無気味に口から水を吐き出すガーゴイルの映像(図参照)のあとで、地面に落ちているニンジンをむしゃむしゃ食べるスティングが映った瞬間に、「あ、これはカルト映画だ」と直観した。 実際、ヒッチコック~マイケル・パウエル~ニコラス・ローグといった系譜に連なるいかにも英国的(=変態紳士的)なスリラーで、その強烈さにも関わらずモントリオール映画祭ではグランプリまで受賞している。もともと1976年にデニス・ポッターという人がBBCのTV向けに書いた脚本で、内容のあまりの過激さから放送後10年間流すことが禁じられた曰く付きの代物だ。 主人公のマーティン・テイラー(スティング)は何をやっているのかよくわからない、家もなければ職もない放浪の若者で、街角でぶつかったオッサンに「俺ですよ俺、覚えてないっすか?」と言って騙し、家にまで押し入ってタダ飯を食うことで生き延びているような奴である。 今回ターゲットになったのは福音書を刊行するお堅い宗教出版社に勤めるトム・ベイツという男で、その娘のパトリシアは交通事故で脳に障害が起きてしまい、言葉も喋れないままベッドでのたうち回っている。しかもその事故の理由が、父親が秘書と不倫している現場をたまたま見てしまい、「最低!」と夜の街に飛び出して、車に轢かれるという悲惨なものだった。 そのことがトムの心の深い傷になっていて、ある晩には真っ赤なガーターに上半身裸のパトリシアと、近親相姦に耽る悪夢に苛まれたりさえする。 そんな問題だらけのベイツ家の中にうまいこと潜りこんだマーティンは、トムの妻ノーマに「マムジー(母さん)!」などと気安く呼びかけ、母性をくすぐり難なく取り入る。気を許したノーマに外出を勧め、その留守の隙にパトリシアの服を脱がせ乳房を弄んだり、ゴーゴーズの「ウィ・ガット・ザ・ビート」を流しながら鏡の前で首飾りや黒手袋を身に着け、自分に向かって「君は美しい」と言ったりする頃には、観客もこの青年が完全に「悪魔」であることが分かってくるだろう。 そもそもマーティンは冒頭、悪魔を象った「ガーゴイル」の映像の直後に現れる。トム・ベイツはミドルネームが旧約の預言者「エゼキエル」である。ここから明らかに宗教的葛藤がテーマであることが分かるし、実のところマーティンは天使のふりをした悪魔なのだ。 この限りなく「悪魔」をイメージして造形されたであろうマーティンの役割は、中流クリスチャン家庭の中に蔓延る欺瞞を徹底的にあぶり出すことだ。見知らぬ人間が機能していない家族の中に闖入しかきまわしていくというプロットだけ取り出せば、これは三池祟史の最凶ゲテモノ映画『ビジターQ』なんかと通じるものがあるが、このビジターQはどちらかと言えば「悪魔のふりをした天使」であった。 とにかくこの映画で極端に問題視されたのは、頭がおかしくなっているパトリシアをマーティンがレイプしようとするラストで、しかもここで流れるのがスティングの「君に夢中(I Burn for You)」というちょっとしたラヴソングなのだから、悪趣味を通り越してもはやグロテスクだ。強姦とポップソングの組合せというドギツい表現もあったからだろう、当時のニューヨーク・タイムズはこの映画でのスティングを『時計じかけのオレンジ』のスタイルと評している。 『時計じかけ』もまた、その挑発的かつ暴力的な内容からキューブリックに脅迫状が届いたため英国での上映が禁止されていたことを思うと、やはり両者ともに中流階級の倫理観をもっとも逆撫でするタイプの映画だったことが分かる。 ―― というわけで、この映画は最後の最後まで良識派を怒らせる。 エンドクレジットでスティングの唄う「スプレッド・ア・リトル・ハピネス」という曲は、1929年の英国ミュージカルコメディー『ミスター・シンダーズ』 からのカバーだ。陽気なメロディーとポジティヴな歌詞に彩られながら、このおぞましい詐欺と強姦の暗黒物語は幕を閉じる。英国人のブラックユーモア、ここに極まれりという感じである。
2018.04.16
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