1994年 8月31日

伊藤銀次とウルフルズ ③ 開花するトータス松本の才能!天才的ロック詩人の片鱗がここに

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即戦力でレコーディングできそうなのは「あの娘に会いたい」だけ


プロデュースを引き受けたウルフルズのメンバーから1994年1月にもらった40曲ほどの中から、即戦力でレコーディングできそうなのは「あの娘に会いたい」だけだったので、新たにメンバーに曲を書いてもらうことになった。

それまでの作詞トータス、作曲ケイスケというルーティンをいったん離れて、メンバー全員にソングライティング依頼をしたのは、ひょっとにしてまだ泥をかぶった未知の才能が、それまでのバンドの人間関係に隠れて表に出てきてないのではというなんとなくの予感からだった。なんと驚いたことにドラムのサンコンJr.も曲を書いてきた。残念ながら今回の僕の欲しいものではなかったが、彼のおおらかでまっすぐな気持ちが表れていてうれしかったね。

そしてトータス。すでに僕が没にした曲たちの中にトータスの曲もあったが、なんとどれも4小節や8小節しかないアイデアの断片みたいなものばかり。しっかりとアレンジされたケイスケのデモ音源と比べるとはっきり言って曲として形をなしていなかった。しかし、どれもインパクトが強く個性的。なんか魅力があるのだ。そこで彼とのやりとりはそのアイデアを核にして発展させていく形で始めることにした。僕の記憶では、すでにライブでも演奏していた「すっとばす」という曲からとりかかったような気がする。

改めて彼にこの曲を作った動機を尋ねてみると、友達のロードレーサーのために作った曲だという。確かにそのときのヴァージョンには “あの街この街…” という言葉も出てきていた。おお、だから「すっとばす」なのか!ただそのままだと聞き手がテーマを共有しにくくて、せっかくの「すっとばす」というヤケにパンチのあるタイトルが生きてこなくて惜しい気がした。するとひらめいたのは、まだ売れてないバンドが、さあいくぞとばかりブレイクに向かってすっとばしていく勢いのある歌にしたらおもしろいんじゃないかというアイデアだった。これをトータスに話すと、たぶんまだ半信半疑ながらとりあえずやってみようということになった。



曲作りの形はトータスがピッチャーで僕がキャッチャー


まずこの曲はサビらしきものがなくてあっというまに終わってしまう曲だったのでサビを作るところから始まり、曲が形になったところで、いよいよ肝心な歌詞を考えてもらうことに。その後のトータスと僕との曲作りの形がこの曲から始まったような気がする。

野球にたとえるとトータスがピッチャーで僕がキャッチャー。僕がサインを出すがごとく、たとえば〇〇な世界観や〇〇な言葉は? と彼に投げかけると、ちょっと考えた後に、速球で投げ返してくる。まだやりとりが始まったばかりだったこの時は、大きくはずれるボール球もあったけれど、その投げ返してくる言葉の中に、すでに今まで聞いたことのないような信じられないような言い回しがあって、とてもドキドキワクワクさせられたね。後年の彼の天才的ロック詩人の氷山の一角の片鱗がうれしいことに姿を表し始めたのだ。

現代の植木等的ロック怪人像がみごとに具現化した「すっとばす」


ただ、この頃はまだ、ときどき僕が “たとえばこんなのはどう?” と提案したのがそのまま使われることもあって、作詞がトータスと僕の共作になっているのはそのタイプ。たとえば「すっとばす」では「♪耳の穴と鼻の穴開通さして のぞみ号走らしたろかーちゅーてんのや!」。これは僕のアイデア。これは昔の人気TV番組『てなもんや三度笠』の “奥歯ガタガタいわしたろか” のパロディ。だけどそのあとにトータスから出てきた「♪ゴータマシッダルーダ ダイバダッタ 世の中こんなもんだ Go Now!」のオリジナリティーには参りました。やがて、その後のマキシシングルの作業を進めていくうちに、だんだん僕の言葉はなくなって彼の言葉だけになっていったことは言うまでもない。

なんでも初めは大変だ。かなりエキサイティングだがシビアなやり取りの末に、ついに「すっとばす」の形ができあがった。僕が彼に当初描いていた、現代の植木等的ロック怪人像がみごとに具現化した曲になったことは、予想を上回る最高の滑り出し。このスタイルで続々とインパクトのある楽曲が形をなしてくるのだが、いよいよレコーディングに向けたバンドのリハーサルが始まるのは、なんと4月も末のことだった。

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2024.10.26
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カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
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