リレー連載【1984年の革命】vol.5
映画「風の谷のナウシカ」40周年!宮崎駿に世間が気付いた歴史的瞬間
大空を悠然と漂うメーヴェとナウシカの姿、エピローグにしてすでに傑作!
映画『風の谷のナウシカ』のアバンタイトルは、実によくできている。
「また村がひとつ死んだ…」無数の胞子が浮遊するなか、菌糸に覆われた街の不穏なシーンから物語は始まる。なぜ村は死んだのか… その理由は明かされない。仄暗いメロディをピアノが奏で始め、印象的なタイトルが映し出される。まるで壁画のように古代文明を模した宗教画風タペストリーと、街を蹂躙する巨神兵の映像が交差するように映し出され、旧世界が辿った栄枯盛衰の歴史が示される。
おどろおどろしい映像… すると演奏が物憂げなピアノからストリングスへと変化する。そして、その音楽に呼応するかの如く映像は一変、大空を悠然と漂うメーヴェとナウシカの姿がオーバーラップしてスクリーン一面に広がってゆく――
この陰と陽の鮮やかなコントラスト!これから始まる物語の期待をこれでもかとばかり膨らませる宮崎駿のセンスが、このオープニング映像に遺憾なく発揮されている。プロローグにしてすでに傑作なのだ。
ⓒStudio Ghibli
水俣湾の汚染から虫愛ずる姫君に繋がってゆく天才的飛躍
『風の谷のナウシカ』は、今からちょうど40年前、1984年の3月11日に劇場公開されたアニメ作品である。
映画序盤、腐海は人類を脅かす自然の脅威として描かれる。王蟲の躯(むくろ)… いわゆる死骸を苗床にして、“火の七日間” 戦争によって汚染された大地に胞子が根を張り、菌糸を広げ、瘴気(毒)を発生させながら森を形成し続けているのだ。この展開を思いついた理由のひとつとして、水俣湾の水銀による海洋汚染があると宮崎駿は語っている。
水俣湾が水銀で汚染されて死の海になった。つまり人間にとって死の海になって、漁をやめてしまった。その結果、数年たったら、水俣湾には日本のほかの海では見られないほどの魚の群れがやってきて、岩にはカキがいっぱいついた。これは僕にとっては、背筋の寒くなるような感動だったんです。人間以外の生き物というのは、ものすごくけなげなんです。
宮崎駿「出発点」徳間書店より
物語の核である、菌類や蟲が汚染された大地を浄化するという飛躍的な想像力が宮崎駿の天才たる所以なのだが、これは今昔物語に登場する虫愛ずる姫君」と呼ばれた少女からヒントを得たようだ。
さる貴族の姫君なのだが、年頃になっても野山をとび歩き、芋虫が蝶に変身する姿に感動したりして、世間から変わり者あつかいにされるのである。(中略)その姫君の、その後の運命が気になってしかたがなかった。
ANIMAGE COMICSワイド版第1巻 寄稿文「ナウシカのこと」より
ちなみに、ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』に、ナウシカという名の俊足で空想的な美しい少女が登場するが、“虫愛ずる姫” と “オデュッセイアの美少女” をハイブリッド化したことで宮崎駿のナウシカが誕生したという。
ⓒStudio Ghibli
文明の発展と自然を愛するという矛盾に抗う
映画の公開日からちょうど27年後… 奇しくも同じ3月11日に起こった東日本大震災による津波被害から、『風の谷のナウシカ』で起こる大海嘯(だいかいしょう)をイメージした人は少なくないだろう。自然とは雄大な美しさを持つ反面、人の生きる世界を一瞬にして闇に葬る恐ろしさを内包している。その自然と共生する覚悟が自分たちにはあるのだろうか…。
文明発展の歴史は自然を破壊し続けてきた負の歴史でもある。もはや環境問題待ったなしなのだが、飽食の時代を経験した現代人は、この期に及んで享受した文明を簡単には捨てられない。きれいな服を着て美味しいものを食べながら環境保全を訴える… 矛盾した行為だが、その愚かさを含めて人は生きている。
宮崎駿も同じである。『風の谷のナウシカ』で自然との共生を訴えつつも、それを伝える手段が現代の娯楽であるアニメ映画なのだから。ただ、この辻褄が合わない矛盾こそがある意味宮崎駿がアニメを作り続ける原動力だと感じている。何度引退を宣言してもこの世界に戻ってきてしまうのは、未だにこの矛盾の先に続く道を探し求めているからだろう。
ⓒStudio Ghibli
物語の原作から、人が生きることの意味を探る
映画では虫も殺さぬ平和主義者のように扱われるナウシカだが、原作終盤では世界を滅びに導く闇として描かれる。この矛盾… 宮崎駿が一番苦悩した部分だろう。
旧世界の英知(人工頭脳)が創り出したプログラムとは、音楽と詩を楽しむだけでいい究極の理想郷… 負の遺産を消された人たちに諍いは起きず、穏やかな暮らしという安寧の未来が約束される。そう、旧世界に残された知性は、輝かしい未来に解き放たれる無垢に人類の存亡を託したのだ。
けれど、ナウシカはそれを否定する。そんな仕組まれた世界に解き放たれるいのちは生命にあらず、人の生命とは清浄と汚濁の醜さがあるから輝くのだと。
旧世界の英知は「生命は希望の光だ」とナウシカに解き、それを否定するナウシカは「いのちは闇のなかのまたたく光だ」と反論する。光があれば、そこには必ず影ができる… 陰と陽は2つで1つ。つまり人造の光だけの世界とは、光そのものが感じられない世界だと紐解くのだ。生きることは変化である。そして、それによって人類が滅びに向かうのであれば、それは人の操作ではなくこの星がきめることだとナウシカ… つまり宮崎駿はそう考えたのだ。
人の死は人の生きるに繋がってゆく。その過程に現れる全ての矛盾を受け入れ、ときに間違い、そして抗いながらそれでも人は生きてゆく。それが “人が生きること” であり人生なのだ。
ⓒStudio Ghibli
1984年の宮崎駿はまさに革命だった
1984年以前に未来を題材にした作品の多くは、乱立する超高層ビル群や宇宙上に点在するスペースコロニーなど産業文明の極みを描いていた。それに対して宮崎駿が手掛けた『風の谷のナウシカ』は、発展した文明のその先に待ち受ける破綻した後の世界を描いたのだ。何より素晴らしいのは、宮崎駿がこの難しい物語を子どもから大人まで楽しめる冒険活劇的な要素を上手に取り込み極上のエンタメ作品として仕上げたことである。
1984年、『風の谷のナウシカ』の公開は、世間が宮崎駿に気付いた歴史的瞬間でもあろう。結果、この成功を足掛かりにスタジオジブリが設立され、宮崎駿は次々と魅力的なファンタジー作品を世に送り込むことになる。2000年代に入ると、アカデミー賞をはじめとする海外の名だたる映画祭を席巻した。そう、宮崎駿が世界に見つかったのだ。その圧倒的な画力と物語の緻密さが世界に与えた影響は計り知れず、ついには2005年の『TIME』誌で “世界でもっとも影響力のある100人” に選出された。日本のアニメは国内に留まらず、世界が認めるコンテンツビジネスにまで成長を遂げたのだ。
原作本『風の谷のナウシカ』の最後に「生きねば…」と綴った宮崎駿。彼は生きることへの問いをきっと終わらせていない。相反する矛盾を、ときに楽しみ、ときに抗うことを諦めない。御年83歳だが、その創作意欲はまだまだ枯れていないはずだ。
ⓒStudio Ghibli
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2024.03.11