「B’zのファンなんて会ったことないだろ?」 これが僕の隣人の口癖だ。確かに僕らはB’zのファンに出くわしたことがない。CDが何十万枚も売れているからにはきっと世の中にはそれだけファンがいて、B’zを聴いて感動したりハモったりする人が相当数いるに違いない。 それなのに、なぜか僕らの周りにはいない。音楽の趣味も支持政党と同じで似たものどうしが集うからといえばそれまでだが、そうはいっても一人くらい、俺実は好きなんだという知人がいてもよさそうなものなのに。 今となっては知る人ぞ知る80年代の偉大なバンドJAGATARAは、そんな大衆の心を鷲掴みにするバンドとは真逆の存在だ。80年代のロックといえば、尾崎豊やハウンド・ドッグ、BOØWYを想いうかべる人が大半だ。 JAGATARAにしてみれば売れるか売れないかなんて「何のこっちゃい」、黙々とライブを続けLPを生産していた。デビューが70年代末で、アルバムの発売がすべて80年代。90年1月27日にヴォーカル江戸アケミの突然の死で活動停止に追い込まれたJAGATARAは文字通り80年代のバンドだ。 ヒット曲がなく一発屋ですらなく、大衆とは無縁ながら、しかし決して完全に忘れ去られてしまうこともない。どの時代にも熱烈なファンが必ず存在する。 江戸さんの死で消え去るかと思いきや、(元)栗コーダーカルテットの近藤さんがかつて在籍したハイポジがカヴァーしたり、3巻本の記録映像が発売されたり、入手不可に陥っていたファーストシングルのCDを付録とした写真集が出たり(未だかつてそんな僥倖に恵まれたバンド、他にありますか?)、伝記や詩集が出版されたり。死後10年がすぎても依然としてCDが再発されBOX化もされ、中古市場でLPの値も下がらないし、新たにヴィデオがでたり、初期のライブ音源が発掘されたりする。 みんなが示し合わせて存在しなかったことにすれば即座に実現するだろうに、誰かが語り歌い継いでしまう。JAGATARAはまさに喉元につかえた骨だ。ヒット曲で想いだしてもらえないのに、忘れ去るのも許されない。どうにも厄介だ。 かつて「天国注射の昼」というイヴェントがあった(1983年)。JAGATARAも出演したそのコンサートの一部は『HISTORY OF JAGATARA』(全3巻)の第1巻にも収録されている。そこで江戸さんは「24時間テレビ 愛は地球を救う」(放送開始は1978年から)を皮肉り「愛は地球を滅ぼす」と言い換えてから、手が麻痺した障がい者のしぐさを真似て、こう言い放った。 「障がい者のこんなかっこう見せて、かわいそうですね、かわいそうですねって、ばかにすんじゃねぇよ」。 この発言以来、僕は消化不良に悩まされている。さまざまな思惑や駆け引きがあるにせよ、24時間テレビが福祉を謳い、そこで集めた寄付を障がい者支援に当てるという善意は完全には否定しがたい。ここで猜疑心を別とするなら、少なくともその趣旨は障がい者への差別からはほど遠い。それを踏まえてなお、あえて同情と蔑視を読みとり、批判したのはなぜなのか。 もちろん2016年を生きる僕らは「感動ポルノ」という言葉を得てから、パラリンピックの放送で用いられそうな「健常者と同じように」とか、「健常者よりも」といった発言それ自体に差別を嗅ぎつける程度には敏感になっている。 そうであってもなお、テレビが障がい者を映し支援を訴えることには、大方の同意が得られるのではないか。それをあげつらうなんて、自分じゃ何もしないくせに何にでもいちゃもんをつけるひねくれ者の妬みにすぎないんじゃないか。 JAGATARAは僕にとっていつだって目の上のたんこぶだ。できることなら見えない振りでもして、たんすの奥にでもしまいこんでしまいたい。それなのに喉もとの骨のように気になって仕方がない。 いつまででも気がかりで、ようやく忘れかけたころに「仲間を作れ。JAGATARAなんて聞かなくていい」だとか、「お前はお前のロックンロールをやれ」なんて言葉が耳元にこだまするし、たまにしか行かないコンサートで「もうがまんできない」がカヴァーされて(ヒット曲どころかシングルですらないこの曲をなぜあえて?)リアルな現実を突きつけてくる。ほんとに困ってしまうのだ。 誰かJAGATARAをとっぱらってくれ。
2016.10.31
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