竹宮恵子原作の人気SF漫画「地球へ…」、その世界観とは?
「初恋の人は?」と聞かれたら、迷うことなく、しかも食い気味に「ソルジャー・ブルー!!」と即答するだろう40代の女… そう、それが私。
ソルジャー・ブルーとは、1977年~1980年にわたり『月刊マンガ少年』で連載された竹宮恵子原作の名作SF漫画『地球へ…』のキャラクターだ。1980年には東映アニメとして映画化されて一気に人気をさらった。2007年にはテレビアニメ化もされて、今なお愛される作品だ。
環境汚染や自然破壊で滅びかけている地球を危惧した者たちによって、人類は地球を離れスーパーコンピューターの管理の下、別の惑星で暮らしている。
子供たちは、教育の惑星で無作為に選ばれた精子と卵子を受精させて誕生。育て役の親が14歳まで養育し、“目覚めの日” といわれる “成人検査” をクリアした者だけが次の惑星へと送られて、エリートと、そうでない者とに区別される。
もう二度と地球を危機に晒さないために愚かな人間は要らない… そう決めたコンピューターが人間を徹底管理して育て、選ばれし者が地球をうまくコントロールして暮らせるようにしよう、というのが物語のテーマだ。
新人類ミュウ対人類、互いに認め合えない不毛な闘い
そんなシステムの中、障害を抱えて生まれるのが “ミュウ” という存在。彼らは障害を補うために超能力を備えていて、人類(コンピュータ)から “異質なもの” とされ、排除、殺害される運命を背負っている。
物語の主人公、ジョミー・マーキス・シンは、成人検査でミュウと判断されるが、ミュウの長、ソルジャー・ブルーに助けられる。
はい、出ました! 我が愛しの君、ソルジャー・ブルー!
印象的な黄色い髪にマント姿、聴覚障害があるため常に耳にはヘッドフォン型の補聴器を装着。虚弱体質という設定もまた薄幸な感じでイイ。けれど悲しいかな “推し” という存在は、きまって物語の途中で旅立ってしまうもので… ご多分に漏れず我が愛する君も物語の、しかも序盤で亡くなってしまう。なんという速さ、なんという悲しみ。その後、ソルジャー・ブルーの遺志を引き継ぐのがジョミーだ。
障害を持たない初の健常者ミュウとして、仲間たちの長となり、ミュウの人権を得ることと、憧れの地球を目指すことを胸に、仲間たちと共に宇宙船で地球を目指す。それは同時に、人類との闘いを意味していた…。
また一方、ジョミーのライバルで人類側のエリート、キース・アニアン。彼の出自など、さまざまな謎を絡めながら物語は展開していく。
同じ人間でありながら、なぜ闘わねばならないのか、なぜ認め合えないのか、互いに葛藤し苦しみながらも不毛な闘いを続けるミュウと人類…。そしてコンピューターの本当の狙いが明らかになる衝撃のラストシーンを迎える。
監督は恩地日出夫、アニメーション映画「地球へ…」に原作ファン困惑
ところで、映画『地球へ…』は原作漫画と設定が少々違っている。ソルジャー・ブルーの髪色はなぜか黄色ではなく青だし(広告等のビジュアルは黄色のままなのに…)、物語のカギを握る女神・フィシスの髪の色も金髪から緑ががかった黒髪になっていて、「え? 誰?」と泣きそうになった記憶がある。さらに、主要なキャラクターたちの声を俳優たちが務めたことも原作ファンの反発を呼んだ。
監督を務めた恩地日出夫は、もともと実写映画の監督であり、アニメ制作は未経験。そのことが大きく影響していたようだ。そうした点から見ても、映画版は原作ファンを大いにざわつかせた異質な作品でもあった。
ダ・カーポが歌うエンディング「愛の惑星」
主題歌とエンディング曲を歌ったのはダ・カーポだ。主題歌「地球へ…(Coming Home To Terra)」は、ミュウたちの心の故郷、地球への憧れと希望に溢れる名曲だ。そしてもうひとつ、エンディング曲「愛の惑星(All We Need is Love)」の魅力についても伝えたい!
ミュウと人類が激しく闘った末、傷ついた人々の前に朝日が昇るラストシーン―― たとえどんな悲しみが起ころうと、命が消えようと、何事もなかったかのように太陽は人々を照らす。そして流れる「愛の惑星」のイントロ。
ブルー・ホライズン 青い地平線
この星の朝は美しい
生命(いのち)あるすべてのものに
降りそそぐ この光
感情のこもったダ・カーポの慈愛に満ちた歌声が、闘いで傷ついた者たちの心を優しく包み、思わず涙が溢れ出す。作曲はミッキー吉野が担当、メロディーの温かさが心に沁みる。この「愛の惑星」もアニソンの名曲といっていい。
今に通じる「地球へ…」の奥深さ、考えたい現代社会の問題点
映画『地球へ…』は何かと賛否が分かれる作品ではあるものの、この素晴らしいラストシーンと温かな曲によって、観終わった時には不思議と心が浄化され、大きな感動が心に生まれる。映画における音楽の力をまざまざと感じさせられる作品でもある。
人間が区別される世界観や、障害を抱えるミュウを差別し殺害してしまう設定に、現代社会の抱える多様性というテーマや、優生思想の問題が重なって見えるのは深読みが過ぎるだろうか。
作者がどんな思いでこの作品を描いたのかは分からない。ただ現代社会にも通じる作品の奥深さには大いに考えさせられるものがある。とても40年以上も前に描かれた作品とは思えない。これを機会に改めて作品を観てほしい。そしてぜひ、ラストシーンで熱い涙を流してほしい。
2021.02.13