1986年の真冬にリリースされた「色・ホワイトブレンド」は、歌手・中山美穂がしっかりと覚醒した一曲といえるだろう。
デビュー曲「C」から「生意気」「BE-BOP-HIGHSCHOOL」までの3曲はいずれも松本隆×筒美京平の最強コンビによるもの。これらは優れたアイドルポップスであったが人気を呼ぶきっかけとなったドラマ『毎度おさわがせします』で演じたツッパリ娘のイメージが曲にも色濃く反映されており、キャラ先行で歌わされていた感が強い。
竹内まりやの作詞・作曲による4枚目のシングル「色・ホワイトブレンド」こそ、中山美穂の柔らかな女性らしさを初めて引き出した一曲だったのだ。本人は無自覚だったとしても。
竹内まりやの提供楽曲を集めたアルバム『Mariya’s Songbook』(2013年)のブックレットに掲載されている竹内自身による想い出エピソードには、“当時まだ16歳だったのに、とても大人っぽい空気感を持った女性でした” とある。
80年の資生堂春のキャンペーンソング「不思議なピーチパイ」が初のヒットソングとなった竹内まりやにとって、その6年後に同キャンペーンソングを依頼されたことは感無量だったはず。さらにその12年後には、中山が主演したドラマ『眠れる森』の主題歌「カムフラージュ」を竹内が歌うという縁もあり、打ち上げで共に歌ったという。
ちなみに資生堂と毎回熾烈な歌合戦を繰り広げていたカネボウのこの時のキャンペーンソングは、岡田有希子「くちびるNetwork」だった。
そして「色・ホワイトブレンド」と同日、やはりアイドルソング史に残る重要な一枚もリリースされている。企画盤も含めると5枚目にあたる本田美奈子のシングル「1986年のマリリン」である。
彼女の代表作であると同時に、ターニングポイントとなった作品と言って間違いない。それまでのシングルもすべて作曲は筒美京平であったが、作詞には売野雅勇、松本隆に次いで秋元康が起用され、本田の強いプロ意識と仕事への貪欲さから思い浮かんだというマリリン・モンローがフィーチャーされた。
曲全体の雰囲気と歌唱の際のパフォーマンスには、当時モンローの再来と称されていたマドンナのイメージが投影されたとおぼしい。大胆なヘソ出しルックも話題となり、彼女の最大ヒットを記録することとなる。
中山美穂と本田美奈子は同じ85年デビュー組で、同年はさらに斉藤由貴、南野陽子、浅香唯、松本典子、芳本美代子、おニャン子クラブらもデビューした新人アイドル豊作年だったわけだが、中山と本田には同期ならではの楽曲制作上の繋がりもある。
中山のデビュー曲「C」は、彼女の芸能界デビューとなったドラマを観ていた松本隆が自ら詞の提供を志願し、同時期に本田美奈子のデビュー曲のレコーディングに携わっていた筒美京平に作曲を依頼して生まれた楽曲であったという。本来、中山のデビュー曲は林哲司の予定だったところが変更され、結局は林の作曲による「スピード・ウェイ」は「C」のB面に配された。
中山の初期3作と共に、本田の「Temptation(誘惑)」も松本×筒美のコンビ作であり、中山の「生意気」とほぼ同時期のリリースだった。ふたりは第27回日本レコード大賞新人賞も共に受賞している。
その後のふたりの活躍はご承知の通り。中山はテレビドラマの主演を重ねて女優としても大成し、本田はロック志向の楽曲群にトライした後、ミュージカルの舞台に活躍の場を見出す。中山が映画『Love Letter』に主演して各映画祭で主演女優賞を受賞していた頃、舞台『ミス・サイゴン』や『屋根の上のバイオリン弾き』で実績を重ねていた本田のミュージカル女優としてのキャリアも確立されてゆく。
中山が前述のドラマ『眠れる森』で30%の視聴率を獲得した頃には、本田も『レ・ミゼラブル』のエポニーヌ役を射止めて絶頂期にあり、気力・体力共に充実して最高の時代を迎えていた。ふたりはそれぞれのジャンルで頂点を極めたといっていい。
「色・ホワイトブレンド」と「1986年のマリリン」の同日リリースは、デビューから一年足らずの初々しいふたりが切磋琢磨していた時期の可愛い対決であった。同時期のヒット曲、国生さゆり「バレンタイン・キッス」、おニャン子クラブ「じゃあね」、中森明菜「DESIRE」、シブがき隊「スシ食いねェ!」などのタイトルを並べるとさらにあの時代の空気が甦ってくる。
ちなみに中山、本田と同じ2月5日にリリースされたアイドルソングがもう一曲あるのだがご存知だろうか。
それは井森美幸「恋は理解力」でした。井森さん、オチに使ってゴメンナサイ!
2018.02.05
YouTube / MinakoHondaVEVO
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