1989年8月11日、僕は横浜アリーナでチャック・ベリーのライヴを観ている。それは『Kirin Beer's New Gigs '89』というイベントで、出演者はジェフ・ベック・グループ、スティーヴ・ルカサー・バンド、バッド・イングリッシュ、そしてチャック・ベリーだった。
この中でメインアクトがジェフ・ベックなのは誰の目にも明らかだったが、チャック・ベリーは自分がメインだと言い張り、トリを務めている(チラシにはスペシャルゲストと書かれていた)。「まぁ、一番偉大だしな」と僕は理解したが、多くの観客はそう思わなかったようだ。
ジェフ・ベックのライヴは凄まじかった。傑作アルバム『ギター・ショップ(Jeff Beck's Guitar Shop)』のリリース直後で、ドラムにテリー・ボジオ、キーボードにトニー・ハイマスという最強の布陣による演奏は、僕の想像を遥かに超える素晴らしいものだった。
最後の曲が終わりジェフ・ベックがステージを去ると、イベントはすっかり終わったような雰囲気になった。多くの客が顔を高揚させ、口々にジェフ・ベックのライヴの感想を満足げに語り合っていた。そのまま出口に向かう人達も少なからずいた。
そんな状況の中で、チャック・ベリーは登場した。「あ、チャック・ベリーだ。これからやるのかな?」という声が、どこからか聞こえてきたのを覚えている。でも、僕は初めて目にするロックレジェンドに静かに感動していた。
「本物だ…」
ライヴは「ロール・オーバー・ベートーヴェン」からスタートした。いきなりの名曲に心が踊り、僕は思わず「イェー!」と声を上げた。しかし、一緒だった友人は盛大にずっこけると、「なんだよ、これ」と言って苦笑いした。
偉大なチャック・ベリーに対して失礼極まりない態度だが、客観的に見れば友人の反応は至極当然なものだった。というのも、音がとにかく薄っぺらいのだ。ペケペケとしたギターは情けなく、冗談だとしても笑えない。さっき観たばかりのジェフ・ベックとの差は歴然で、比較対象になりようもなかった。
「これは困ったことになったぞ」と思い始めたとき、ドラムとベースが日本人であることに気づいた。チャック・ベリーはいつもバンドを現地調達するという話は耳にしていたので、僕は「そういうことか!」とすぐに納得した。そして、この音の薄っぺらさを、ひとまず彼らのせいにすることにした。
そう、これはチャックのせいじゃない。
チャックが得意のダックウォークを決めると、僕はまた感動し「イェー!」と声が上げた。会場のところどころからも同じような歓声が聞こえてきて、それがなんだか心強かった。
2曲目は「レット・イット・ロック」。3曲目は忘れたが、4曲目の「ジョニー・B.グッド」を最後に、ライヴはわずか15分ほどで終了。チャックは挨拶もせずに去って行った。
会場にはなんとも言えない微妙な空気が漂っていたが、それでも僕は満足だった。友人も「まぁ、観れただけでもよかったかな」と言った。そして、何事もなかったかのように、ジェフ・ベックのライヴの感想を語らいながら帰途についた。
客観的に振り返ると、横浜アリーナクラスの会場で、あのときのチャック・ベリーほどしょうもない演奏は聴いたことがない。もはや事件と呼んでいいほどのレベルである。どうしてあんなことができるのか神経を疑ってしまう。でも、主観的に言わせてもらうなら、あれこそがチャック・ベリーなのだ。
いい加減で、適当で、自分勝手なんだけど、愛嬌があってどこか憎めない。そんなロックンロールの本質的な魅力が、あのステージにはしっかりと存在していた。そう、主観的に言えばだが。
そんなチャック・ベリーが2017年3月18日に亡くなってから、今日で1年がたった。僕がチャックのライヴを観たのは、あの1回だけだ。もう少しまともな演奏を聴きたかった気もするけど、それは客観的な意味での話。今も想い出しては微笑ましく感じるのは主観的な話。
客観と主観は必ずしも一致しないし、それでいいのだろう。あのとき友人が言ったように、「観れただけでもよかった」のだ。
チャック・ベリーの魂に祝福あれ。
2018.03.18
YouTube / 1989Melbourne
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