記録よりも記憶に残るジャパメタバンド、それがフラットバッカーだ。
東名阪のバンドが大半を占めた80年代ジャパメタシーンで、北海道の地から突如ハイクオリティなバンドが登場したこと自体驚きだった。メタルらしからぬ逆立てた短髪と隈取りのメイクを施した強烈なヴィジュアルイメージ。サウンドも見掛け倒しではなく、突進する激しい疾走感とうねるような重さを併せ持ち、メタルとハードコアパンクの融合と言える独自のスタイル。
過激で毒々しく圧倒的な存在感は何物にも似ておらず、 “フラットバッカー” という新しいジャンルすら確立したといえる。
彼らの孤高性を決定づけたのは、ヴォーカリスト山田雅樹が放つメッセージの強さにもあった。メジャーデビュー作にしてジャパメタ屈指の超名盤『戦争<アクシデント>』には印象的な歌詞が目白押しだが、例えば「ハード・ブロウ」での “いい加減にしなさいよ~、今に痛い目に遭うわよ~!” の名フレーズは、ジャパメタ随一の強烈な歌詞のひとつだろう。
愛だの悪魔だのを歌う凡百のメタルバンドとは完全に一線を画す世界観を叩きつける山田の超絶な歌唱力は、VOWWOWの人見元基と並び最強のシンガーの称号が与えられた。
怒涛の進撃を続けた彼らだが、独自性をさらに昇華させたセカンド作『餌 -ESA-』をリリース後、海外進出を目論み生活の拠点をアメリカに移すことを発表し、国内での活動が途絶えてしまう。次に我々の前に登場した時には驚くべき展開が待っていた。
何とバンド名を北海道の古称「蝦夷」に引っ掛けた「EZO」に変えて大手メジャーのゲフィンと契約し、キッスのジーン・シモンズをプロデューサーに迎えて全米デビューすると言うではないか。ラウドネスの全米での快挙に続くのがまさかフラットバッカーになるとは想像も出来なかった。マネジメントも創設して日が浅かったアミューズに新たに所属し、まさに生まれ変わった彼らは万全の体制を得た。
奇抜なヴィジュアルイメージは隈取り風メイクを継承しつつも、全米マーケットを意識し “ニンジャ” をモチーフにしたものに。サウンドもミッドテンポ主体に様変わりして80年代らしいゴージャスなプロダクションで、過激さは影を潜めた。
全く別のバンドとしてみればクオリティは高くメジャー感に満ち溢れていたが、フラットバッカー時代を見てきた僕は、毒を抜かれてしまったようなスマートさに大きな違和感を抱いた。メッセージ性の強い歌詞も英語になり、日本人にとっては海外アーティストと変わらない印象になってしまったのだ。
全米デビューアルバムはMTVでもPVがヘヴィローテーションされ、あのガンズ・アンド・ローゼズを前座にクラブサーキットを行うなど、メジャーらしい大規模なプロモーションを行ったが、日本ではオリコンTOP10入りを果たすも、ビルボードでは150位程度に留まってしまう。メイクを落として挑んだ次作でも成功をつかむことはできず、結局日本に帰国しないまま90年に解散に至った。もしも彼らがフラットバッカーのまま活動を続けていたとしたら…
フラットバッカーが渡米して30年あまり、かつてEZOが所属したアミューズは最大手マネジメントのひとつに成長し、今を時めくBABYMETALを全米マーケットに送り出し成功に導いた。アイドルとメタルの融合という日本独自のスタイルを変えることなく、ジャパンカルチャーとしてありのまま送り出したことが功を奏したと思える。
EZOの時は全米マーケットを意識するあまり、全てにおいてオーバープロデュースし過ぎて、作られたバンド感が強かった。結果的にそれはフラットバッカー最大の個性である過激な毒気を消し去ってしまった。
あの時とは時代背景は違っているかもしれないが、BABYMETALの快進撃にはEZOで得た教訓がしっかり生かされているように思えるのだ。
P.S. 先日急逝されたBABYMETALの神バンドのギタリスト、藤岡幹大さんのご冥福をお祈りいたします。
2018.01.19
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