80年代のへヴィメタルで夏を題材に、と考え真っ先に浮かんだのが、あの伝説のフェス『スーパーロック’84』だった。
リマインダーでも他のカタリベによって取り上げられているが、映像も残る東京、名古屋、さらに大阪公演は語られることが多いものの、実は唯一の「屋内」開催だった福岡公演は言及される機会が少ない。
東京、大阪より先の8月6日、今はなき福岡スポーツセンターが会場だった。当時は多くの洋楽アーティストが来福して、僕もクイーンやラッシュをはじめとしたライヴを福岡で観てきたが、80年代後半になると徐々に減ってしまい、今や東京だけのケースも多い。それは東京一極集中の時代の流れそのものだった。
そんな良き時代でも、洋楽のメタルフェスが福岡にやってくるとは夢にも思わなかった。しかも当時僕が一番のめり込んでいたマイケル・シェンカー率いるMSGを筆頭に、他公演と全く同じ豪華ラインナップが揃った。チケット代は9000円。当時高校生だった僕には破格だったが、今思えばよくぞこの料金設定で福岡公演を敢行したと思う。
もう33年も前なのに、あの日はステージ下手側スタンドの真ん中寄り中段付近に座ったこと、遮るものがなくステージ全体が見渡せたことなど、真夏の暑かった一日を鮮明に覚えている。
開演は15時。若かりし頃の伊藤政則さんがステージ下手のDJブースで盛り上げる中、定刻少し前にいきなり客電が消え、トップバッターのアンヴィルが登場。
メタル純度100%の演奏でフェスのムードをつくった。続くデビュー間もないボン・ジョヴィはジョンがPAによじ登って客席を煽り、リッチー・サンボラも随所で弾きまくるなど、フレッシュで躍動感に満ちたパフォーマンスを展開。まさかあんなビッグネームになるとはそのとき夢にも思わなかった…。
3番手のスコーピオンズは、人気絶頂期の勢いと格の違いを見せつけ、手抜き一切なし。全観客の心を鷲掴みにした。4番手のホワイトスネイクはコージー・パウエル、ジョン・サイクスを擁する強力な布陣だったが、コージーのソロもカットされ意外にも冴えない地味なステージだった。
トリのMSGはマイケルの輝きが全て。散々叩かれたヴォーカルのレイ・ケネディが特に気にならなかったのは、それほどマイケルを凝視し集中していたから。そのプレイは神がかっており、僕にとって初の生マイケルは、やはりこの日のハイライトだった。
フェスという意味では、昨今のようにステージ上の大きなヴィジョンや、会場内のフードもなく、屋外と違い開放的な雰囲気も味わえなかったが、屋内ならではの利点も多かった。
メタルの場合、ライヴでも演奏の細かな部分まで集中して楽しみたいというファンが、特に日本では多いと思う。それが唯一叶う環境だった。そして何より、あれだけのアーティスト達をわずか5000人キャパのイス付き屋内会場で、ステージから至近距離で堪能できたのは本当にラッキーで至福の瞬間だった。
今やメタルシーンの秋の風物詩であるラウドパークは、屋内のメタルフェスのメリットが日本のファン気質にマッチし、成功している部分も大きいだろう。今年のトリはマイケル・シェンカー。彼のギタープレイは屋内でこそより堪能できるはず。
33年前、福岡で僕が観た初の屋内メタルフェスは、その原風景として今に繋がるものだったと改めて感じるのだ。
2017.08.18
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