7月21日

EPICソニー名曲列伝:土屋昌巳のロックンロール性と「すみれ September Love」の先進性

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photo:SonyMusic  

EPICソニー名曲列伝 vol.5

一風堂『すみれ September Love』
作詞:竜真知子
作曲:土屋昌巳
編曲:土屋昌巳
発売:1982年7月21日


あまり上品とは言えないギラギラした生地のミニスカート・スーツ姿で、いかにも骨太な手脚をバタバタさせながら野暮ったいダンスを披露する「世界一の美女」=ブルック・シールズ ―― 。

1982年のカネボウ秋のキャンペーンCM。ナレーションは「ブルックのすみれ色。秋のレディ80(エイティー)です」。「レディ80」とはカネボウのブランド名。そして「すみれ色」はリップスティックやアイシャドウなどのキャンペーン・カラーということになる。

80年代のEPICソニーのヒット曲には、CM や PV(MV)など、映像が浮かぶものが多いのだが、この曲などはその典型。「ザ・CMヒット」という感じさえする。この CM が流れるまで世間は、一風堂や土屋昌巳の存在など、ほとんど知らなかったのだから。また現在でも、この曲以外の一風堂の作品を知っている人は稀だろう。

それくらい、このCM・この曲にはインパクトがあり、大ヒットに結実した。ご存知の通り当時は、カネボウと資生堂が、季節ごとの音楽タイアップキャンペーンを競っていたのだが、少なくとも1982年だけで言えば、カネボウの圧勝の感がある。


【1982年・カネボウ vs 資生堂 タイアップソング売上枚数対決(万枚)】

■春
ハウンド・ドッグ『浮気な、パレットキャット』(13.6)< 資生堂=忌野清志郎+坂本龍一『い・け・な・いルージュマジック』(41.4)

■夏
山下久美子『赤道小町ドキッ』(40.8)> 資生堂=矢沢永吉『LAHAINA』(19.3)

■秋
一風堂『すみれ September Love』(45.2)> 資生堂=山根麻衣『気分はフェアネス』(5.2)


土屋昌巳は、斉藤ノヴや坂本龍一なども参加していた、りりィのバックバンド「バイバイ・セッション・バンド」のギタリストで、大橋純子のバックバンド「美乃家セントラル・ステイション」を経て、1979年に「一風堂」を結成ということなので、奇妙な名前のバンドに取り憑かれた人だ(ちなみに「一風堂」というネーミングはラーメン屋由来ではなく、むしろラーメン屋の方がバンド「一風堂」由来)。

この曲で一気にブレイク。印象的だったのは、TBS『ザ・ベストテン』の映像だ(1982年10月7日)。土屋昌巳はイギリスのバンド = JAPAN(ジャパン)のワールドツアーにサポートメンバーとして参加していた関係で、ロンドンから出演したのだ。

そう言えば、この曲のサウンドも、特にギターのカッティングなどに、「第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン」などと言われた、当時のブリティッシュロックの影響を感じる。具体的に言えば、例えばデュラン・デュランの一連のヒット曲に近いものがある。

ただし注目したいのは、この曲の発売が1982年の夏で、シングル『プリーズ・テル・ミー・ナウ(原題:Is There Something I Should Know?)』以降のデュラン・デュランの本格的ブレイクは1983年だから、かなり早いということだ。少なくとも、デュラン・デュランらと同時期・同一のムーヴメントの中に、この音はある。

さらにメロディの独創性にも触れておきたい。この曲のメロディに、どことなくオリエンタル(東洋的)な香りを感じる人が多いだろう。それにも明快な理由があって、メロディが(ほぼ)五音音階で出来ているのだ。

五音音階とは「ド・レ・ミ・ソ・ラ」だけで出来ている音階で、世界各国の民謡で多用される土着的な音階である。具体的には日本の民謡や演歌、そして(トラッドな)中国的メロディなどでよく使われるものだ(ex.「♪ 永谷園の麻婆春雨」=「♪ ドドドド・ラッラー・ソッソー・ラソラド」)。

この曲も、「♪ それは九月だった」=「♪ ソ・ソミ・ー・ーソ・ミレ・レーミ・ー」と五音音階のみで進んでいく(その後、サビの「♪ September Love~」で、満を持して一瞬だけ「ファ」が使ってインパクトを出すのだが、このあたりも実に上手い)。

まとめれば「1980年代前半の英国系東洋趣味耽美派」ということになるが、その系統の世界的代表作と言える、デヴィッド・ボウイ『チャイナ・ガール』の発売も翌83年のことであり、とにもかくにも、この曲の世界的水準での先見性は、もっと評価されていいと思う。

さて、最後に土屋昌巳の話をしたい。私は当時、「蝋人形のような人」と認識していた。とにかく生気が無いのである。一風堂だけでなく、後に『夕やけニャンニャン』で司会をする土屋も見たが、その印象は変わらなかった。

そんな私が、初めて土屋昌巳の生気のある顔を見たのは約30年後のこと。2004年公開のゴールデン・カップスのドキュメンタリー映画『ワンモアタイム』の中で。

何でも土屋昌巳は、ゴールデン・カップスに憧れ、15歳で静岡の実家から家出をしたという経歴の持ち主だったというのだ(生年から推定すると1967年のこと)。

「ボーヤ(ローディー)にしてください」とメンバーに直談判するも、デイヴ平尾は「田舎者は帰れ!」とけちょんけちょんにイジめてくる。でも、ルイズルイス加部は思いのほか優しくて、またエディ藩は「ボーヤにしてやる」という意志を示すべく、グレッチのギターを無言で渡してくれて、それがめちゃくちゃ嬉しかった ―― というエピソードを、土屋昌巳が映画の中で話すのだが。

その話し方、口振りが実に楽しそうなのである。まさに喜色満面で語るのだ。それを見て私は、溶けた蝋の中にいた、ロックンロールキッズとしての土屋昌巳を初めて知り、強烈なシンパシーを感じた。「早く言ってよ」と。

そう考えると、この「ザ・CMヒット」の印象も変わってくる。80年代前半の日本で、最先端のブリティッシュサウンドを生み出していた土屋昌巳には、60年代後半の横浜で、最先端のロックンロールを生み出していたゴールデン・カップスの魂が宿っていたのだと。


【編集部よりお知らせ】
来たる6月1日、LOFT9 Shibuya で、リマインダーがお届けする灼熱のイントロクイズ大会『80年代イントロ十番勝負 vol.4 - 夏のINTROフェスティバル!』が開催されます。イントロクイズだけでなく、船山基紀さんとスージー鈴木さん初顔合わせのトークショーはじめ、スージーさんの連載「EPICソニー名曲列伝」を爆音でお届けするコーナーなど、様々な企画が盛り沢山ですので、みなさん奮ってご参加ください!


2019.05.19
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カタリベ
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