渋谷系を象徴する名盤、小沢健二「LIFE」
かつて、渋谷系と称されたムーブメントがあった。これはひとつの音楽ジャンルを示すのではなく、レコードカルチャーを主体とした都市型のムーブメントだった。そしてこのムーブメントを象徴する名盤が94年8月にリリースされたのが小沢健二『LIFE』だ。
渋谷にはこれまで、タワーレコードやWAVEなどの大型店舗の他にもレコードを商品の主体とする中小の店も存在していたが、90年11月16日、外資系大手レコードショップHMV日本第1号店が渋谷にオープンしたことで潮目が変わる。マニアックな個性で勝負する店が続々とオープン。程なくして、店舗が密集していた宇田川町界隈は “レコード村” と言われるようになる。
それぞれのレコード店が得意とするジャンルも多彩だ。ヒップホップ、ボサノヴァ、60年代、70年代のポップミュージック、ソウルミュージック…。この多彩なジャンルから好みをより分け、会話を楽しみ、音楽を基盤とした生活をのんびりと送っていた若者たちがいた。彼ら、彼女らは “短冊” と言われた8センチのシングルCDがミリオンヒットを連発している時代に12インチのアナログ盤を愛した。
大半は学生で、総じて二十代になったばかりだろうか。そんな耳の肥えた若者たちに支持された、ピチカート・ファイヴ、オリジナル・ラブ、スチャダラパー、カヒミ・カリィ、ラヴ・タンバリンズなど、多岐のジャンルに渡るアーティストが渋谷系と称された。
共通言語はフリッパーズ・ギター
80年代の音楽カルチャー、例えば、バンドブームでも、主体は十代だった。なけなしのお小遣いから1枚のレコードを選び、擦り切れるまで聴く、または、レンタルレコードで借りたレコードをカセットにダビングして、何度も巻き直して聴くなど、若さの特権とも言える衝動がムーブメントの基盤となっていたが、渋谷系は違った。
この渦中にいた大半の若者は豊かだった。大学に通い、バイトをする時間もある。好みのジャンルを掘り下げ、レコード店を何軒も周る。午後ののんびりとした時間にカフェで何時間も音楽の話に没頭する。そんな若者たちの共通言語のひとつがフリッパーズ・ギターだった。
渋谷系というムーブメントと前後してフリッパーズ・ギターは解散。ソロに転じた小沢健二は、解散から2年を経た1993年、ファーストアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』をリリース。好調なセールスを得て、小沢は “渋谷系の王子様” と囁かれるようになる。そして翌年リリースされたのが『LIFE』だ。
アルバムから溢れ出る小沢健二の音楽愛
このアルバムから溢れ出る小沢の音楽愛、レコードカルチャーを基盤とした力強いオマージュは随所に漲っていた。アルバムタイトルにしてもジャケットのアートワークにしても、彼が敬愛するスライ&ファミリーストーンのアルバム『LIFE』をモチーフとしている。
そして、ソウルミュージックなどの元ネタをちりばめながらも、時代に即したカラフルな色彩をデコレートした収録曲の数々。有名どころでは、このアルバムからリカットされた「ラブリー」ではR&Bシンガー、ベティ・ライトの「クリーン・アップ・ウーマン」からギターカッティングを大胆に引用。それはまさしく確信犯だった。
つまり、小沢と同じように青春を謳歌した渋谷系の渦中にいた若者たちへ、「これでいいんだよ、自分たちのスタイルを貫こう」というメッセージが内包されているように思えてならなかった。
「愛し愛されて生きるのさ」で感じたリアリティ
それは、メロディだけではない。リリックのひとつひとつにしても同世代への賛歌だと思えてならない。同世代とはつまり、恋に恋するティーンエイジャーでもなく、結婚を決意する世代でもない。ただ、愛の大切さはなんとなく理解できた。しっかりと、ひとりの人としっかり向き合おうと思えてきた渋谷系の世代だ。
1曲目に収録されている「愛し愛されて生きるのさ」にはーー
―― ふてくされてばかりの10代を過ぎ分別もついて齢をとり
夢から夢といつも醒めぬまま僕らは未来の世界へ駆けてく
―― という一節がある。個人的な話で恐縮だが、この曲との出会いは、仕事の移動中、つけっぱなしのカーステレオから突然流れたという、人生を左右する音楽との出会いには最も相応しいシチュエーションだった。
車は渋谷の並木橋を通過しようとしていた。渋谷で青春時代を過ごし、恋に悩み、でも大人にならなくちゃいけないという焦燥があった二十代の半ば、このフレーズは自分のことを歌っているのではと思えるほどの説得力があった。自然と涙が流れたきた。―― ああ、僕らの歌だ… と思えた。
そして「愛し愛されて生きるのさ」はーー
―― 10年前の僕らは胸を痛めて「いとしのエリー」なんて聴いてた
ふぞろいな心はまだいまでも僕らをやるせなく悩ませる
―― と続く。このフレーズが奏でられた瞬間「愛し愛されて生きるのさ」は僕らの世代の「いとしのエリー」になった。まだ分別のつかない頃に聴いた「いとしのエリー」は物語としての憧れでしかなかったけど、この曲で感じたリアリティは今も心の片隅にしっかりと根を下ろしている。
「街でみんな夏の噂 / 僕たちのロマンスもバレてる(東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー)や「寒い冬にダッフル・コート着た君と / 原宿あたり風を切って歩いてる」(ドアをノックするのは誰だ?)と歌う『LIFE』には豊かな時代を共に過ごした僕らの日常が、僕らの四季が、僕らの生活が全て詰まっている。
そしてこの名盤は、渋谷系というムーヴメントから30年経った今もエバーグリーンな輝きを放ち続けている。
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2023.04.14