ふと、息子(来月20歳)が『電車男』の映画を観たことある? と聞いてきた。
テレビで観たことあるよ。多分あなたも一緒に観たと思うよ。
どうもそれは覚えていなかったらしいが、最近友人宅の DVD で観たそうだ。そして、すごくいい映画だったと言う。
私はドラマ化前に2ちゃんねるのまとめサイトで一気に読んだ派なので、一応あれは実話が元なんだよ。と教えると大層驚いていた。
『電車男』ではないが、その当時、2ちゃんねるにはまっていた同級生の主婦が「おもしろいニュース速報の板があるよ」と教えてくれたので見たことがある。スレッド参加者が相談者を心配して「どこそこにいるのなら合流できるよ」という書き込みがあったかと思うと「相談者と合流!」と本当に何かを手伝いに出向いているのを読んだりして、なかなかの読み応えだった。
今回、息子が何に驚いていたかというと、今のネット内には不特定多数があのように誰かの行動を見守って応援する優しさはないと言うのだ。
へえ。あくまでも彼の個人的な意見だけれど、どんなサイトを見ているのか気になるところだ。
確かに息子を見ていると、インターネットは合理的な道筋を見つけるためのツールという感じで、そこからはみ出ちゃうと(あくまでも利用者の感覚で、だけれど)中傷の対象になりがちだ。
生まれたときからインターネットが存在していた彼らはネットのルールは学校でも教えられ、犯罪に巻き込まれない為の知識も小さなうちから耳にタコかもしれない。とはいえ、友達とのやり取りはいつもうまくいくわけではないし、犯罪の方も進化するのでなかなか減らない。
でも、PCを通して優しさだって可能であることを知っているのは救いになるのではないかな、と思う―― というか、そのために使ってほしい。
月を見てそこにいない誰かに思いを馳せる。その気持ちを今すぐに伝えたいよ、と思ったら今の子達はすぐにできるのだ。助けてほしい、そんな気持ちだって投げ掛けることもできる。だけど、そのレスポンスをハッピーに受けるための高いスキルが必要で、そこが大きな問題だ。
落ちている石から何を見出すか? 昔の人にも同じような選択肢があったと思う。ただ、私たちは昔と違い、ものすごいスピードと選択肢の量の中で生きている。それでも私たちに与えられている「今」という時間の無限性は今も昔も当人のセンスに委ねられている。
ジョージアの缶コーヒーのCMにもあったように、生きている限り、私たちはどこにいるかも知らない誰かに助けられている。私はそのことを強く実感できるようなネット体験を子供たちにはたくさんしてほしいと思う。そう。やさしくあるために強くあってほしい。賢いだけじゃもったいないよ。
そういえば、缶コーヒーのCMも『電車男』も奇しくも山田孝之ではないか♪
さて、本日の一曲は『電車男』でも映画版ではなく敢えてテレビドラマ版からELOの「トワイライト」を―― スピード感あふれ、文字通り風よりも素早く馳け廻るインターネットの物語にマッチしていたなかなかの選曲。改めて聴いてみるとこんなに速い曲だったかと驚く。
トワイライトとは日没後だったり、日が昇る直前の一瞬のことだが、この曲はなんとも忙しく、駆り立てられる感じがあって、夜ではなく朝に向かっている時間を思わせ、今日もがんばろう! という気持ちにさせてくれる。
2018.05.06
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