2023年 9月6日

The Good-Bye 40周年【野村義男インタビュー】② 僕の2本柱はCharさんとツェッペリン!

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The Good-Byeのアルバム「Oldies But Good Buy! Vol. III」発売日
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『The Good-Bye 40周年【野村義男インタビュー】① 全曲新録のベストアルバム発表!』からのつづき

The Good-Bye結成40周年! 9月6日には全て新録のセルフカバーアルバム『Oldies But Good Buy!Vol. III』をリリース。そして、『The Good-Bye 40th Anniversary Concert Tour』と銘打ったアニバーサリーツアーが東名阪で行われた。今回はこの記念すべき年にThe Good-Byeのヨッちゃんこと野村義男にインタビューを試みた。後編では、メンバーそれぞれの個性やファンに向けてのメッセージなど、今だから語れるThe Good-Byeの全貌をたっぷりとお届けします。


リハーサルとかプリプロがないThe Good-Byeのレコーディング


―― The Good-Byeの活動はアルバム制作に集中していたとお聞きしましたが、レコーディングの面白さはどんな部分にありましたか?

野村義男(以下:野村)The Good-Byeのレコーディングってリハーサルとかプリプロとかやったことないの。全くないです。レコーディングスタジオを予約しておいて、何月何日に曲を持ってこいと。それでスタジオにみんなが集まったら、誰から? となって、自分で作ったデモのカセットを聴いて、「これ今日! レコーディングするから」と。で、そこから譜面を書いて。毎回、次のアルバムはどうなるかわからないというところからレコーディングに入っていました。

―― はじめにコンセプトありきで、こういうアルバムにしよう、というのはないのですね。

野村:そう。だからどうなるかわからない。

―― 7枚目のカバーが中心となった「SHOUT!!」でも新たな一面が見えました。

野村:この辺りからディレクターが変わるんですが、「SHOUT!!」の時は川原さんがいて、初めてのカバーやろうよと。

―― ヤードバーズやキンクス、ジェリー&ザ・ペースメイカーズなんかのカバーが入っていて、すごく良いアルバムですよね。

野村:これは大変でした。今のアンプと楽器では、あの音は出せないから、「どうやってあの音出そうか?」と。だから、古い楽器を揃えて、エフェクターも全く使ってないし。これを今の楽器でやると音が “裕福” になってしまう。

――「SHOUT!!」の時は、みなさんおいくつぐらいでしたか?

野村:23、24歳ぐらいですかね。

―― すごい早熟ですよね。

野村:ほら、ギターが好きだから。その時すでに、レコーディングのためにギターを買うというのをやっていたから。



古文漢文の授業中に書いた「にくめないのがニクイのサ」


―― そんな中でシングルをヒットさせなくてはいけないというプレッシャーはありましたか?

野村:シングルの曲は僕が書いていないから、プレッシャーは少ないですよ。The Good-Byeは曲先の方が多いので、曾我さんはプレッシャーがあったと思います。ほぼ曾我さんの曲でシングルは構成しているので、そこに僕がどんな詞を乗せるかな、というのをメンバーは楽しみにしているというだけで。

―― 野村さんの言葉の選び方には、他のアーティストにはみられない個性を感じます。

野村:詞のほとんどは30分ぐらいで書き上げていました。それに学生だったというところも大きいかな。特に初期は、昼1時とかにビクターのスタジオに入って、そこで、初めて聴くんです。「これはシングルなんだ」と。それで演奏をして、仮歌を曾我さんが入れる。それをカセットテープに入れて僕は学校に行くんです。

―― 高校は夜間でしたよね。

野村:そうそう。夕方に学校へ行って授業中にウォークマンでそのカセットを聴きながら詞を書くんです。その日の授業が何かで詞が変わる(笑)。この曲にはこういう詞だよね、という僕にしか見えていない世界観があるから。メンバーの中で最初に詞を見るのは僕だからね。

―― リアルにティーンエイジャーが書く歌詞ということですね。

野村:バンドは18歳から始めているからね。それで19歳まで学校に通っていたのかな。4年制だからね。その時出来た「♪愛する 愛して 愛したら」(「にくめないのがニクイのサ」)というのは、古文漢文かな。「する すれ せよ すれば するとき」という活用形の授業中に書いたもの。だから学校の授業中に詞を書くというのが何かにつながる。で、それを書き上げてスタジオに戻るんです。で、歌のレコーディング。だから、学校に行ってきます、というのは静かな場所で詞を書いてきますという時間だったからね。

―― 詞は野村さんがメインで、曲の比率が思った以上に少ないなとも思えますが。

野村:僕が書くと偏りますからね(笑)。バランス的には良くないと思います。The Good-Byeが活動休止してから、ソロアルバムを何枚か作っていますが、そこは強烈に偏っていますね。最初に作ったアルバムは歌ってないし(笑)。ギター弾かせろよ、曲作らせろよ、みたいなね。



やはり加賀八郎にベースを弾いて欲しかった


―― 今回のアルバム制作で、まず選曲があって、完成するまでの一連の作業の中で一番思い入れがあったところはどこですか?

野村:全然ないです。普通にサクサクいきました。悩むこともなくね。好きな人にはたまらない作りにはなっていると思う。楽器もわかりやすいようにしたし。

―― 逆に昔の曲をやることによって、The Good-Byeの7年間の活動期を思い出すことはありましたか?

野村:思い出とかではないけど、やはり加賀八郎にベースを弾いて欲しかったね。それぐらいかな。加賀さんがいてくれたらもっと楽だったろうな。もっと変わっているだろうし。その思いが強いですね。The Good-Byeはみんなキャラが違うから、当時のレコーディングの時とか、それぞれがいてくれて成立したというのがあるから。

加賀八郎がいなくなって、ベースがいなくなって、そこから大所帯のThe Good-Byeになりました。ストリングスが入ったり、キーボードが二つ入ったりとか。そういう風に考えるとベースも必要だし。大所帯だから当時とは違った雰囲気を楽しめるというのはありますね。そこはファンがしっかり受け入れてくれているから。

加賀さんが亡くなって最初のThe Good-Byeはメンバー3人にキーボードを2人を入れたんですよ。1人のキーボードはベースラインをずっと弾くというやつで。そういう形態にした。だから竿(ベース)を持っている人を入れなかったという部分で加賀さんの必要さを分かってくれるかなと思って。次からはベースを入れてちゃんとやっていますけど。別の人がベースを弾けば、そこばかりがクローズアップされて可哀想かと。

―― 加賀さんに対する最大のリスペクトですね。

野村:それはありますね。その辺もファンの人たちは今回のThe Good-Byeがどうなっているのかを楽しんでもらえるかなと思っています。

「ノー・コンピューター」、人力だから音に揺らぎがある


―― すると、今回のアルバムも今のThe Good-Byeという捉え方でいいんですよね?

野村:そうです。今のThe Good-Byeだとこうなります、ということです。それと、どこかにクレジットを入れてもいいけど、「ノー・コンピューター」というね。すごく人力の音です。だからカチッと作られていない。音楽に揺らぎがある。

―― あたたかみがある音だと感じました。

野村:多分、曾我さんも僕もエフェクターをほとんど使っていないからというのもあるかもしれません。エレキギターという楽器の音です。音を変えたかったらギターを変えろというぐらいのもので。

―― そう考えるとすごく贅沢ですよね。

野村:どうだろ? わがままなんですよ。自分たちの作りたい味付けで作っているわけだから。

―― 40周年に向けてリリースしようということになり、制作期間はどのくらいでしたか?

野村:最初、曾我さんから連絡があって、「せっかくツアーを周るから、なんか作らない?」と。その前に10枚目のオリジナルアルバムを作っているので、「また新しい曲を作るの?」みたいな話になりましたが、僕は出し尽くしたからと。それで、セルフカバーやる? という話にまとまりました。それで何の曲をやるか、お互いにインフォメーションし合って、こんな感じだね、と決まってから僕がセレクトした4曲のアレンジに入って、レコーディングに入ったのが5月かな。そこから1ヶ月ぐらいかな。

衛藤さんは歌えるドラマー、曾我さんはとにかく勉強家


―― 今回はみなさんがボーカルをとっていますよね。亡くなられた加賀さんも含めて、メンバーのここがすごいというのはどういう部分ですか?

野村:加賀さんは本当に知らないものを持ってきますね。あの人は一番年上というのがありましたけど、とにかくアメリカのみんなが聴いている、もしくは誰も聴いていない曲について、詳しかった。どちらかというとフォーキーな方だね。アコギなんかもすごく上手だったし。

衛藤さんは、あの人歌うから、歌うドラマーと歌わないドラマーの違いがすごく出る。ドラマーって、きっちりしたリズムを叩けたら最高というのがあると思いますが、あいつ違うから(笑)。この歌は、きっちり、ここは少し… という感じで。それはリズムが悪いのではなくて、彼は歌っているんですよ。例えば、メロウなBメロが来た時は、ドラムもメロウになっているんです。すごく優しいし。だけど、そのあとサビが来た時に「サビ! サビ! サビ!」の連打みたいなね。

―― すごいドラマーですね。

野村:でもライブの時は目を瞑っているんです(笑)。陶酔しちゃうんです。それはダメなところですね。一番後ろにいるのにメンバーを見ていないから(笑)。後ろにいてくれたら安心するけど、何かトラブルがあっても、自分の世界に入っているから。それで何回叫んだことか(笑)何回も後ろを見て「エトー、エトー」ってそれでも聞こえないから(笑)。それも一つの特徴で、歌えるドラマーはやはり強いですね。

―― 曾我さんはどうですか?

野村:曾我さんはとにかく勉強家だから。作曲するときは、初めてのコードをいっぱい持ってくる人ですね。それで僕もコードを覚えたし。「えっ、そのコード何? そんなコード弾いたことないよ」みたいなね。それをコードブックに載っていない押さえ方で弾いてみせてくれることも。「そうするとこの響きなんだよ」と。初期の頃は弾きたがりだったしね。最後の方になるとピアノが大好きになっていたから、「ギターやっといて」と。どんどん変わっていきました。だから刺激をいっぱい持ってきてくれたし、僕がThe Good-Bye以外でギターを弾くとき、「これ、知っている、あの時覚えたもん」という場面も多かったですね。

The Good-Byeは流行りものじゃないから


―― The Good-Byeが7年間で、その後も現在に至るまで野村さんが音楽をやり続ける中で、ここで得たものは大きかったということですね。

野村:大きいですよ。レコーディングの仕方は、ここで学んだものしか出来ないし。自分のバンドの場合は、今もThe Good-Byeのやり方ですね。「せーの」で録っちゃうから。

―― 野村さんのミュージシャン人生の中で、The Good-Byeの7年間というのは短いですよね。

野村:短いですね。でも解散ではなく、今も続いているというのには驚きますね。

―― 僕もずっとThe Good-Byeを聴いていて、懐かしい感じは全くしないですよね。

野村:流行りものじゃないからでしょう。僕らは流行りものが出来なかったから。最初から古い!

―― そうです! それがすごく良いんです。

野村:流行りものには乗れなかったですね。ずっと乗らなかったな(笑)。レコードを売らなくてはいけないというのは分かっていたけど。レコード会社の人たちは辛かったね。

―― これが流行ったから、こっちに行くというのは一切なかったですよね。

野村:それは、メンバーが作っていたから職業作家の先生が「今、これが流行っているから全部打ち込みで」とやっていたら、今聴くと相当古くなっているじゃないですか。「この時代にこんな楽器使ってやんの。ピコピコいってるよ」みたいにね。「懐かしい!」って言われちゃう。

―― 今は音楽シーンがさらに多様化してきていますが、今のシーンをどう思いますか?

野村:何も思っていないです。だって、僕ができるのはこれだけだから。音楽シーンが変わってきたとか、流行りものが変わってきたとか、今はバラードだからとか、ラップが新しいとか言われても、「いやいや、僕ができるのはこれだけだから」と。好きなものがずっと変わっていないからね。インタビューでも「最近どんな音楽聴いていますか?」と訊かれるけど、「レッド・ツェッペリン、Char!」「え? あとは」「あとは聴かない。必要ないから」と。もちろん全く聴かない訳ではないですよ。

―― 分かります。自分の軸になるものは変わらないということですね。

野村:Charさん、ツェッペリンは僕の2本柱なので。一度好きになったらずっと好きなので。それが好きになったものに対してのLOVEだから。それを変えることはないだけです。

「まだ俺もやれる」と思ってくれたらいいんじゃないかな


―― The Good-Byeの音楽性もそういうことですね。

野村:ずっと人力で来ているからね。アルバムメインというのも、それがファンの人たちにも見えていたからね。ファンの方がマニアだから僕らのことを分かっている。今回のように新しいアルバムを作っても、今の何かが入っていることがみんな分かっているから。僕らより相当詳しいですよ。僕よりもThe Good-Byeの曲に詳しい人がいっぱい来るから。

―― それだけ愛しているんですよね。

野村:そうですね。ずっと休む間も無く、僕らが休んでいる間も40年The Good-Byeを聴いてくれているわけですからね。感謝しています。

―― 今のThe Good-Byeを観て聴いてもらって、どんなことを感じてもらったら嬉しいですか?

野村:お客さんの8割がたは同世代ですよね。きっと。旦那さんと一緒に来るファンの人もいるから。そういう人たちが見て、「まだ俺もやれる」と思ってくれたらいいんじゃないかな。僕らのステージを観て、感じて、聴いて、「まだやれる、まだやれる」って。うちは2人還暦ですから。「還暦世代で重たいエレキ持っているよ」とか、「あんな服着ているよ」とか、「10代の時の曲を一生懸命歌っているよ」とかね。それでいいと思うんですよね。

あなたの体の奥底に眠っているThe Good-Byeを呼び起こすためにやる


―― 最後に応援し続けているファンにメッセージをお願いします。

野村:みんな長くThe Good-Byeを聴いてくれていると思うから、途中、「何をしているんだろう?」と頭の上に大きな “?” があった時期もあるだろうと思うし、僕が髪を金髪にして「え? どうしちゃったの?」という時期もあったし、それを乗り越えて来てくれているから。それでThe Good-Byeをやると時にたくさん集まってくれるというのは、それだけ求められているのかな、聴いてきてくれているんだなとというのがあります。今回のツアーは、あなたの体の奥底に眠っているThe Good-Byeを呼び起こすためにやるので。少女だった頃に戻すためにね。




Information
メンバー選曲による自己ベスト、現在のThe Good-Byeが詰まったオール新録のセルフ・カバーアルバム『Oldies But Good Buy!Vol. III』好評発売中!

選曲は敢えてシングル曲に拘らず、ファンにとって永遠の名曲である「Take Off」「Good Byeのテーマ」他、メンバーが厳選した10曲を収録!
初回盤DVDには現在入手困難となっているDVD作品から代表曲をピックアップし、ライブ・アンソロジーとして復刻。副音声にはメンバーの思い出話を収録。


https://www.universal-music.co.jp/the-good-bye/products/uicz-9238/

特集:The Good-Byeに夢中!

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2023.09.16
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