11月25日

元祖デートカーと言えば? ラヴェルの「ボレロ」とホンダの2代目プレリュード

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photo:HONDA  

シティからインテグラまで、ホンダの “奇跡の8年”


「奇跡の8年」なる言葉がある。

かのビートルズのデビューから解散までの活動期間を指したワードである。ビルボードの1位から5位を独占するなど、数々の世界的・歴史的名曲を世に送り出しながら、同グループの活動期間は1962年から70年までのわずか8年に過ぎない。

それに照らせば、1980年代のホンダも「奇跡の8年」と言えるのではないだろうか。1981年11月の “トールボーイ” シティのデビューから、1989年4月の “カッコ” インテグラの登場までが、ちょうど8年である。

この間、ホンダは数々の魅力的なクルマを世に送り出した。先に挙げた2車種を始め、“ワンダー” シビック、クイント・インテグラ、アコード・エアロデッキ、“ニュースモール” トゥデイ、3代目 “4WS” プレリュード、“サイバースポーツ” CR-X――etc.

さて―― 今回取り上げる、あの稀代の名車も当然、そのビッグウェーブに含まれる。元祖「デートカー」と呼ばれた、2代目 “ボレロ” プレリュードである。そう、今日11月25日は、今から39年前の1982年に、かの名車が発売された日にあたる。

マスキー法をクリアしたCVCC、初代シビックから始まるホンダ4輪の歴史


話は少しばかり、さかのぼる。
元々、オートバイメーカーだったホンダが4輪―― 自動車製造に参戦したのは1963年である。当初は創業者・本田宗一郎の理念「シンプルこそが正解である」にこだわり、空冷エンジンを追求。65年には、参戦2年目のF1で初優勝まで果たすが―― 時に自動車の排ガスによる大気汚染が世界的に社会問題化。ホンダの若手技術者たちは環境面から、もはや空冷は時代遅れと認識、水冷エンジンへの移行を唱える。この若手の反旗に、宗一郎は自身の時代が終わったことを悟り、一線から退く。

そして、彼ら若武者たちが作り上げたのが、アメリカのビッグ3すら挑むのを諦めたと言われる、排ガス規制法「マスキー法」を世界で初めてクリアしたCVCCエンジンと、それを搭載したシビックだった。1972年の話である。

ホンダの4輪の歴史は事実上、この初代シビックに始まったと言っていい。

そのスタイルは世界的にも斬新な2ボックス型で(初代ゴルフが登場するのは2年後の1974年である)、駆動方式もFR(フロントエンジン・後輪駆動)の全盛時代にFF(フロントエンジン・前輪駆動)と、これも先進的だった。前後のオーバーハングを切り詰め、ホイールベースを長くして居住性を高める設計は、ホンダのレーゾンデートルとも言えるMM思想(マン・マキシマム / メカ・ミニマム=人のためのスペースは最大に、メカニズムは最小に)と呼ばれた。

“CVCC” シビックは日本のみならず、世界的に大ヒットした。余談だが、僕は幼少期、シビックのリアに刻印された「CVCC」の文字を「シビック」と読んでいた。ちなみに、シビックのスペルは「CIVIC」―― ややこしい!

ラインナップを拡大したが低迷するホンダ車の人気


さて、シビックで成功したホンダは、ラインナップの拡大を始める。次に登場したのは、シビックの上級車種の「アコード」だった。時に1976年、そのスタイルは、当時まだ珍しい3ドアハッチバック。4ドアセダンが主流の時代、どこか国産車らしくないという理由で、デザイナーやミュージシャンなどクリエイティブ系の人たちにも好評だったと聞く。

だが、初期のホンダがよかったのはここまで。翌1977年、アコードが4ドアセダンを追加すると、「あのバタ臭さがよかったのに……」という声が世間から漏れ聞こえ始める。更に1978年、スペシャリティカーとして初代プレリュードがお目見えする。今見ると、そんなに悪いデザインじゃないが、かと言ってホンダらしい目新しさもなく、どこか野暮ったさも相まって、人気は低迷する。

1979年にはシビックがモデルチェンジ、2代目 “スーパー” シビックに生まれ変わる。だが、大ヒットした先代を踏襲したスタイルは新鮮味がなく、更にサイズアップが「間延びした」と評される始末。極めつけは、1980年に登場した新車種クイントである。後に2代目でスタイリッシュなクイント・インテグラになるが、この初代はクインテッド(五重奏)をコンセプトにした、その名の通り “5ドア車”。デザインもコンセプトも平凡で、出た瞬間、不人気車になった。

1970年代後半から80年初頭にかけて、ホンダ車の人気は低迷した。世間でホンダ車が話題に上がることもなくなった。しかし―― 実はそれは、嵐の前の静けさ。翌1981年、あのクルマが登場して、いよいよホンダの “奇跡の8年” が幕開ける。

元祖デートカー2代目 “ボレロ” プレリュード、フルモデルチェンジ


1981年11月―― 新車種、ホンダ・シティ発売。その詳細は、以前の僕のコラム『新しいクルマ文化の始まり「ホンダ・シティ」とマッドネスのムカデダンス』を参照してもらうとして―― とにかく、全てが新しかった。それまで低く、幅広いほうがカッコいいとされたクルマのデザイン論を覆す、車高の高い “トールボーイ” のコンセプト。英バンド、マッドネスのムカデダンスを用いたコミカルなCM。若者たちは歓喜した。「俺たちのホンダが帰ってきた」――。

その勢いは止まらない。翌1982年、フルモデルチェンジされたのが、今回のテーマである2代目 “ボレロ” プレリュードである。

前輪ダブルウィッシュボーンで実現した低いボンネット、地を這うような着座位置、リトラクタブルヘッドライト、欧州車を思わせるテールライト、標準装備の電動サンルーフ、ワンアーム(一本式)のワイパー―― 全てが新しかった。プレリュードというと、3代目の “4WS” を思い浮かべる人も少なくないが、元祖デートカーと言えばこの2代目で、むしろ女性人気はこちらのほうが高かった。

若い女性が支持、CMで流れる「ボレロ」の効果


それには理由があった。CMである。欧州を思わせる山や森を貫くドライビングロードをスローモーションで疾走するプレリュード。それを背景に、優雅に流れるラヴェルの「ボレロ」。堂々として、シック。実にエレガント。洗練されたジェントルマンの趣とでも言おうか。

そう、元祖デートカーと呼ばれた2代目プレリュードだけど、このCM効果もあって、男性よりも、まず若い女性の支持を得たのである。何せ、ボレロはバレエ曲。上品この上ない。当時、彼女たちが唯一、空で言えたクルマの名前が「プレリュード」だったとも言われる。

思えば、70年代以前、クルマはお父さんかヤンキーの乗り物だった。お父さんは週末、トヨタ・カローラで家族サービスに務め、ヤンキーは週末、日産のスカイラインで峠を攻めた。ざっくり言えば、ホンダの奇跡の8年は、クルマをごく普通の若者や女性に開放してくれたのだ。

プレリュードが女性にウケた理由とは?


元祖デートカーと言えば、トヨタのソアラを思い浮かべる人も多いだろう。一見、両車はその分野でライバル関係のように見られがちだけど、あちらはプレリュードの倍以上の価格。ごく普通の若者が買えるシロモノじゃない。その意味では、それなりの人が買うクルマであり、ソアラこそ真のデートカーとも言える。

実際に2代目プレリュードを見ると、意外と大人しい印象である。直線基調でシック。むしろ女性に媚びていない感じ。でも、逆にそこが女性にウケたのだ。サイズも大きすぎず、取り回しもラクなので、実は女性が自ら運転するために購入するケースも多かった。当時、僕のバイト先の2コ上の女子大生も、お父様に買ってもらったプレリュードを操り、バイトに来ていた。

そうそう、プレリュードと言えば、忘れちゃいけない機能の1つが、運転席側から助手席を倒せるリクライニングノブ(通称:スケベレバー)だけど―― あれ、本来は2ドア車の後部座席に乗る人のために、運転席から助手席を前に倒して乗りやすくするためのもの。別に後ろに倒して(倒れるけど)、その手の行為をするために設置されたものじゃない(した人もいるだろうけど)。

まっ、ユーザー側からそうした噂が広まること自体、2代目プレリュードが大ヒットした証しでもある。

奇跡は、二度と起こらないから“奇跡”


1970年4月、ポール・マッカートニーがビートルズを脱退することを表明し、事実上、ビートルズの “奇跡の8年” は終焉する。その後、まるで憑き物が落ちたように、4人にかつての創作量が戻ることはなかった。

同様に―― 1989年4月、ホンダは “カッコ” インテグラの登場を最後に、こちらもまるで憑き物が落ちたように、 “奇跡の8年” に幕を下ろす。そして1990年代以降、ホンダは普通の自動車メーカーになった。

奇跡は、二度と起こらないから “奇跡” なのだ。

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2021.11.25
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カタリベ
1967年生まれ
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