ジョン・レノンの「ノーバディ・トールド・ミー」がリリースされたのは、ジョンがニューヨークの自宅前で銃弾に倒れた3年後のことだった。
僕は中学2年で、その頃にはビートルズの熱心なファンになっていた。ジョンが生前にレコーディングした曲が発売されると聞いたときは、もう新曲は聴けないと思っていただけに、とても興奮したのを覚えている。
ところが、発売当初、僕の周囲での「ノーバディ・トールド・ミー」の評判はけっして芳しいものではなかった。曲調はジョンらしい軽快なロックンロールだったが、「ジョン・レノンの新曲」という大看板からすると、いくらかインパクトに欠けるのは否めなかった。
それもそのはず、「ノーバディ・トールド・ミー」はまだリハーサルテイクの段階にあり、完成した曲ではなかったのだ。
オノ・ヨーコも当時のインタビューで、この曲が一番完成に近かったからシングルに選んだと語っている。つまり、もしジョンが生きていたら、「ノーバディ・トールド・ミー」はこれとはまた別の形でリリースされた可能性があったということだ。
そして、過去のフィルムを編集したミュージックビデオがまた微妙だった。少なくとも、この曲で初めてジョン・レノンのことを知る中学生向けとは言えない内容だった。
長髪、髭、丸眼鏡、白いスーツを着ておかしなステップを踏みながら歩くジョンの姿は、友人達の目には随分と奇怪に映ったらしい。「これのどこがかっこいいんだ?」と仲間のひとりに言われたとき、返答に困ったのを覚えている。
ちょうどポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソンの「セイ・セイ・セイ」が全米1位を独走していた頃で、どうしても比較されてしまう。しかも、こちらのビデオはちょっとないくらい秀逸だっただけに、それもジョンには分が悪かったと言えるだろう。
「ノーバディ・トールド・ミー」に対する友人達の評価は、可もなく不可もなくといったところだった。そこにはファンである僕への遠慮も含まれていたように思う。ひとりが「ジョン・レノンの名前で売れたんだよ」と言うと、その場にいる全員がうなずいた。
でも、僕はこの曲が大好きだった。音楽的には肩の力を抜いた佳曲といった趣きだったが、ジョンのヴォーカルは生き生きとしていたし、なにより歌詞が素晴らしかった。
誰もがしゃべっているけど
誰も言葉を発していない
誰もが愛し合っているけど
誰も本気じゃない
風呂場にナチスがいるぜ
階段のすぐ下だ
いつも何かが起きているけど
何も前に進んでいない
いつも何かを料理しているけど
鍋の中には何も入っていない
中国では餓死者が出ているんだ
君もどうするか決めなきゃならない
対比的なフレーズが物事の本質を鋭く突いていた。言葉で遊ぶように韻を踏みながら、歌っている内容には普遍性が感じられた。まさにジョン・レノンにしか書けない曲だった。
ここでジョンが歌っているのは、現実と真実の間にあるズレだ。目に見えるものが本当とは限らないという示唆だ。曲が進むにつれ、ジョンの言葉は痛快さを増して行く。
「誰もが駆け回っているのに、誰も行動を起こしていない」、「誰もが勝者なのに、ひとりも敗者がいない」、「誰もが泣いているのに、泣き声ひとつ聞こえない」、「誰もが飛んでいるのに、誰も空には触れていない」。そしてジョンは、まるで両手を広げるようにして、こう感想を述べるのだ。
こんな時代が来るなんて
誰も言ってなかった
こんな時代が来るなんて
誰も言ってなかった
まったく奇妙な日々だよ
おかしなもんだね、ママ
そもそもこの曲は、1978年にリンゴ・スターのために書かれたと言われているが、39年がたった今でもその有効性はまったく失われていない。むしろ、予見的でさえある。僕だってこんな時代が来るなんて思いもしなかった。
ある日のこと、学校に行くと数名の友人が興奮気味に僕に話しかけてきた。「ジョン・レノンは最高だ」と言う。それは間違いないが、突然のことで意味がわからない。
なんでも「ノーバディ・トールド・ミー」のミュージックビデオ(※)に訳詞をつけたものがテレビで放送されたらしく、そこで歌詞の内容を知ったというのだ。
「すげぇかっこいいよ。あの歌詞、最高。俺はポールよりもジョンの方がいいなぁ」とまで言いなさる。僕はほくそ笑むしかなかった。やっぱりジョン・レノンの言葉の力は絶大だ。たった1曲で状況を一変させてしまうのだから。
※注:
当時のミュージックビデオはリメイクされ、今は観ることができません。
2017.08.27
YouTube / johnlennon
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