「ねぇ、TVディナーを買いに行かない?」
鼻持ちならない高校生の僕は、学園祭に来ていたアメリカ育ちの女の子にそう声をかけた。彼女はいかにも軽蔑と哀れみと嘲笑を込めた顔で僕を見てこう言った。
「…… あんなもの、いや!!」
ウブな僕は敢え無く撃沈というわけであった。
そもそもの始まりは、ジム・ジャームッシュの出世作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を観たことからだ。この作品は3つの章からできている。TVディナーは第1章「新世界」のワンシーンに現れる。
ハンガリーからの移民でニューヨークに住むウィリーのもとに、従妹のエヴァがやってくる。ウィリーはエヴァと短い間、同居しなくてはならない。ウィリーは実にニヒルな男でぶっきらぼう。エヴァも終始ご機嫌斜めだ。そんな二人の日常がモノクロでカメラの動きやサウンドトラックもなく、ただ淡々と描かれる。そしてウィリーは彼女をもてなさずに「TVディナー」を一人で食べる。
なんのことはない、ただ冷凍食品を食べているだけのシーンだ。しかしそれが高校生の僕に深い印象を植え付けたのだ。「かっこいい」や「オフビート」という形容詞をつけることもできるだろう。
しかし僕の中にはもっと違う思いが湧いていた。つまり、なんでもない日常がジャームッシュの手にかかるとこんなにも面白いものになるという、魔法を見たときのような驚きが僕の中に生まれていたのだ。
件のアメリカ育ちの女の子の弁によるとTVディナーとは、「お父さんもお母さんもいない時に寂しく食べる嫌な思い出の詰まったもの」であるという。そしてそれはアメリカ人にとって共通の思いだそうだ。つまり、そんなTVディナーを食べたいと思った僕はジャームッシュの「魔法」にまんまと嵌っていたわけだ。
それに続く「1年後」という章ではウィリーとその悪友・エディは、エヴァの移り住んだクリーヴランドへ旅行をし最後の章「パラダイス」では三人がフロリダへ旅をする。
しかし本来なら新鮮さに満ちるはずの旅行が、日常よりも淡白で気だるいものに映っている。新天地を目指して旅に出るのだが、普段と状況は変わらない。これこそジャームッシュの仕掛ける皮肉な「魔法」であるし、ユーモアである。
「魔法」といえば作中で何度も流れ、耳に残るスクリーミン・J・ホーキンスの「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」(1956年のヒット作)という曲は、そのまま「お前に魔法(まじない)をかけてやる」という意味なのだ。ジャームッシュはこの曲を選んだ理由を「好きだったから」などといつものようにはぐらかすが、僕はこの一致をあくまで意図的なように思う。そもそも偉大な「魔術師」は決してトリックを明かさないものだ。
なんでもない日常に「魔法」をかける。魔術師ジャームッシュの呪縛にかかれば、わびしいTVディナーさえ魅力的なものにすることができるのである。そしてそこからは、何人も逃れられないのだ。
2017.07.19
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