11月25日

元祖デートカーと言えば? ラヴェルの「ボレロ」とホンダの2代目プレリュード

11
0
 
 この日何の日? 
ホンダの2ドアクーペ、2代目「プレリュード」が発売された日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1982年のコラム 
多様性社会の先駆け、性差も人種もヒョイっと飛び越えたカルチャー・クラブ

ポール・ウェラー vs オレ、レコードハント闘争時代 〜 ザ・ジャム篇

宮崎駿も降板、壮大すぎたアニメ「NEMO/ニモ」映画より面白い制作過程!

マドンナ以前の女性ソロ、あくまで美人のローラ・ブラニガン

80年代の七不思議!なぜか不発に終わったグレン・ヒューズのプロジェクト

等身大のメッセージソングに開眼した松本伊代「抱きしめたい」

もっとみる≫



photo:HONDA  

シティからインテグラまで、ホンダの “奇跡の8年”


「奇跡の8年」なる言葉がある。

かのビートルズのデビューから解散までの活動期間を指したワードである。ビルボードの1位から5位を独占するなど、数々の世界的・歴史的名曲を世に送り出しながら、同グループの活動期間は1962年から70年までのわずか8年に過ぎない。

それに照らせば、1980年代のホンダも「奇跡の8年」と言えるのではないだろうか。1981年11月の “トールボーイ” シティのデビューから、1989年4月の “カッコ” インテグラの登場までが、ちょうど8年である。

この間、ホンダは数々の魅力的なクルマを世に送り出した。先に挙げた2車種を始め、“ワンダー” シビック、クイント・インテグラ、アコード・エアロデッキ、“ニュースモール” トゥデイ、3代目 “4WS” プレリュード、“サイバースポーツ” CR-X――etc.

さて―― 今回取り上げる、あの稀代の名車も当然、そのビッグウェーブに含まれる。元祖「デートカー」と呼ばれた、2代目 “ボレロ” プレリュードである。そう、今日11月25日は、今から39年前の1982年に、かの名車が発売された日にあたる。

マスキー法をクリアしたCVCC、初代シビックから始まるホンダ4輪の歴史


話は少しばかり、さかのぼる。
元々、オートバイメーカーだったホンダが4輪―― 自動車製造に参戦したのは1963年である。当初は創業者・本田宗一郎の理念「シンプルこそが正解である」にこだわり、空冷エンジンを追求。65年には、参戦2年目のF1で初優勝まで果たすが―― 時に自動車の排ガスによる大気汚染が世界的に社会問題化。ホンダの若手技術者たちは環境面から、もはや空冷は時代遅れと認識、水冷エンジンへの移行を唱える。この若手の反旗に、宗一郎は自身の時代が終わったことを悟り、一線から退く。

そして、彼ら若武者たちが作り上げたのが、アメリカのビッグ3すら挑むのを諦めたと言われる、排ガス規制法「マスキー法」を世界で初めてクリアしたCVCCエンジンと、それを搭載したシビックだった。1972年の話である。

ホンダの4輪の歴史は事実上、この初代シビックに始まったと言っていい。

そのスタイルは世界的にも斬新な2ボックス型で(初代ゴルフが登場するのは2年後の1974年である)、駆動方式もFR(フロントエンジン・後輪駆動)の全盛時代にFF(フロントエンジン・前輪駆動)と、これも先進的だった。前後のオーバーハングを切り詰め、ホイールベースを長くして居住性を高める設計は、ホンダのレーゾンデートルとも言えるMM思想(マン・マキシマム / メカ・ミニマム=人のためのスペースは最大に、メカニズムは最小に)と呼ばれた。

“CVCC” シビックは日本のみならず、世界的に大ヒットした。余談だが、僕は幼少期、シビックのリアに刻印された「CVCC」の文字を「シビック」と読んでいた。ちなみに、シビックのスペルは「CIVIC」―― ややこしい!

ラインナップを拡大したが低迷するホンダ車の人気


さて、シビックで成功したホンダは、ラインナップの拡大を始める。次に登場したのは、シビックの上級車種の「アコード」だった。時に1976年、そのスタイルは、当時まだ珍しい3ドアハッチバック。4ドアセダンが主流の時代、どこか国産車らしくないという理由で、デザイナーやミュージシャンなどクリエイティブ系の人たちにも好評だったと聞く。

だが、初期のホンダがよかったのはここまで。翌1977年、アコードが4ドアセダンを追加すると、「あのバタ臭さがよかったのに……」という声が世間から漏れ聞こえ始める。更に1978年、スペシャリティカーとして初代プレリュードがお目見えする。今見ると、そんなに悪いデザインじゃないが、かと言ってホンダらしい目新しさもなく、どこか野暮ったさも相まって、人気は低迷する。

1979年にはシビックがモデルチェンジ、2代目 “スーパー” シビックに生まれ変わる。だが、大ヒットした先代を踏襲したスタイルは新鮮味がなく、更にサイズアップが「間延びした」と評される始末。極めつけは、1980年に登場した新車種クイントである。後に2代目でスタイリッシュなクイント・インテグラになるが、この初代はクインテッド(五重奏)をコンセプトにした、その名の通り “5ドア車”。デザインもコンセプトも平凡で、出た瞬間、不人気車になった。

1970年代後半から80年初頭にかけて、ホンダ車の人気は低迷した。世間でホンダ車が話題に上がることもなくなった。しかし―― 実はそれは、嵐の前の静けさ。翌1981年、あのクルマが登場して、いよいよホンダの “奇跡の8年” が幕開ける。

元祖デートカー2代目 “ボレロ” プレリュード、フルモデルチェンジ


1981年11月―― 新車種、ホンダ・シティ発売。その詳細は、以前の僕のコラム『新しいクルマ文化の始まり「ホンダ・シティ」とマッドネスのムカデダンス』を参照してもらうとして―― とにかく、全てが新しかった。それまで低く、幅広いほうがカッコいいとされたクルマのデザイン論を覆す、車高の高い “トールボーイ” のコンセプト。英バンド、マッドネスのムカデダンスを用いたコミカルなCM。若者たちは歓喜した。「俺たちのホンダが帰ってきた」――。

その勢いは止まらない。翌1982年、フルモデルチェンジされたのが、今回のテーマである2代目 “ボレロ” プレリュードである。

前輪ダブルウィッシュボーンで実現した低いボンネット、地を這うような着座位置、リトラクタブルヘッドライト、欧州車を思わせるテールライト、標準装備の電動サンルーフ、ワンアーム(一本式)のワイパー―― 全てが新しかった。プレリュードというと、3代目の “4WS” を思い浮かべる人も少なくないが、元祖デートカーと言えばこの2代目で、むしろ女性人気はこちらのほうが高かった。

若い女性が支持、CMで流れる「ボレロ」の効果


それには理由があった。CMである。欧州を思わせる山や森を貫くドライビングロードをスローモーションで疾走するプレリュード。それを背景に、優雅に流れるラヴェルの「ボレロ」。堂々として、シック。実にエレガント。洗練されたジェントルマンの趣とでも言おうか。

そう、元祖デートカーと呼ばれた2代目プレリュードだけど、このCM効果もあって、男性よりも、まず若い女性の支持を得たのである。何せ、ボレロはバレエ曲。上品この上ない。当時、彼女たちが唯一、空で言えたクルマの名前が「プレリュード」だったとも言われる。

思えば、70年代以前、クルマはお父さんかヤンキーの乗り物だった。お父さんは週末、トヨタ・カローラで家族サービスに務め、ヤンキーは週末、日産のスカイラインで峠を攻めた。ざっくり言えば、ホンダの奇跡の8年は、クルマをごく普通の若者や女性に開放してくれたのだ。

プレリュードが女性にウケた理由とは?


元祖デートカーと言えば、トヨタのソアラを思い浮かべる人も多いだろう。一見、両車はその分野でライバル関係のように見られがちだけど、あちらはプレリュードの倍以上の価格。ごく普通の若者が買えるシロモノじゃない。その意味では、それなりの人が買うクルマであり、ソアラこそ真のデートカーとも言える。

実際に2代目プレリュードを見ると、意外と大人しい印象である。直線基調でシック。むしろ女性に媚びていない感じ。でも、逆にそこが女性にウケたのだ。サイズも大きすぎず、取り回しもラクなので、実は女性が自ら運転するために購入するケースも多かった。当時、僕のバイト先の2コ上の女子大生も、お父様に買ってもらったプレリュードを操り、バイトに来ていた。

そうそう、プレリュードと言えば、忘れちゃいけない機能の1つが、運転席側から助手席を倒せるリクライニングノブ(通称:スケベレバー)だけど―― あれ、本来は2ドア車の後部座席に乗る人のために、運転席から助手席を前に倒して乗りやすくするためのもの。別に後ろに倒して(倒れるけど)、その手の行為をするために設置されたものじゃない(した人もいるだろうけど)。

まっ、ユーザー側からそうした噂が広まること自体、2代目プレリュードが大ヒットした証しでもある。

奇跡は、二度と起こらないから“奇跡”


1970年4月、ポール・マッカートニーがビートルズを脱退することを表明し、事実上、ビートルズの “奇跡の8年” は終焉する。その後、まるで憑き物が落ちたように、4人にかつての創作量が戻ることはなかった。

同様に―― 1989年4月、ホンダは “カッコ” インテグラの登場を最後に、こちらもまるで憑き物が落ちたように、 “奇跡の8年” に幕を下ろす。そして1990年代以降、ホンダは普通の自動車メーカーになった。

奇跡は、二度と起こらないから “奇跡” なのだ。

▶ コマーシャルに関連するコラム一覧はこちら!



2021.11.25
11
  Songlink
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1967年生まれ
指南役
コラムリスト≫
52
1
9
8
1
新しいクルマ文化の始まり「ホンダ・シティ」とマッドネスのムカデダンス
カタリベ / 指南役
17
1
9
8
1
ホンダ「CITY」クルマと洋楽の親密な関係
カタリベ / DR.ENO
69
1
9
8
4
サラエボオリンピックでヒットチャートを駆け上がったラヴェルのボレロ
カタリベ / まさこすもす
75
1
9
8
3
それは驚きだった、ホンダのワンダーシビックと「この素晴らしき世界」
カタリベ / 指南役
17
1
9
8
6
これぞ鉄板!プレリュードとユーロビートで落ちない女はいなかった
カタリベ / 時の旅人
70
1
9
8
6
岡村孝子とホンダ・トゥデイ ― 僕が愛した2人の「T」の物語。
カタリベ / 指南役