僕が歌謡曲を熱心に聴いていた期間は短い。小学5年生の途中から小学6年生の終わりまでの2年弱だろうか。もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」にそれまで経験したことのない感動を覚えて以来、僕の興味の中心は釣りや漫画から音楽へとシフトしていた。そしてその翌年、体感的には「ダンシング・オールナイト」を上回る大ヒット曲と巡り会うことになる。それが寺尾聰の「ルビーの指環」だった。
最初に聴いたのはラジオで、ディスクジョッキーが曲をかける前に「今年は寺尾聰の大人のつぶやき歌が流行りそうです」と言った。哀愁を帯びたメロディーと口ずさむような歌い方は、確かに大人のつぶやき歌と呼ぶにふさわしく、いい曲だなと思った。けれど、そのときはまだ特別ではなかった。
数日後、友達のひとりがこの曲をしきりに誉めるので、なんとなく気になっていたら、ちょうどラジオから「ルビーの指環」が流れてきた。今度は背中がぞくぞくし、肩がぶるっと震えた。それは「ダンシング・オールナイト」のときとはまた違う深みのある感動だった。曲は僕のまだ知らない大人の世界のことを歌っていたが、実際にあった話を聞いているようなリアリティがあった。
その頃から「ルビーの指環」はラジオで頻繁にオンエアされるようになり、僕らの間でも「寺尾聰って何者だ?」という話がよく出るようになった。元々はグループサウンズのバンドにいたが、今は役者で、ドラマに刑事役で出演しているという。ニヒルな刑事役の男と「ルビーの指環」のイメージがきれいに重なった気がした。
そんな僕らが寺尾聰の姿を初めて見たのは、「ルビーの指環」が『ザ・ベストテン』にチャートインしたときだった。回転扉から出て来た寺尾聰は、痩せていて、サングラスをかけ、はにかむように笑い、小さな声で穏やかに話した。それはまさしく僕の想像していた通りの男だった。
放送の翌日は、確か学校の終業式だった。小学5年生が終わり、明日からは春休み。そんなどこかふわふわした空気の中で、僕は友達と寺尾聰の話をした。「いい曲だったよな」、「絶対1位になるよね」、そんなことを興奮気味に話しながら、廊下を歩いて体育館へ向かったのを覚えている。
3週間後、僕らは小学6年生になり、始業式で再び集まった。その頃にはもう「ルビーの指環」は1位を独走し始めていた。「やっぱり1位になったね」、「本当にいい曲だよな」、新しい年度が始まろうとしていた春のうららかな陽射しの中、友達とそんなことを話しながら、靴を履き替えて校庭に出たことを覚えている。
それからのことはご存知の通り。「ルビーの指環」は12週連続1位という『ザ・ベストテン』史上最長記録を樹立。年間ランキングでも1位を獲得し、レコード大賞も受賞した。また、この曲を収録したアルバム『Reflections』は、当時のアルバム売上枚数の最高記録を更新。まさに記録尽くめの1年間だったと言える。
「ルビーの指環」が1位を続けていた数ヶ月間は、僕がもっとも歌謡曲に夢中になっていた時期と重なる。田原俊彦や近藤真彦や松田聖子が2位を何週も続けた後に陥落していくのは、子供心に痛快だった。
また、この曲より先にリリースされていた2枚のシングル「SHADOW CITY」と「出航 SASURAI」も、寺尾人気に引っぱられる形でヒット。3曲が同時に『ザ・ベストテン』にランクインしたときは本当に興奮した。そして、「ルビーの指環」がずっと1位でいてほしくて、僕は毎週のようにリクエストハガキを送り続けたのだった。
だから、この曲の12週連続1位には、僕も多少は貢献したことになる。それもまた楽しい想い出だ。
2018.04.23
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