1989年は1月7日に昭和天皇が崩御。時代は平成になり、世の中は明るく、軽くなったように思えた。バブル崩壊の波がもうそこまで来ていて泥臭いモノが徐々に淘汰されはじめた時だ。そして、この時期はバンドブームでもあった。
DEAD END はインディーズ時代から日本のメタル界において、すでに重鎮であった。インディーズ盤である1stアルバム『DEAD LINE』を経て、続く『GHOST OF ROMANCE』(1987年)で鳴り物入りでメジャーデビューした。
メジャー2枚目のアルバム『shambara』まではボーカルの MORRIE の歌唱法が生々しい。今で言う「デス・ボイス」と「クリーン・ボイス」を使い分けていたが、続く3枚目のアルバム『ZERO』では、ほぼクリーン・ボイスで統一している。
曲はどちらかというと明るくなり歌詞も過去のアルバムより観念的になって、オカルト的な要素は少なくなった。アルバム毎に雰囲気を変えてきた DEAD END だったが、当時これを聴いたファンはほぼ全員が一瞬戸惑っただろう。ゴリゴリのメタルサウンドだった彼らがヌルくなったように感じた人は本当に多かった。バンドブームの最中でもあったから “売れ線狙い” と思った人もいたはず。
何よりルックスを変えてきたのには驚いた。それまでドラムの湊雅史氏以外はコテコテのメタル服やV系元祖とも言われる程の化粧をしていた。そう、DEAD END は、このアルバムからスタイリッシュなファッションになった。
後に L'Arc~en~Ciel がブレイクするが、ボーカルの hyde を見た DEAD END ファンのほとんどは、MORRIE みたいだと思ったに違いない。だが時が経ち、現代の若者たちに DEAD END の映像を見せると、そのほとんどが「hydeさんみたい」という(笑)。
そんなこんなで音楽のみならず、歌詞、ルックスの変更に困惑していたが、アルバム発売からしばらく経つと不思議な事に「捨て曲無しの名盤」という空気がファンの間で蔓延! 勿論、楽曲自体の良さもあるが、DEAD END は元々スピードナンバーが少なくスラッシュメタルのような曲はないに等しかった。だから『ZERO』には、ノレる曲が入っていたのが大きかったように思う。それと大事なのはライブにおける空気だ。
以前の彼らは、ステージで笑ったりすることはあまりなかったがこのアルバムのツアーやテレビ出演では、常々楽しそうな笑顔が見られた。要は素で演奏を楽しみ、肩の力が抜けてかっこつけなくなったという事。そうした彼らのスタイルはバンドブームと重なり、ロック好きの少年少女から支持された。
素の彼らは、本当にかっこ良かった! そして、DEAD END の曲は今聴いてもまったく古く感じない。アルバム『ZERO』がまさにそれ。だが、悲しい事に計4枚のスタジオアルバムとライブアルバム1枚を出し1990年に解散。この時期、地方のファンはライブを観ていない人も多いんではないか? DEAD END はバンドでありながらライブの本数が少なかった。まさに伝説みたいなバンドだった。
時が経ち、DEAD END に影響を受けたミュージシャン達が今ではビッグな立ち位置にいる。トリビュートアルバム『DEAD END Tribute - SONG OF LUNATICS -』(2013年)に参加したメンバーを少し紹介しておく。
■HYDE(L'Arc~en~Ciel / VAMPS)
■HIRO(La'cryma Christi)
■Shinya(DIR EN GREY)
■河村隆一(LUNA SEA)
■SHUSE(†яi¢к / La'cryma Christi)
■Shuji(Janne Da Arc)
■清春(黒夢 / SADS)
■栄喜(SIAM SHADE)
■SUGIZO(LUNA SEA / X JAPAN / JUNO REACTOR)
■MOTOKATSU MIYAGAMI(THE MAD CAPSULE MARKETS)
■燿(摩天楼オペラ)
■BAKI(GASTUNK / MOSQUITO SPIRAL)
■都啓一(SOPHIA / Rayflower)
■千聖(PENICILLIN)
凄まじい面子である…。
2009年 DEAD END は再結成した。
最近、復活するバンドに対し「伝説のバンドが再結成」という文言がよく出てくる――
DEAD END の再結成は、まさに「あの伝説の」という形容詞がぴったりだった。
2019.03.24
Apple Music
Apple Music
Information