「ネヴァーマインド」の分かりやすさを封印した「イン・ユーテロ」
1993年9月21日、ニルヴァーナはサード・アルバム『イン・ユーテロ』をリリースした。1991年にリリースした前作『ネヴァーマインド』が空前の大ヒットとなり、シアトルのローカルシーンの有望バンドから90年代のロックシーンにおいて最重要バンドと目されるようになった。
バンドを取り巻く環境は激変し、それまでのインディーな活動から大メジャーな展開になり、動くお金も桁違いに増えたことは容易に想像がつく。リーダーでソングライターのカート・コバーンは、こうした大きな環境の変化に対応できず、摂取する薬物の量も増え、次第に奇行も目立つようになってくる。しかし、その姿すらオルタナティヴで今までのロックスターとは異なる新しい価値観を持ったグランジ・アイコンとして、我々ロックファンは、カートの一挙手一投足に夢中になっていった。
もともとアンダーグラウンド・シーンにルーツを置いているカートからすると、膨れ上がる人気と期待は自らの出自への裏切りと感じるようになり、それを受け入れて活動しなくてはならない自分自身への憤りにまで発展していった。
こうした精神状態でカート・コバーンはサードアルバム『イン・ユーテロ』の制作に向かったため、本作は『ネヴァーマインド』が持っていたある種の分かりやすさやグランジが持っているノイジーで豪快なギターロックという魅力を封印し、難解で分かりにくい作品になるとカートはインタビューで度々語っていた。
そうした制作方針を裏付けるようにスティーヴ・アルビニをプロデューサーに迎え、それまでのアルビニのプロデュース作品で鳴らされているピクシーズやスーパーチャンク、ジーザス・リザードの音像を参照することで、ニルヴァーナの新作がどのような作品になるのかということが、ロックファンやプレスでも大いに語られていた。
実際にリリースされた『イン・ユーテロ』は、確かに『ネヴァーマインド』にあったドライブ感や分かりやすさはぐっと抑えられ、その代わりにキリキリするような耳をつんざくギターノイズとズッシリした重たいビートが鳴らされていた。しかし、奏でられているメロディーは『ネヴァーマインド』ほど分かりやすいものではないにしても、同時期のグランジ・オルタナ系の作品に比べても格段に起伏がハッキリとしたメロディーが印象深く、ソングライターとしてのカート・コバーンの才能の大きさを示してくれた。
また、アレンジについては、ピクシーズが確立したクワイエット・ラウドという静かさとノイズを組み合わせて強弱をつける手法が『ネヴァーマインド』の時より顕著に導入されており、こうした音像を録音させたら右に出る者はいないであろうスティーヴ・アルビニの起用の効果が最大限に活かされている。
自分が嫌いで、死んでしまいたい… 追い込まれたカートの心の闇
さて、本作は当初、『アイ・ヘイト・マイセルフ・アンド・ウォント・トゥ・ダイ(自分が嫌いで、死んでしまいたい)』というアルバムタイトルにしようとカートは考えていた。もう、絶望的なタイトルとしか言いようがないのだが、この当時のカートの精神状態が如実に表現されている。また、本作のオープニングトラック「サーヴ・ザ・サーヴァンツ」では「10代の苦悩はすっかり清算された、今じゃ俺は退屈なジジイ」と歌い出される。このセンテンスからも分かる通り、彼らの代表曲であり、彼らを世界的トップバンドに押し上げた「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」を否定しているようなメッセージを含んでいる。
当初のアルバムタイトルの構想や反ティーンスピリット的なメッセージからも『イン・ユーテロ』が自己嫌悪と自己否定によって作られた作品であることは明らかだ。
ロックスターとしては、あまりにも繊細で傷付きやすいカート・コバーンの性格が出ているし、そうした繊細さに我々ファンはたまらない魅力を感じていたのだ。その結果、本作のリリースから7ヶ月後にカートの自殺という悲劇が起こってしまうことは、皆さんもご存知のとおりだ。
繊細な感性の表現者は、ロックシーンではとても多く、そうした表現者の作品に私はとても魅力を感じる。奏でられる音も切羽詰まった緊張感があるし、歌われるテーマも切実で他人事ではないため、表現としてのリアリティーが増すからだ。こうした優れた表現者は、自身の葛藤を歌うこと自体がセラピーとなり、精神的バランスを保っている場合が多いように感じる。
しかし、カート・コバーンは葛藤を歌うことで得られた共感が大きければ大きいほど(=セールスが多くなるほど)自身の苦悩も大きくなっていくという、超マイナスのスパイラルに陥っていたのだ。カートが葛藤を歌うことでセラピーになる表現者であったとしたら、私たちはニルヴァーナの4枚目以降の作品を聴くことができたかもしれない。そう思うと月並みな言い方になってしまうけれども、本作が最後のスタジオアルバムとなってしまったことは残念で仕方がない。
自殺したカートの遺書には、ニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ、マイ・マイ(イントゥ・ザ・ブラック)」からの一節「霞んで消えるよりはむしろ燃え尽きたい」という歌詞が残されている。カートの最後のメッセージからは、自身の表現が精神をすり減らすものであり、こうした表現が長続きするものではないことも自覚していたのではないかと考えてしまう。
私たちロックファンは、カートのことを、そして、ニルヴァーナのことを最高にカッコいいと思い、彼の抱える葛藤のことは大して気にもかけず、気楽に作品を楽しんでいた。我々ファンからの大きな期待がカートの精神を蝕み、苦しめ、自殺という最悪の結末を生み出してしまったのであれば、私たちの行いは無責任であったのだろうか?… そんなことも考えてしまうのだが、それもどうすることもできない問題だったのだろうか?
メランコリックな楽曲こそ、本作の聴きどころ
さて、そんなことを考えながら本稿を書くために久しぶりに二ルヴァーナの『イン・ユーテロ』に針を落としてみた。前述のとおり、リリース直後は私も20代で若かったためかノイジーなギターサウンドばかりに耳を奪われていた。しかし、自分が50代になって、あらためて聴き返したところ、アルバム終盤に収録されている「ペニー・ロイヤル・ティー」やラストナンバーの「オール・アポロジーズ」といったミドル〜スローのナンバーが印象に残る。
これらの楽曲は、当時のカートの心情が如実に表現されており、ノイジーというよりは、むしろ内省的でメランコリックな印象だ。こうした流れは、その後のロックシーンにおいて、オルタナカントリーやアメリカーナと呼ばれる内省的な表現を特徴とするバンド群の活躍や、エモーショナルハードコアという情緒的でメロディアスなパンクロックがシーンを席巻していくことにも繋がっているように感じられる。また、インディーフォークと呼ばれるアーティストたちが内省的な音楽を奏で、次々と傑作を作り出していることも関係性があるのではないだろうか。
鬱屈とした自我を爆発させるためのノイズギター発生装置がグランジであったとするならば、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』は、そこから一歩踏み出した表現の深みを獲得することに成功した。しかし、表現の深みと引き換えにグランジ世代最大の才能を生贄として差し出さなければならなかった。そして、その代償はあまりにも大きかったとしか言いようがない。
遺作「MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク」に宿る深い悲しみ
さて、ここからは少し余談になるのだが、カート・コバーンの遺作は『イン・ユーテロ』ではなく、死の5ヶ月前、1993年11月18日に、ニューヨークのソニースタジオで録音されたライブアルバム『MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク』である。タイトル通りMTVの名物企画のアコースティックライブなので、当然、エレクトリックギターのノイズは一切聴こえてこない。
しかし、本ライブ盤に刻み込まれたカートの声は、アコースティックな演奏だということを差し引いても有り余るほどに深い悲しみと孤独に満ちた鬼気迫る歌声を聴かせてくれる。そして、本ライブ盤のラストナンバーであり、ハイライトとして、ブルース / フォークの巨人、レッドベリーのカバー曲「ホエア・ディド・ユー・スリープ・ラスト・ナイト」が歌われている。
この曲で聴くことができるカート・コバーンの声は悲痛そのもので、今聴いても背筋が凍りつくような緊張感がみなぎっている。カート・コバーンが私たちに最後の最後に残してくれた演奏は悲しすぎる歌声なのだが、それ以上に儚く、そして美しい。
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2023.02.23