今でこそ音楽業界における「メジャー」と「インディーズ」の境界線が曖昧になり、メジャーデビューという言葉自体が形骸化しているが、80年代の両者の間には超えられない厳然たる壁が存在していた。ジャパメタシーンでもバンドがメジャー進出やデビューを果たすとビッグニュースとして報じられ、ファンもそれを快挙として喜んだものだ。 そんな時代にリアクションがアルバム『インセイン』で打ち立てたインディーズで「1万枚」というセールスのインパクトは計り知れず、一体どうやって? という驚きしかなかった―― 当時高校生バンドをやっていた僕は、地元のバンドがデモテープを500本完売した、なんて話を聞くだけでも凄いなあと思っていたので、1万枚は大袈裟でなく天文学的な数字にすら感じたのである。 彼らの最初の音源は84年。インディーズ色の強いスターリンの元メンバーのレ-ベルからリリースされたのは興味深い。リアクションは精力的なライヴ活動で評判を上げ、関東のメタルシーンでメキメキと頭角を現していった。メンバーチェンジを重ねる中で、44MAGNUM のローディーだったという加藤純也をヴォーカルに抜てき。その44MAGNUM が所属するデンジャークルーから発表されたのが『インセイン』だった。 リアクション最大の魅力は「疾走感」だ。共に関東のメタルシーンをけん引したアンセムの重戦車の如き疾走でなく、スポーツカーが最大トルクで瞬時に加速するようなドライヴする疾走。「ジョイ・ライド」「ロンサム・ナイト」「インセイン」といったツーバスで押しまくるキラーチューンを初めて聴いたとき、あまりの速さに身体が置いていかれる感覚に僕はとらわれた。同時に、覚えやすいキャッチーなメロディと、女への欲望をストレートに表現した歌詞も相まって、彼らの楽曲が僕の脳内を何度もリピートしていった。 「速さ」を支える源はドラムスの梅沢 “UME” 康博のプレイだ。UME ちゃんより上手いドラマーはいるかもしれないけど、彼ほど格好良くツーバスを踏み鳴らして疾走するドラマーは日本のシーンにいなかった。ギターの斉藤 “YASU” 康之の極限までムダを削ぎ落としたソリッドなリフワークとのコントラストが、スリリングな疾走感に拍車をかけた。 ヴォーカルの純也は経験も浅く歌唱力で勝負するタイプではなかったが、その声質とヴォーカルスタイルはバンドの方向性に見事にフィットした。また、逆立てた長髪をなびかせたベースの反町 “YUKI” 哲之と並び、天性といえるステージングの巧さは群を抜いていた。当時のライヴ映像を今見ても、これを観せられて興奮しないメタルファンはいないだろうと思える格好良さだ。 こうして、若いメタルファンの心をわし掴みにする数々の魅力が、インディーズで1万枚という金字塔に結びついていくのだ。この実績をメジャーレコード会社が放っておくはずがなく、ビクターと契約してメジャーデビュー作『アジテーター』を発表。以降はキャッチーな LA メタル風やハードロックンロール調のテイストを強めていく。それでも、アルバムには必ず定番の疾走チューンが収められていたが、メジャー4作目の『ツイスト&シャウト』では遂にそれも消滅。バンドのトレードマークを失ったのと引き替えに、結果としてこれがラストアルバムとなってしまう。 『インセイン』は楽曲を並び替えてメジャー発で CD 化されている。しかし、完璧に練られた曲順が改悪されてしまい、彼らがインディーズ発でいかに優れた作品を創り上げたのか、改めて証明する形になった。 疾走する楽曲や躍動的なライヴパフォーマンスなど、リアクションの存在は後のヴィジュアルロックにも少なからず影響を与えている。先輩格の 44MAGNUM がヴィジュアルロックの始祖だとすると、リアクションはジャパメタからヴィジュアルムーブメントへのスムーズな橋渡しに貢献した重要なバンドだった。 時が流れ2006年にリアクションとして再結成を果たすも、2008年に YASU、2015年に UME ちゃんが相次いで早すぎる死を迎え、彼らのライヴを再び体感することは叶わぬ夢となった。『インセイン』からわずか4年足らず、その活動期間はバンド自らの楽曲の如き疾風の速さだったけど、彼らがインディーズとメジャーの両面でシーンに刻んだ功績は、これからもさまざまな場面で語り継がれていくはずだ。
2018.07.30
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