9年ぶりに来日したデュラン・デュランは予想以上によかったらしい。80s初頭を語る上で欠かせない、現存する最古の美形バンド。やはり拝みに行くべきだった。
かねてより私の周りの編集女子を観察した結果として、男子のグループを見ると意識的か無意識か「私、この人」と決める習性がある。決めたからといって何をするわけでもなく、ただ「この人」なのだ。
遡れば、デュラン・デュランでは私は迷うことなくジョン・テイラーだった。
クイーン → ロジャー・テイラー
キッス → エース・フレーリー
エアロスミス → ジョー・ペリー
B.C.R .→ ウッディ
チープトリック → トム・ピーターソン
ジャパン → スティーヴ・ジャンセン
以上が私の選択だ。傾向などはない。ただ決めただけだ。
初めてデュラン・デュランのライブを観たのは87年春の後楽園球場。曇天の下、1曲目はヒット中の「ノトーリアス」だと思っていたのに違ったからびっくりした(何かは忘れた)。
これは78年KISS武道館の「デトロイト・ロック・シティ」を待ち構えていたら「愛の謀略(I Stole Your Love)」、90年ポールの「マイ・ブレイヴ・フェイス」で始まるかと思いきや「フィギュア・オブ・エイト」という、個人的な三大肩透かしとして今も心に刻まれている。
89年2月の東京ドームには小室哲哉がゲストで出た。当初からデュラン・デュラン愛を公言していた小室さんの晴れ舞台だったろうに、私は見に行ったということ以外の記憶が朧だ。あああごめんなさいごめんなさい。
古典的なロック少女としては、ボーカリストはバンド内でいちばん美形であってほしかった。だからクイーンの写真を見たときはてっきりロジャーが歌うものだと思った(これにはスピッツ草野くんも同意してくれている)。
デュラン・デュランの場合も「え、あなた?」と思った。
しかし時は流れて2012年4月5日、“Going to Yoyogi to sit under a cherry tree&drink sake” というサイモンのtweetが流れてきたときは色めき立った。サイモン・ル・ボンが代々木公園で花見してるぞ!
ミーハー魂は枯れず。かつてのゴージャスなロックバンドやロックスターは今も酒の席で熱く語られる。この点においての世代の断絶はどこから始まっているのかについてもしばし考えながら。
2017.10.07
YouTube / emimusic
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