1985年のソロデビュー作『ブルー・タートルの夢』はCDを即買う程大好きだったのに、1987年の次作『ナッシング・ライク・ザ・サン』の頃には僕のスティングへの熱は醒めていった。
『ブルー・タートルの夢』でジャズ系のミュージシャンを起用して、いよいよスティングは “ケチの付け辛い” ミュージシャンの地位を確保した。僕の記憶によれば、この地位はザ・ポリスの1983年のラストアルバム『シンクロニシティ』とシングル「見つめていたい」から始まっていた様に思う。
若気の至り(?)でロックは反権威たるべしと思っていた僕は、スノッブのおもちゃと化してしまった様に見えたスティングに少々居心地の悪さを感じた。そしてCD時代に突入したことも『ナッシング・ライク・ザ・サン』の足を引っ張ったかもしれない。
前作『ブルー・タートルの夢』が10曲、42分のLPサイズだったのに対し、このアルバムは12曲ながら55分と、CDサイズのアルバムになった。
その結果、前作に比べて冗長になった印象は否めなかった。ジミ・ヘンドリックスの「リトル・ウィング」を僕はこのアルバムで初めて聴いたのだが、あえてこのカヴァーを収める理由は残念ながら見い出せなかった。
そして極めつけは1stシングルの「ウイル・ビー・トゥゲザー(We’ll be Together)」であろう。アメリカで7位まで上昇したのだが、この曲は元々本人も出演したキリンビールのCMソングであった。
しかもこのCMのキャッチコピー “Together” は、前年、ジョン・F・ケネディの演説を使った「自由の賛歌(Let us begin beguine)」の鈴木康博によるカヴァー「TOGETHER」が流れたキリンビールのCMのキャッチコピーを踏襲したものだった。
つまりスティングは “Together” というお題を与えられて曲を作ったことになる。かっこよくてさほど気取っていないこともあり、僕はこの曲は決して嫌いではないのだが、スティングにしてはお洒落ではないなと違和感を抱いてしまったのは否定出来まい。
CMの効果もあってか『ナッシング・ライク・ザ・サン』はイギリスだけでなく日本でも1位に輝いた。しかしスティングは日本のバブルに呑まれてしまったのかもしれない。
翌1988年、このアルバム名を冠したツアーの日本公演を行うのだが、何と東京ドーム4日連続(内1公演は氷室京介とのジョイント)。記憶が確かならばスポンサーによって席が占められ、当日空席が目立ったとも聞いた気がする。行けなかったか敢えて行かなかったかどちらかの僕も憤った記憶はある。
僕はスティングのオリジナルアルバムを追うことを早くも止めてしまった。1994年のベストアルバム『フィールズ・オブ・ゴールド~ベスト・オブ・スティング1984-1994』こそ購入し、翌1995年の横浜アリーナでの日本公演にも足を運んだのだが開演直前に中止のアナウンス。つくづく縁も無かった。
そしてソロデビューから32年の 2017年6月7日、漸く僕は日本武道館でスティングを観た。
10年にも及んだスランプを経験したスティングは、筋骨隆々の体躯、並びに変わらぬ高音を誇りながらも、丸み、深み、滋味、つまりは人間味を感じさせるアーティストに進化且つ深化していて、こちらも肩ひじ張らず向かい合うことが出来た。
『ナッシング・ライク・ザ・サン』からは早くも3曲めに、このアルバムで一番知られた「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」が歌われた。その時の地響きの様な歓声はこの夜一番大きかったかもしれない。そしてアンコール最後には定番となっている「フラジャイル」が歌われた。しかし「ウイル・ビー・トゥゲザー」は本人も気に入っていないせいか歌われなかった。
そして僕は30年振りにスティングの最新作『ニューヨーク9番街57丁目』を聴いている。
2017.07.07
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