存在感を増していた。

HM/HRシーン全体が巨大なマーケットの渦中で産業化していく過程で、本来ヘヴィメタルが堅持していたアイデンティティが、次第に失われていったのも事実だろう。そんな中で救世主として登場したライオットの『サンダースティール』は、ど真ん中の正統なヘヴィメタルとは何か? という命題に対し、明確に答えてくれる必殺の一撃となったのだ。

そして、『サンダースティール』リリース後に実現した前述の初来日公演を経て、ライオットに対する日本のメタルファンの信頼と忠誠は、決定的なものになっていった。

正統派メタルは続く、日本とライオットが積み重ねてきた “鋼鉄の絆”


ライオットの勢いは止まらず、90年には前作の方向性を推し進めた『ザ・プリヴィレッジ・オブ・パワー』を発表。さらに、初来日から1年を待たずに、規模を拡大した再来日ツアーも実現させ、日本との絆は一層深まっていった。

その後、グランジ・オルタナ禍に突入するが、正統派メタルの多くを壊滅に追い込んだ暗黒の時代においても、メンバーチェンジをしつつ、ライオットはコンスタントに日本での作品のリリースと、来日公演の機会を積み重ねていった。

自らを見失い、音楽性すら変えてしまうメタルバンドが続出する中でも、彼らはそのスタンスを変えず、日本のファンが待ち望む、メロディックな正統派メタルを供給し続けてくれた。それはまるで、『サンダースティール』をどの国のメタルファンよりも真っ先に評価し、ライオットを蘇生させる原動力になった日本のメタルファンに対する、彼らからの恩返しのようにも思えた。

2012年にマーク・リアリが病でこの世を去った悲劇は、長きに渡りその絆を積み重ねてきた日本のファンにとって、あまりにも辛い出来事になった。

ライオットはもう終わりだ… そう嘆いたファンも多かったはずだ。しかし、バンドはドン・ヴァンが中心となり、メンバーを一新しつつも、ライオットV名義で活動を継続。今もトレードマークの美しいメロディと、スピード感に拘った正統派メタルを生み出し続けている。

1989年末に僕が初来日公演を観て以来、ライオットはこれまで実に13回もの来日を果たしている。そこに刻まれた日本とライオットが積み重ねてきた “鋼鉄の絆” の歴史。それは、コロナ禍の困難を乗り越えた先も、きっと続いていくことだろう。



2020.11.27
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  Apple Music
 

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カタリベ
1968年生まれ
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