劇中で流れず、テレビCMで流れまくったテーマソング
その歌を、最近の若い人たちは知らないという。
僕ら、80年代に青春時代を送った世代にしてみれば、その歌は同名タイトルの映画になくてはならない重要な歌である。でも―― 30代以下の人たちは、その歌の存在すら知らないという。
まぁ、無理もない。何せ、その歌は映画の中にただの一度も流れないからだ。タイトルバックにも、エンドロールにも、劇中歌としても一度も登場しない。
じゃあ、僕らの世代は、その歌をどこで聴いた?
―― CMだ。テレビのスポットCMで、映画の名場面と共に繰り返し流れたのだ。今でも、その独特な節回し(!)と透明感のある歌声は脳裏に焼き付いて離れない。
風の谷のナウシカ
髪を軽くなびかせ
風の谷のナウシカ
眠る樹海(もり)を飛び越え
青空から舞い降りたら
やさしくつかまえて
そう、安田成美サンの歌う「風の谷のナウシカ」だ。当時は映画のテレビCMが頻繁に流れた時代で、特に映画好きじゃなくても、今どんな作品が上映され、ヒットしているかの情報をお茶の間で自然と共有することができた。
時代を席捲したメディアミックスの手法、発端は角川映画から
思い返せば、その風潮は、1976年公開の角川映画第1作『犬神家の一族』が発端だったかもしれない。
大野雄二サン作曲の「愛のバラード」をバックに、印象的なシーンがフラッシュバックするテレビCM。湖から突き出た2本の脚とか、佐清(スケキヨ)の白いマスクとか――。それを大量に投下し、出版や音楽も絡めて、メディアを横断して映画を PR する手法は “角川商法” と呼ばれ、たちまち時代を席捲した。
それ以降も、角川映画は『人間の証明』、『野性の証明』、『戦国自衛隊』、『セーラー服と機関銃』、『蒲田行進曲』、『探偵物語』、『時をかける少女』、『晴れ、ときどき殺人』、『Wの悲劇』等々、80年代半ばにかけて―― 作品が公開される度に大量のCMを投下し、お茶の間の話題をさらった。CMで流れた映画主題歌はヒットチャートを駆け上がり、歌った薬師丸ひろ子や原田知世はたちまちスーパーアイドルになった。
そんな角川商法は当然、他社もマネをした。例えば、フジテレビは自ら製作に携わった1983年公開の『南極物語』(配給:東宝)をメディアミックスで盛り上げ、当時の邦画の興行収入記録を塗り替えた。
はっぴいえんどの強力タッグ、作詞:松本隆、作曲:細野晴臣
84年公開の映画『風の谷のナウシカ』(配給:東映)も、そんな流れに乗った一作に映った。テレビスポットで流れる同名タイトルの歌は鮮烈だった。作詞・松本隆、作曲・細野晴臣―― 松田聖子の「天国のキッス」や「ガラスの林檎」でお馴染みの元はっぴいえんどの強力タッグだ。Aメロからして耳に残るメロディライン。そこに松本隆サンならではの色使いのある詞が重なる。
金色の花びら散らして
振り向けば まばゆい草原
雲間から光が射せば
身体ごと宙に浮かぶの
歌うは、同映画のイメージガールオーディションで約7,500人の中からグランプリを獲得した安田成美サンだ。同曲は1984年1月25日にリリースされると、CMの出稿量が増えるのに比例して話題となり、ヒットチャートを駆け上がった。誰もが映画の世界観とマッチしたそのクオリティを評価し、映画との相乗効果を期待した。
しかし―― その願いはある男によって、阻まれる。誰あろう、同映画の原作・脚本・監督を務める宮崎駿、その人である。
時に、今から34年前の今日―― 1984年3月11日に封切られた映画『風の谷のナウシカ』にて、僕たちはその同名タイトルの歌が劇中に登場しないことを知らされたのだ。
宮崎駿、それは日本が誇るアニメ界の大巨匠
そう、宮崎駿―― もはや説明するまでもないだろう。今や、日本が誇るアニメ界の大巨匠。代表作の『千と千尋の神隠し』は日本歴代興行収入第1位。ベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞し、米アカデミー賞の長編アニメ映画賞にも輝いた。手塚治虫を “漫画の神様” と称すなら、宮崎駿は “アニメの神様” と言って差し支えないだろう。
だが、アニメの神様は、時に漫画の神様を痛烈に批判する。
「昭和38年に彼は、1本50万円という安価で日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』を始めました。その前例のおかげで、以来アニメの制作費が常に安いという弊害が生まれました」
しかし―― その一方で、あるインタビューでは、7歳の時に読んだ手塚サンの『新宝島』に「いわく言い難いほどの衝撃」を受けたことや、初期のSF三部作の虜になったことを明かしている。
反骨と憧れ――。
宮崎駿を語る時、その相反する2つの言葉は生涯ついて回ることになる。
例えば、彼の言葉に「戦争は嫌いだが、戦争ごっこは好き」というものがある。反戦主義を掲げる一方、不思議と彼の作品には軍用機や戦闘シーンがよく登場する。一見、矛盾するが、それが宮崎駿なのだ。
『風の谷のナウシカ』の話に戻ろう。
アニメージュの連載漫画からスタートした「風の谷のナウシカ」
同映画は宮崎駿にとって、2作目の監督作品だった。1作目は言わずと知れた『ルパン三世 カリオストロの城』である。しかし、“カリ城” は今日こそ高い評価を得ているが、公開当時は興行的には失敗作の烙印を押され、しばらくの間、宮崎サンはアニメ界で干される憂き目に遭う。
そんな時、彼に救いの手を差し伸べたのが、徳間書店の月刊誌『アニメージュ』の編集者(当時)の鈴木敏夫サンだった。言わずと知れた、後のスタジオジブリの名プロデューサーにして、宮崎駿の朋友となる人物。
“カリ城” をいち早く傑作と見抜いた彼は、宮崎サンに同誌への漫画の連載を持ちかけたのだ。映画の新作企画を通すには、原作がある方が上層部を説得しやすいからである。
1982年2月、アニメージュ誌にて『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。徐々に評判となり、1年後には読者から絶大な人気を誇るようになっていた。そして83年7月、晴れて同漫画を原作とした映画化が決定する。
それは、遥か未来の話だった。繁栄を極めた人類は、やがて “火の七日間” と呼ばれる最終戦争を招き、巨大産業文明は崩壊する。物語の舞台は、それからおよそ1000年が経過したころ―― わずかに生き残った人類は、錆とセラミック片に覆われた荒れた大地に細々と暮らし、蟲(むし)が支配し、有毒な瘴気(しょうき)を発する菌類の森 “腐海” に征服されようとしていた。
ヒロインの少女ナウシカは、辺境にある “風の谷” の族長の娘である。のどかな農耕生活を送る500人ほどの住民から深く敬愛される彼女は、風に乗り、人々が恐れる蟲とも心を通わせ、自然と共に生きる心優しき少女である。
全てがエンタメの王道、オマージュとリスペクトが詰まった冒険活劇
物語の設定はそれほど奇抜じゃない。宮崎サン自身が手掛けた『未来少年コナン』をどことなく彷彿とさせるし、巨大な蟲に人類が脅かされる設定は、ブライアン・W・オールディスのSF小説『地球の長い午後』によく似ている。劇中に登場する王蟲(オーム)と呼ばれる巨大生物は、1961年の映画『モスラ』の幼虫が元ネタだと言われる。
もっとも、エンタテインメントの世界では、旧作をオマージュして現代風にアレンジすることをオリジナルと呼ぶので、全く問題ない。それ即ち、温故知新。クリエイティブとは0から1を生み出す作業ではなく、1を2や3にバージョンアップする作業である。
そう、『風の谷のナウシカ』の最大の魅力は、旧作のオマージュやリスペクトがたくさん詰まった、安心して楽しめる冒険活劇にある。宮崎サンの前作『ルパン三世 カリオストロの城』にも言えるが、いわゆる “ドラマツルギー”(定番の演劇の技法)に忠実で、物語の構成や登場人物のキャラクター、印象的な台詞など、全てがエンタメの王道なのだ。
映画におけるドラマツルギーとは?
例えば、同映画の名シーンの1つに、捕虜となった機上のナウシカが、奇襲に遭ってワイヤーを切られ、墜落するバージに乗る臣下たちを空中で励ます場面がある。下は腐海で、辺りは有毒な瘴気が充満している。臣下たちに「積荷を下ろして軽くしなさい」と伝えたいが、マスクが邪魔してなかなか伝わらない。
この時、ドラマツルギー的には何をするのが正解か。
正解は―― 次の瞬間、ナウシカはマスクと帽子を外す。5分も吸っていれば死に至る瘴気の中、彼女は臣下たちに荷を下ろせと声をかけ、最高の笑顔を見せたのだ。一瞬で落ち着きを取り戻す臣下たち――。
これだ。これがドラマツルギーである。
ちなみに、同シーンは映画の予告編などでも必ず使われる。それは、マスクと帽子を外したナウシカはその髪が風でなびき、極めてフォトジェニックだからである。今風に言えば “インスタ映え” するから。
本来、マスクを外せない場所で外す。その結果、笑顔と風になびく髪を見せられる―― これ以上のドラマツルギー(演技の正解)はない。
多くの人が感動した映画版のラストシーン
同映画の原作は全7巻である。しかし、映画は連載の途中で決まったので、単行本で言えば2巻の途中までしか反映されていない。その結果、本来、宮崎サンがやりたかったラストシーンとは違うものになってしまった。プロデューサーの高畑勲サンと鈴木敏夫サンの説得に応じた結果である。今でも宮崎サンは後悔しているという。
しかし―― 僕を始めとする多くの人は、この映画版のラストに感動したと思う。かの佐藤雅彦サンの言葉に「人間は制約の下でこそ、知性という翼を自由に羽ばたかせる」というものがある。
かように、人は制限のある中、ギリギリの状況で出した結果こそが、実は正解だったりする。映画『ブレードランナー』が、リドリー・スコット監督の手によりディレクターズカットを重ねる度に冗長になり、結局、最初の通常版が一番傑作と感じるのと同様である。
エンドロールに流れる久石譲。いや、安田成美でもよかったのではないか?
さて、映画はエンドロールを迎える。背景には、敵国トルメキアと和解し、失われた森を植林し、新たな井戸を掘る―― そんな平和を取り戻した風の谷の日常が描かれる。未来への希望に満ちたそれら背景に流れるのは、久石譲サンの音楽である。
だが、僕らはふと思う。久石譲サンも悪くない。でも―― ここで安田成美サンの歌でもよかったんじゃないか。
風の谷のナウシカ
白い霧が晴れたら
風の谷のナウシカ
手と手 固く握って
大地けって翔び立つのよ
はるかな地平線
―― ほら、ピッタリだ。だが、宮崎サンは映画の世界観に合わないと、強く反対したという。そうだろうか。曲も詞もうまく物語を反映しているようにも思えるが。現に、僕らは同映画のテレビスポットを見て、その世界観に引き込まれたのだ。
一説には、安田サンの歌唱力に不安を覚えたという話もある。だが、それも反論したい。ならば、なぜ『風立ちぬ』でユーミンを起用したのか。
反骨と憧れ――。
やはり、それが宮崎駿なのだ。
※2018年3月11日に掲載された記事をアップデート
2020.03.11