1981年2月11日、有楽町の日劇こと日本劇場は異様な熱気に包まれていた。50年近い歴史を経てきた娯楽の殿堂も遂に取り壊しが決まり、『サヨナラ日劇フェスティバル』と銘打ったフィナーレ公演が日替わりプログラムで行われる中、4日後に閉館を控えていたこの日は人気絶頂のたのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)が出演したのである。
というのも、この日は彼らの初主演映画『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』の封切り日だったのだ。
建国記念日で休日だったため、まだ高校生だった私も、かつての黄金時代から日劇の売りであった映画と実演を最後に味わいたいと思って有楽町へ足を運んでみたが、劇場前を埋め尽くした女子たちを見てとてもじゃないが無理と諦め、そそくさと現場を後にした。
奇しくもこの日は、戦前からの大スター、李香蘭の公演『歌ふ李香蘭』に観客が押し寄せて日劇を7周半し、騒ぎを収めるために消防車が出動したとかしなかったとか言われる伝説の事件があった日からジャスト40年後の同月同日で、おそらく主催者側にもゲン担ぎの意図はあったことだろう。
結局映画は次の週末に通常の東宝映画封切り館だった日比谷映画街の千代田劇場で観た。その日も凄い混雑であった。劇場を埋め尽くした観客は9割方が女子で、閉口したのはスクリーン撮りする客が多かったこと。しかもフラッシュを焚く輩が少なくないのにあきれてしまった。
そんな中、男一人で少々肩身が狭いながらも頑張って席を確保する。映画は定時制高校に通う若者の友情や青春の葛藤が描かれ、少々重たいストーリーではあったものの単なるアイドル映画に終わらない、見応えのある作品であったと思う。
前年12月に発売されて既にヒットしていた近藤真彦のデビュー曲「スニーカーぶる~す」がそのままタイトルになるという、かつての歌謡映画の構造が実践されているのも興味深かった。
同世代だったたのきんの初主演映画を観たい気持ちはもちろんのこと、自分が劇場に運んだ本当の目的は、実は同時上映の『帰ってきた若大将』にあったのだ。怪獣映画を入口に往年の東宝映画ファンになり、必然的にクレージーキャッツや加山雄三の作品をオールナイト上映などで追いかけていた私にとって、10年ぶりに復活する「若大将」シリーズの新作を封切りで観られる機会を逃すわけにはいかなかった。
自分にとっては『スニーカーぶる~す』の面白さを遥かに凌駕していた新作若大将に対する女子たちの反応が微妙な感じなのは当たり前とは思いつつもちょっと残念だったが、当時、この2本が同じ脚本家による作品だと気づいたたのきんファンは一体どれくらいいたのだろうか。
両作の脚本を担当したのは田波靖男。「若大将」シリーズ前作のほか、植木等主演の『ニッポン無責任時代』以降、『大冒険』や『クレージー黄金作戦』などクレージーキャッツの主要作品を担当し、さらにはザ・タイガースの主演作も手がけた神様のような存在である。
『スニーカーぶる~す』に描かれた青春模様は、1974年にやはり氏が脚本を担当したフォーリーブス主演の『急げ!若者』を彷彿とさせるものがあった。同作の監督は『帰ってきた若大将』の小谷承靖であり、それまでに培われてきた田波と小谷の連携がいかに強靭であったかが窺える。
ちなみに『スニーカーぶる~す』の監督は、1975年のリメイク版『青い山脈』や、百恵・友和コンビ作『炎の舞』などを手がけてきた青春映画の練達・河崎義祐で、1983年には、田波も脚本に参加した松田聖子の主演作『プルメリアの伝説 天国のキッス』も監督している。
大ヒットとなったたのきん映画は “スーパーヒットシリーズ” と銘打たれ、その後も近藤主演の『ブルージーンズメモリー』、田原主演の『グッドラックLOVE』、近藤主演の『ハイティーン・ブギ』と続き、それぞれの主題歌も大ヒットしている。ヨッちゃんこと野村義男も、第5弾『ウィーン物語 ジェミニ・YとS』の同時上映『三等高校生』に主演して面目を保った。
最初は若大将を観るついでにという気持ちだった自分も、第6弾の『嵐を呼ぶ男』まで、結局すべての作品を劇場で観ることとなった。そこには当時の慣例だった同時上映というお楽しみもあったわけで、特に最強だった『ブルージーンズメモリー』と『ねらわれた学園』の2本立には並々ならぬ思い入れがあるのだが、それはまた別の話。
2017.07.21
YouTube / 반동의 블로그
YouTube / jun yamamoto
Information