山下達郎が多用したこともあり、80年代という時代の空気を規定したコードとも言える「メジャーセブンス」(maj7)。今回は、そのメジャーセブンスを研究する記事の第2回です。
前回、メジャーセブンスの響きの形容として、「おしゃれ」「都会的」「哀愁」「センチメンタル」「メロウ(mellow)」という言葉を用いました。要するに、明るくもなく、暗くもなく、その中間の、中途半端で微妙な印象の響きなのです。
なぜそうなるのか。コード界における最も基本的なコードとして、明るい響きのメジャー(長調)コード、暗い響きのマイナー(短調)コード。それぞれの代表選手として、【C】(Cメジャー)と【Em】(Eマイナー)を、鍵盤図で示しておきます。
ここで、前回も使った【Cmaj7】の鍵盤図を、再度ご確認ください。何か気付きませんか? そうなのです。この【Cmaj7】には、メジャーコード(C)とマイナーコード(Em)の両方が入っているのです。もう少し詳しく言えば「メジャーコードの上に、マイナーコードが乗っている」のです。
メジャーとマイナーの融合。それが、明るくもなく、暗くもなく、その中間の、中途半端で微妙な印象の響きを生みだすわけですね。
さて、上で「メジャーコードの上に、マイナーコードが乗っている」と説明しましたが、実は、その逆=「マイナーコードの上に、メジャーコードが乗っている」構造のコードも存在します。それが「マイナーセブンス(m7)」という和音です。
【Am7】の鍵盤図をご覧ください。「ラ・ド・ミ」という【Am】(Aマイナー)のコードに、「ド・ミ・ソ」という【C】(Cメジャー)のコードが乗っています。
ここで、メジャーセブンスとマイナーセブンスの構造の違いを図式化すると、こうなります。メジャーセブンスは「メジャーコードの上に、マイナーコードが乗っている」、マイナーセブンスは「マイナーコードの上に、メジャーコードが乗っている」。
つまりは、あくまでもメジャーがベース=やや明るいメジャーセブンスと、マイナーがベース=やや暗めのマイナーセブンスという対比となります。
という、以上の説明は、たまに目にするのですが、ここから、スージー鈴木流の独断で乱暴な説明を付け加えます。それは――。
「メジャーセブンスは山下達郎、そしてマイナーセブンスははっぴいえんど」
なのです。マイナーセブンスははっぴいえんど、特にファーストアルバム『はっぴいえんど(ゆでめん)』は、マイナーセブンスの響きの印象が、とても強いアルバムです。とりわけ、あのアルバムを代表する大滝詠一作曲の名曲=『12月の雨の日』は【Am7】に始まり【Am7】で終わる、とても【Am7】な曲です。
そこで、またまた映像を作りました。今回は私が、『12月の雨の日』のイントロのギターを弾いています。始めと最後の「♪ ジャーン」が【Am7】です(下のリンク参照)。
ファーストアルバム『はっぴいえんど(ゆでめん)』に入っている、はっぴいえんど『12月の雨の日』オリジナル音源でも【Am7】の響きを、ぜひ確かめてください(曲中に【Am7】が何度も出てきます)。たぶんに感覚的な表現ですが、雨上がりの曇った空のイメージがすると思います。
残念ながらYouTubeには、【Am7】の響きの弱いライブ音源しか落ちていませんでしたが、それでも、音からのイメージを無理やりに広げると、1970年前後、新宿三丁目あたりの昼下がり、雨上がりの湿った空気の曇り空の下を、陰鬱な表情の長髪の若者が行きかっている感じがする―― かもしれません。
つまり、あくまでスージー鈴木流の独断乱暴論法で言えば、メジャーとマイナーの中間的響きの中に、大滝詠一→山下達郎という流れ=ナイアガラ/シティ・ポップの流れがあるということなのです。
そしてそれは、「マイナーの上にメジャーが乗っている」=70年代の新宿から、「メジャーの上にマイナーが乗っている」=80年代の青山あたりへの流れとも言えるのです。
2017.08.05