「くさっち」
廊下を歩いていると、不意に背後から名前を呼ばれた。振り返ると、目の前に一人の少年の後頭部が見える。彼も振り返っているのだ。声のした方を見ると、他のクラスの男子が立っている。次の瞬間、2人は会話を始めた。
“呼ばれたのは僕じゃない――”
僕は、振り返ったのを悟られないように、辺りをキョロキョロと見回し、「ないなぁ」なんて意味不明なつぶやきをして、また廊下を歩き始めた。
時に1978年―― 僕は福岡市の西区(現・早良区)にある原北小学校の5年生で、その時初めて同じ学年に自分と同じあだ名で呼ばれる少年がいることを知った。後のスピッツのボーカル、草野マサムネである。
そんな次第で、今回は草野クンの昔話をしたいと思う。奇しくも今日11月25日は、今から27年前の1991年にスピッツの 2nd アルバム『名前をつけてやる』がリリースされた日。言わずもがな、ファンの間で今も高い人気を誇る名盤中の名盤である。僕が初めて買ったスピッツのアルバムでもある。
思い返せば、草野クンとは小・中・高の12年間、ずっと同じ学校だったけど、不思議なことに、同じクラスになったのは高校3年の時が初めてだった。おかげであだ名が被らずに済んだ―― と言いたいところだが、あの廊下事件の後、理科の授業で、星座のオリオン座の「リゲル」を習う機会があり、クラス一お調子者のSクンが僕の方を向いて「今日からお前はシゲルじゃなくて、リゲルたい!」と叫んだことから、僕のあだ名は「くさっち」から「リゲル」になった。
以来、草野クンとあだ名が被る心配はなくなった。
原北小を卒業して、僕らは原北中学に進学した。まだ出来て4、5年の真新しい校舎だった。僕らの校区は福岡市の西に位置する新興住宅地で、近くを室見川が流れ、まだ田畑が多く残る、のどかな土地だった。そんな牧歌的風景が少なからず草野少年に影響を与えたのは想像に難くない。
中学では僕は水泳部に、草野クンは陸上部に所属した。そして多くの中学の部活がそうであるように―― 男子の花形はサッカー部やバスケ部であり(僕らの中学には野球部がなかった)、水泳部や陸上部は日陰の存在だった。別に、草野クンを巻き込む意図はないが、僕らは非モテのグループに属していた。そんな切ない環境が少なからず草野少年に影響を与えたのも想像に難くない。
中学を卒業すると、僕らは福岡市内の城南高校に進学した。僕は再び水泳部に入り、草野クンは陸上部には入らず、中学の時に密かに始めたギターを生かしてバンドを結成した。バンド名は「ラディッシュ」。彼はギターを担当した。
僕らの高校には3年に一度、文化祭があった。僕らは2年生の時、これに当たった。文化祭の花形イベントといえば、生徒たちによる体育館のライブである。出演バンドは事前にオーディションで10組程度に絞られ、その中の1つが「ラディッシュ」だった。そして―― 草野クンはここで超絶なギターテクを見せる。
今のスピッツからは想像できないが、ラディッシュはハードロックというかヘビメタのバンドで、草野クンは髪を逆立て、ギターを掻き鳴らした。
“ギターの腕なら草野が学校一”
―― 以前からバンド仲間の間ではそう囁かれていたが、素人目にも彼の演奏は別格だった。文化祭の花形イベントで、一番ギターが上手い男。こう書くと、草野クンはモテモテのリア充のように聞こえるかもしれないが、残念ながら、そんな気配はなかった。普段の彼は平凡な男子高校生の身なりで、音楽に対するスタンスは職人的ですらあり、むしろロック好きの同好の男子から慕われるタイプだった。
高校3年の時、僕は初めて草野クンと同じクラスになった。当時、お互い遊び仲間が違ったので、それほど積極的に話す機会はなかったが、たまに喋ると、彼は決まって面白いことを口にした。やたら昔のテレビ番組に詳しかったのを覚えている。ある時、SL の形をした車が日本を縦断するドラマの話になり、僕がタイトルを思い出せないでいると、すました顔で『走れ! ケー100』と教えてくれた。そう、彼はサブカル好きの少年でもあった。
音楽に対するスタンスは硬派で、普段は平凡な男子高校生の身なりで、喋ると面白いことをボソッとつぶやくサブカル少年―― それが、僕が高校時代の草野クンに抱く印象だった。
その後、僕らは別々の大学に進み、疎遠になった。しばらくして、風の便りで彼が東京でインディーズのバンド活動をしていることを知った。バンド名は「スピッツ」と言って、その界隈では、そこそこ有名らしい。
「ただ、いくら草野クンのギターテクでも、売れるのは厳しいだろうなぁ」そんな風にボンヤリと思ったのを覚えている。
時代は90年代になった。僕は就職してサラリーマンになった。ある日、何気にサブカル雑誌を立ち読みしていると、思わぬ写真が飛び込んできた。それはスピッツの歴史を紹介する記事で、オーバーオールを着て歌う草野クンの姿があった。
髪はマッシュルーム風で、昔のよう逆立てていない。驚いたのはそれだけじゃなかった。高校時代の草野クンを紹介するくだりでは卒業アルバムの写真が使われ、なんとそこに―― 僕も写っていた。僕らは出席番号が1番違いだったのだ。但し、僕の目の部分は黒く塗りつぶされていた。
僕はレコード店に走った。驚いた。スピッツはメジャーデビューしていた。CD を手に取る。ジャケットは赤地に猫の顔のアップ。タイトルは『名前をつけてやる』。一目見て「あぁ、草野クンの世界だ」と思った。そう、あの面白いことをボソッとつぶやくサブカル少年の世界がそこにあった。僕は迷うことなく購入し、家に帰って聴いてみた。
素晴らしかった。そこには、どこか懐かしい香りのする、ちょっと屈折した少年のやさしくも切ない歌があふれていた。
ウサギのバイク、鈴虫を飼う、プール、あわ、魔女旅に出る―― タイトルだけ並べても独特の世界観が伝わってくる。まるで絵本の目次を眺めてるみたいに。
しかも―― どれも抜群にメロディがいい。一度聴いただけで耳に残る。どこか童謡的であり、歌謡曲風でもあり、フォークっぽくもあり、ポップで、サブカルで、そして独創的。捨て曲が一曲もない。
あっという間に聴き終わった。全11曲もあるのに、39分弱しかない。まるでビートルズのアルバムみたいだ。
名もない小さな街の
名もないぬかるんだ通りで
似た者同士が出会い
くだらない駄ジャレを吐き笑った
ぼやけた雲の切れ間に
なぜなのか安らぎ覚えて
まぬけなあくびの次に
目が覚めたら寒かった
アルバム表題曲の「名前をつけてやる」は、どこかの小さな街を舞台にした、ちょっとこじらせた男の子の甘酸っぱい青春のエレジー(哀歌)だ。メロディは気持ちコミカルにアレンジしてある。
名前をつけてやる 残りの夜が来て
むき出しのでっぱり ごまかせない夜が来て
名前をつけてやる 本気で考えちゃった
誰よりも立派で 誰よりもバカみたいな
“名前をつけてやる” “むき出しのでっぱり”―― この辺りの言葉選びのセンスは、サブカル少年だった草野クンが透けて見える。田畑が残る新興住宅地で育ち、非モテ期だった中高時代を過ごした少年の横顔がストレートに、そしてユーモラスに投影されている。
スピッツが「ロビンソン」で本格的にブレイクするまでには、あと少し時間が必要だったが、このアルバムを聴いて僕は、間違いなくそう遠くない将来、スピッツの時代が来ると確信した。彼らが時代に追いつくのではない。時代が彼らに追いつくと――。
なぜなら、草野クンはあの頃と、まるで変っていなかったから。
2018.11.25
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