2月26日

世界的アニメ【ドラゴンボール】高橋洋樹が歌った「魔訶不思議アドベンチャー!」の功績

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日本のアニメが世界的な巨大産業になったきっかけは「ドラゴンボール」


2兆7422億円―― これは2021年の、日本のアニメの市場規模である(2022年11月、日本動画協会調べ)。これは国内・国外を合わせた関連市場も含む数字で、過去最高を記録した。よく “2兆円産業” といわれるアニメ産業は、もはや “3兆円産業” に迫りつつある。

日本のアニメが世界的な巨大産業になったきっかけというと、やはり『DRAGON BALL』(以下『ドラゴンボール』)だろう。バンダイナムコHDが発表した2023年3月期決算によると、『ONE PIECE』関連の2023年度売上は863億円。これだけでも巨額の数字だが、実はこれを凌ぐのが『ドラゴンボール』なのだ。関連売上額は、なんと1445億円! 1995年6月に『週刊少年ジャンプ』の連載が終わってから30年近くが経過するのに、今なお国内外での人気が衰えないのだからすごい。

1984年11月に連載が始まった『ドラゴンボール』。私は当時17歳だった。『ジャンプ』が掲げるキーワード「友情・努力・勝利」はどうにも苦手な私だが、鳥山明は大好きなマンガ家だった。同じ名古屋出身であり、ニコチャン大王が名古屋弁をしゃべり倒す『Dr.スランプ』(1980~1984年『週刊少年ジャンプ』連載)が、どえりゃーツボにハマったからだ。『Dr.スランプ』は、本来の主人公だった則巻千兵衛博士より、彼が作った女の子型ロボット・アラレちゃんが人気を集め『Dr.スランプ アラレちゃん』というタイトルで、1981年4月にフジテレビ系でアニメ化。大ブームを巻き起こした。

ただ悲しいかな、ブームが去るのも早かった。1984年8月に『Dr.スランプ』は3年半の連載を終了。その3ヵ月後、担当編集者・鳥嶋和彦氏のバックアップで始まった新連載が『ドラゴンボール』である。鳥嶋氏はのちに『週刊少年ジャンプ』の辣腕編集長として有名になるが、私は氏の顔を見るたびに『Dr.スランプ』に登場する千兵衛博士のライバル「Dr.マシリト」(鳥嶋氏がモデル)を思い出し、申し訳ないがつい笑ってしまう。ま、それは置いといて。



8人の勇者たちが集まり、力を合わせて強敵を倒すストーリー


てなわけで、『ドラゴンボール』の連載開始時、私はもう子どもではなかったが、「鳥山明の新作が読める!」とワクワクしながらページをめくっていった。初見の感想は「これ、”八犬伝” じゃん!」。私が小学生の頃、NHKで『新八犬伝』という連続人形劇が放送されていた(1973年4月〜1975年3月)。江戸時代に曲亭馬琴が書いた『南総里見八犬伝』が原作。辻村ジュサブロー製作のインパクトある人形と、坂本九の名調子で展開する時代物ファンタジーで、毎日夢中になって観ていた。

「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字が入った数珠の玉を持つ8人の勇者たちが集まり、力を合わせて強敵を倒すストーリーで、おそらく鳥山明もこの『新八犬伝』を観ていたのだろう。また、主人公の名前が「孫悟空」であることからも自明だが、これに中国古典『西遊記』の要素を加えたのが『ドラゴンボール』だ。

連載当初は「ドラゴンボールを集めて神龍を呼び出し、夢を叶えてもらう」のがストーリーの軸だったが、人気が伸びなかったため、もっと主人公のキャラを立てようと「悟空がひたすら強さを追い求める」ストーリーへと変わっていった。亀仙人との修行を経て、悟空が「天下一武道会」に出場したあたりから人気が急上昇。かくして、こちらも1986年2月からフジテレビ系でアニメ版がスタートした。

1989年4月から、制作体制を一新した続編の『ドラゴンボールZ』(原作の「サイヤ人編」から最終話まで)が放送開始。こちらは途中から主役が悟空の息子・孫悟飯に移り、1996年1月まで6年以上も続く超ロングラン作品となった。また世界40ヵ国以上で放映され、世界中に熱烈なファンが存在するモンスターアニメとなったのはご存じのとおり。

初代「ドラゴンボール」のオープニングテーマ「魔訶不思議アドベンチャー!」


で、ファンの間では『Z』と区別するため、通称『元祖』と呼ばれている初代『ドラゴンボール』のオープニングテーマが「魔訶不思議アドベンチャー!」である。「まかふしぎ」は「“摩” 訶不思議」と書くのが正しく、「“魔” 訶不思議」は本曲の作詞家・森由里子の造語なのだが、今や “魔” のほうが正しく思えるから摩訶不思議だ。「♪つかもうぜ! ドラゴンボール!」というキャッチーなつかみで始まるこの曲が、アニメ『ドラゴンボール』シリーズの人気拡大に果たした役割はとてつもなく大きい。



曲を書いたのは、作曲家のいけたけし(池毅)。エンディングテーマ「ロマンティックあげるよ」の作曲者もいけである。いけの公式サイトに掲載されている作品紹介によると、『ドラゴンボール』主題歌を書くことになった経緯は、同じフジテレビで放送されていた子ども番組がきっかけだった。(以下、池毅公式サイトより引用)

1985年12月「ひらけポンキッキ!」のKテレビプロデューサーS女史から「Dr.スランプ」の後シリーズ「ドラゴンボール」のオープニング曲とエンディング曲のオーディションがある、歌詞は既に決定済みなので、作曲のオーディションに参加してみては?との話があった。

いけさんは女の子向けのメロディーが得意だと思うから、「ロマンティックあげるよ」を先に書くように。余裕があればオープニングも書いてみて、と言われオープン、エンドの歌詞原稿2通をいただいた。


そう、いけがこの曲を書いたのは『ポンキッキ』が取り持った縁だったのだ。いけはS女史の指定どおり、まずエンディングテーマ「ロマンティックあげるよ」に1週間かけて曲をつけ、さらに「締め切りまであと1~2日余裕があった」ので、オープニングテーマ「魔訶不思議アドベンチャー!」も作曲。いけによると、冒頭の歌詞「♪つかもうぜ! ドラゴンボール!」を見たら、スラスラとメロディーが浮かんできて、アッという間に曲が仕上がったそうだ。

いけたけしが書いた2曲はともに採用になったのだが、すでにこの時点で関係者たちは、このアニメを世界に売っていこうという構想を持っていたようだ。いけはアニメ制作会社のプロデューサーから、歌詞に出てくる「アドベンチャー」を英語の「adventure」に聞こえるようにしたいので、そこだけメロディを何パターンか考えてほしい、と要望を受けたという。いけは「元の歌詞がカタカナの『アドベンチャー』なんだから、このままでいいのでは?」… と内心思ったが、言えなかった(そりゃそうだ)。しかし結局、最初に書いたメロディがそのまま採用されたとのこと。



歌うは高橋洋樹、当時まったく無名の20歳


歌っているシンガーは「聴き慣れない声だな」と思ったけれど、高橋洋樹。当時まったく無名の20歳で、普段は下町の八百屋で働くヘヴィメタ好きのロックボーカリストだった。これがデビュー曲で、レコーディングも初めて。なぜ何の実績もない高橋にお鉢が回ったかというと、番組側で歌手のオーディションをしたが、イメージに合った歌手が見つからず、当時高橋が所属していた事務所が「うちの新人なんかどうですか?」と資料を送ったら「彼でいいんじゃない?」となったそうだ。まさにシンデレラボーイ。本人は「本当に俺がオープニングテーマを歌うの? もしかしてドッキリ?」と思ったそうで、それも無理はない。

だから高橋は『ドラゴンボール』初回放送の日、1986年2月26日のことをよく覚えている。バイト先の八百屋で「今から俺の歌がテレビで流れるんで、観てきていいですか?」と仕事を中断。向かいの焼き鳥屋に飛び込み、店にあった14型のテレビで自分の歌声を聴いて「ああ、本当だったんだ」と実感したそうだ。

焼き鳥屋のおかみさんに「これ、俺が歌ってるんですよ!」と言ったら「またまた〜。冗談ばっかり」と笑われたそうで、本人も周囲に吹聴しなかったので、アニメがヒットした後も、生活自体は特に変わらなかった。しかし、夏の暑い日にアパートの窓を開けっぱなしにしていたら、子どもたちが「魔訶不思議アドベンチャー!」を歌う声が聴こえてきて感動したという。いい話だ。

高橋がロックボーカリストであったことも、楽曲面で大いに貢献した。本人はこう証言している。(以下、2022年『ドラゴンボール』公式サイト掲載インタビュー記事より引用)

まずは冒頭の「つかもうぜ!」というフレーズ。僕は当初、「つ・か・も・う・ぜ」と、跳ねた感じで短く歌っていたのですが、レコーディングでは作曲の池毅(いけたけし)先生も同席していて、「あまり跳ねすぎずに」「だけど歯切れ良く」と注文されました。着地するまでは何度も歌いましたよ。

あとはBメロの最後、「雲のマシンで 今日も飛ぶのさ〜」と音程を上げていくところですね。ここは段をつけずに音程を上げるロックっぽさを強く意識しています。

個人的に最も気に入っているのはサビの「Let’s try try try」とシャウトするところ。僕がずっと追いかけていたロック・シンガーのように、高音域で自然とオーバードライブする(歪む)ように歌っているんです。


世界中の人たちの心をつかんだ「魔訶不思議アドベンチャー!」




こうして高橋が歌の中でロックボーカリストとしての主張を通したことで、「魔訶不思議アドベンチャー!」はドメスティックに陥らず、世界的に愛唱されるテーマソングとなった。このことはなにげに重要で、アニメ本編を観るにはある程度の時間が必要だが、曲はすぐに耳に入り、アニメの世界観を一瞬で伝えてくれる。「ドラゴンボール」がこれだけ世界的なアニメになったのは、「魔訶不思議アドベンチャー!」とエンドテーマ「ロマンティックあげるよ」の力に依るところも大きいと私は思う。

ちなみに、作曲のいけは「ロマンティックあげるよ」をブルマの気持ちになって書いたそうで(お疲れ様です)、この曲があったからこそ「ドラゴンボール」は男の子だけのアニメではなくなった。

なお高橋は一時音楽の世界から離れていたが、2004年から活動を再開。欧米はじめ世界各国で行われている「ドラゴンボール シンフォニックアドベンチャー」ほか、数々のアニソンライブにも出演。原キーのまま「魔訶不思議アドベンチャー!」を歌っている。「♪つかもうぜ! ドラゴンボール」で始まるこの曲は、まさに世界中の人たちの心をつかんだのだ。

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2023.10.11
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カタリベ
1967年生まれ
チャッピー加藤
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