4月21日

昭和カラオケ争奪戦!「ふたりの愛ランド」あの娘を射止める最終兵器

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石川優子とチャゲのコラボレーションシングル「ふたりの愛ランド」がリリースされた日
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日本人の生活にすっかり馴染んだカラオケ文化。いまは「ヒトカラ」という “おひとりさま” で楽しむ層が一定数あり、一人客用の専用ルームを設けていないカラオケ店は次々と淘汰され閉店を余儀なくされるという… それが現代のカラオケ事情である。

時は遡り1987年―― 社会に出て働き始めた僕は、お酒と一緒にカラオケという遊びに出会ってしまった。

僕のカラオケデビューは、先輩に連れられて行った確か三軒目くらいの小さなスナックで、「銀座の恋の物語」を化粧の濃いママと一緒に無理やり歌ったというツライものだった。

それからほどなくしてショーパブ(ステージのある洋風居酒屋)のような、客席が50程ある規模のお店にも続々とカラオケの機械が設置されるようになる。

当時のシステムは、店員さんに歌いたい曲をリクエストして、順番を待ち、番号を呼ばれたら中央のステージで歌うというもの。そう、その頃のカラオケは、知らない人が大勢いる前で歌うという相当に恥ずかしい娯楽だったのだ。身内だけで遊べるカラオケボックスが普及するまでには、あともう少し待たねばならない。

さて、フランス料理屋の下働きだった僕と同期の友人は、男だけのむさ苦しいキッチンで働くストレス発散のため、毎晩飽きもせずに繁華街へと繰り出していた。

「モテる男になるには…」について、僕らは安いレモンサワーを呑みながら侃々諤々(かんかんがくがく)と議論を戦わせた末、全くモテない僕らは「カラオケが上手くなればモテるはず」という結論にたどり着く。

とは言っても、当時はひとりで練習する場所なんてなくて、ただひたすらウォークマン片手にぶつぶつ独り言のように歌詞を覚えるくらいが関の山であった。それでも練習は怠らない。何故ならモニターを見ないで歌うことがモテる条件の一つだと僕らの意見が一致したからだ。

あとは場数を踏むだけである。当時よく歌ったのが、TUBE の「シーズン・イン・ザ・サン」とか、安全地帯の「熱視線」。チェッカーズなら「ジュリアに傷心」、ちょっと笑えるナンバーとして吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」とか、「雪国」(モノマネ的に歌う)で、堀江淳の「メモリーグラス」の語尾を聖子ちゃん風にキュンと上げて歌うのは当然お約束であった。

“店内で知り合った女の子とデュエットをキメる” という最終目標を掲げた僕らは、その選曲に余念がない。ところが思いつくデュエット曲は演歌ばかりで、「銀座の恋の物語」はさておき「三年目の浮気」とか「男と女のラブゲーム」とか、どうもしっくりこない。

そんな中、唯一ノリのいい曲がチャゲ(現:Chage)と石川優子が歌う「ふたりの愛ランド」で、このハモリを完ペキにした者だけに明るい未来が訪れるはずだと、僕らは日々練習を重ねたのだった――。

「ふたりの愛ランド」は1984年4月にリリースされた石川優子とチャゲのコラボレーションシングルで ’84 JAL 沖縄キャンペーンソングとして世に羽ばたいた曲だ。

当時「チャゲ&飛鳥」でありながら、飛鳥だけが前面に出てしまっていたことをヤマハの制作プロデューサーは危惧していた。何とかしてチャゲを売り出すため、JAL から依頼を受けた CM ソングにチャゲの作った「ふたりの愛ランド」を採用。そして飛鳥ではなく JAL キャンペーンソングの経験がある石川優子と組むことを提案したのだ。

’81 JAL 沖縄キャンペーンソングだった「シンデレラサマー」のヒットで、TBSテレビ系列『ザ・ベストテン』や日本テレビ系列『ザ・トップテン』に出演を重ねていた石川優子は、その愛くるしい美貌(八重歯がキュートでしたよね)でアイドル的な役回りをしていたけれど、いやいや立派なシンガーソングライターであり、チャゲに引けを取らない歌唱力も兼ね備えていた。

さて楽曲はというと、覚えやすいメロディーラインとハモリの美しさが印象的な仕上がりで、シンセベースとシンセドラムという当時流行りのアレンジで夏らしさ全開だった。

後に大ヒットする米米CLUB「浪漫飛行」(1990年リリース / JAL STORY 夏離宮キャンペーンソング)が同じようにシンセベースとシンセドラムを使っていて、この頃から JAL 上層部はこの手のアレンジが好きだったのかもしれない… と、久々に聴き込んで思いもよらぬ発見をしてしまった。気になる人は合わせて聴いてみて欲しい。

閑話休題

僕らはついに練習の成果を発揮する場面に遭遇した。通いなれた店の一角にキュートな女子2人組を発見したのだ。安いレモンサワーで酔っ払っている場合ではない。

とにかく僕らは日々練習を積み重ねた “モニターを見ないで歌う” を実践し、時には振り付けを、時にはモノマネをキメて女子の気を引こうと次々リクエストを店員さんに渡す。

彼女らも当時流行っていた「おニャン子クラブ」などの楽曲をじゃんじゃん突っ込んでくる。僕らはその度に拍手喝采だ。

すると、他のグループの男子も参戦してきた。彼らは爆風スランプの「月光」をチョイス(シブいね)。僕らも負けずに C-C-B の「Romanticが止まらない」を繰り出してみる。白熱する女子争奪戦… そうこうするうちに僕の番になり、満を持して「ふたりの愛ランド」を店員さんに告げた。いよいよ勝負だ。

―― 番号が呼ばれ、颯爽とステージにあがる僕。

シンセのイントロが響く中、お目当ての女の子の方を向いて口パクで「歌う? 一緒に歌う?」と誘ってみる… すると驚いたことに同じステージに上がってマイクを受け取ってくれたのだ。


 夏が噂してるわ あなたのことを
 ピンボールみたいで 気がおけないわ


めっちゃ歌が上手い…
そして僕のターン…


 小麦色にやけてる おまえのせいさ
 風のない都会を忘れてみないか


やってしまった…。僕の第一声は完全に裏返ってしまった… キーが高いのだ。
店内大爆笑である。その子も腹を抱えて笑っている。

ツライ… しかし掴みは OK だ!瞬く間に気を取り直した僕はすぐに持ち直し、その後に続くハモリを完ペキにこなす。彼女と目が合い、笑顔を交わす… そして歌い終わると大喝采だった。

「よし!この後は別の店で彼女らと飲み直してその後は… むふふ…」と単細胞な僕らがニマニマしていると、全く眼中になかったノーマークのサラリーマングループから刺客が現れた。ビシッとスーツをキメた彼が歌うのは「2億4千万の瞳」… 郷ひろみだ。
ハイテンションなイントロからの第一声で度肝を抜かれる… 素人の域を軽々と超えたその美声に一瞬鎮まりかえった店内。上手い… 上手すぎる…。

見れば1分前まで僕とノリノリだった彼女が、あろうことか羨望のまなざしでそのサラリーマンに釘づけになっているのだ。あぁジャパーン…。

―― その結果、歌い終わった彼と彼女らは、互いのテーブルを合体させて何やら楽しそうに盛り上がっている… 完全に敗北だ。僕らの野望はたった一人のサラリーマンによって粉々にされた。惨めなものである。

大した金も持ち合わせてない僕らは奢ってあげることもできず、少し滲んだ名刺をそっと女子のテーブルに置いて明日へ帰るのが精いっぱいの抵抗だった。青春の後ろ姿は寂しげに見えただろうか。


追記:
今回は懐かしくもほろ苦い思い出話でした。見知らぬ人と歌い合う歌謡合戦、いまできるお店はあるのかな? ご存知の方います? リマインダーさんが、こっそり水面下で企画してないかなぁ…。

2019.07.18
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カタリベ
1967年生まれ
ミチュルル©︎
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