リレー連載【グラマラス・ロック列伝】検証:90年代「ヴィジュアル系」とはなんだったのか? vol.1
変身願望というヴィジュアル系のアイデア
デヴィッド・ボウイ、マーク・ボラン(T・レックス)に代表される1970年代初頭のグラムロック・ムーブメント。そしてジャパン、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブなどが一世を風靡した80年代の第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン ~ ニューロマンティックの系譜。アメリカでは、KISSによって確立された “メイクをすることで独自の世界観を明らかに強烈な存在感を示す” 手法。
そういった “変身願望” に、80〜90年代に活躍した日本のハードロック、グラムロック、パンク、ビート系のバンドが多大な影響を受けたことは想像に難くない。美しく妖しい海外アーティストたちの音を聴き、そのステージを観た日本のバンドマンたちが、メイクアップ、コスチューム、歌詞などのアイテムを用いて “異世界” を表現する自らの世界を構築した。これが日本独自の音楽といわれる “ヴィジュアル系" を生んだ一要因であることは間違いない。
ホコ天という空間とエネルギー
そして、ヴィジュアル系の息吹が芽生えた背景のひとつに、原宿の歩行者天国(通称:ホコ天)が挙げられる。ホコ天が実施されたのは1977年から約20年の間。代々木公園の交番前から青山通りまでの約2.2キロが、休日・祭日は車両通行止めになった。
初期の “竹の子族・ローラー族” に続いて、80年代後半から路上ライブを行うロックバンド(ホコ天バンド)が次々と生まれていった。アンダーグラウンドの世界、いわゆるライブハウスといった数10人〜100人の観客を相手にうごめいていたエネルギーが、一気にオーバーグラウンド(多くの人目に触れやすい世界)に噴き出していく。
演じる者がいれば必然的に見る者がいる。見る者が増えれば演る者に “人気” というブースターが付くようになり、より多くの見る者を獲得するための方法を講じるようになる。小さなハコから噴出し、ストリートで成長を遂げた文化は、それを束ねようとする資本の力により拡大化そして肥大化していった。BOØWYがそのピークを迎えていた80年代後半、巨大化していくエネルギーの象徴的な受け皿として、東京ドームの完成(1988年)を見る。
バンドたちの大いなる希望だったイカ天
さらに、何かしらの出口を模索していたバンドたちにとって、89年にスタートした伝説の番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称:イカ天)が、大いなる希望となったことは間違いない。ライブハウスで数10人のファンに向けていたエネルギーを電波メディアに乗せることができる── こんな夢のような話に、数多くのアマチュアバンドが殺到した。
“観せる・魅せる” とはどういうことか、数分の時間で自分たちをアピールするにはどうすれば良いか? それまで問題集も解答も何もなかった世界への入学試験に対し、“非常にわかりやすい、具体的な解答例” が毎週提示されていった。結果、多種多様な音楽性と、それをバンド形態で “観せる・魅せる” ことが密接に合体していく。そう、“ヴィジュアル” という下地は既にその中に生まれていた。
凄まじい勢いでシーンを牽引したX JAPAN
そんな中、なんといっても、シーンの骨格と全体像を作り、凄まじい勢いで牽引したのは間違いなくX(X JAPAN)である。
髪形をダイエースプレーで固め、“ツノ” と “ウエーブ” という、左右別々のアプローチで作り上げ(立たせたパンクと長いメタル)、誰の目にも異形に映る外見を提示。さらに メジャー・デビューアルバム『BLUE BLOOD』のジャケットに自らの音楽構成基盤、この先の指針でもある “PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK” を明確に宣言。その過剰なエネルギーは当然ライブステージにも現れ、超高速の連打を続けるドラミングや、ハイトーンで突き進むボーカルなど、どれもが異常に過剰な圧で空間をコントロールするものだった。
そして、オーケストラを導入した「ENDLESS RAIN」をはじめとしたクラシック由来の楽曲との混在。暴力と美がせめぎ合いながら昇華していくさまには思わず魅せられ、虜にさせられた。そう、1989年にリリースされたXのアルバム『BLUE BLOOD』はヴィジュアル系という存在のイメージの多面性を提示した作品であり、そのアンセムであった。
【グラマラス・ロック列伝】【グラマラス・ロック列伝】90年代 “ヴィジュアル系” とは何だったのか? vol.2(7/18掲載予定)
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2024.07.08