9月22日

それは驚きだった、ホンダのワンダーシビックと「この素晴らしき世界」

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3代目ホンダ・シビック「ワンダーシビック」が発売された日
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「自動車史に残る革命的な名車を1台挙げよ」

と言われたら、あなたは何を選ぶだろうか。

歴史の扉を開いたT型フォード? 大衆車の草分け、フォルクスワーゲン・ビートル? 世界で初めて排ガス規制をクリアしたホンダ・シビック?

いずれ劣らぬ名車である。

僕なら―― そう、迷うことなく「ワンダーシビック」の3ドアを挙げるだろう。ホンダ・シビックの3代目だ。斬新なロングルーフの弾丸シェイプに、スパッと切り立ったテールエンド。その近未来的フォルムは、後に世界のハッチバック界に革命をもたらす。

その先進的デザインには、いわゆるホンダの “M・M思想” が込められていた。“マン・マキシマム、メカ・ミニマム” ―― 人間のためのスペースを最大限に、メカニズム・スペースを最小限に。

ワンダーシビックの車重はわずか 815kg である。その軽い車体とハイスペックなエンジンでよく走った。燃費もよかった。そして何より―― CMがよかった。


 I see trees of green,
 (深緑の木々に)

 red roses too.
 (赤いバラ)

 I see them bloom,
 (そう、彼らは咲き誇る――)

 for me and you.
 (僕と君のために)


その CM は何もかもが斬新だった。欧州と思われる山間の草原にたたずむ1台のクルマ。夕暮れ時で、辺りはセピア色を帯びている。そこへ被さる「What a Wonderful World」の文字。ご存知、ルイ・アームストロングの往年の名曲のタイトルだ。哀愁を帯びた彼の歌声がこの風景に溶け込んでいる。余計なナレーションなどない。最後に、ようやくクルマの名前が明かされる。「ワンダーシビック、誕生――」。

確かに、それはワンダー(驚き)だった。ひたすらスペックを説明する従来型のクルマの CM と一線を画していた。画面に映える美しい車体は、これまで見たことのない斬新なフォルムであり、それは、曲名の “What a Wonderful World” と重なり、ダブル・ミーニングの様相を呈していた。

そう、少々前置きが長くなったが、今日9月22日は、今から35年前の1983年に、かの3代目ホンダ・シビック「ワンダーシビック」が発売された日である。それは、“サッチモ” の愛称で呼ばれた、ジャズ界のレジェンドの名曲に再びスポットライトが当たった日でもあった――。


 And I think to myself,
 (そして僕は一人思う)

 what a wonderful world.
 (なんと素晴らしい世界なんだ!)


話は少しばかり、さかのぼる。

時に1970年12月、アメリカ上院で一つの法律が制定される。提案者はエドマンド・マスキー上院議員。当時、世界的に深刻化していた公害問題を受け、自動車の排気ガスの濃度を従来の10分の1にするというものだ。通称「マスキー法」。GM、フォード、クライスラーの米自動車ビッグ3は猛反発した。

―― と、その時、これに「千載一遇のチャンスだ!」と社員たちを前に言い放った男がいた。本田技研工業社長、本田宗一郎である。「4輪の最後発メーカーであるホンダにとって、ビッグ3と同一ラインに立つ絶好のチャンスである」

ところが――

この宗一郎の言葉に、意外にも平均年齢27歳の若手技術者たちが異を唱える。

「我々は会社のためにやるのではありません。社会のためにやるのです」

それを聴いた宗一郎は言葉を失ったという。その言葉こそ、かつて彼自身が若い社員たちに常日頃唱えていたものだったからだ。この日を境に、宗一郎は現場に顔を見せなくなった。

1972年12月8日―― 米ミシガン州アナーバー。この日、1台のクルマが世界で初めてマスキー法のテストをクリアする。ホンダ・シビック CVCC である。そのニュースは瞬く間に世界を駆け抜け、米ビッグ3はホンダに技術供与を願い出る。

宗一郎が引退を表明するのは、それから8ヶ月後のホンダの創立25周年の席である。彼は笑顔でこう挨拶した。

「CVCC の開発に際して、いつのまにか私の発想は企業本位に立ったものになっていた。若いということはなんと素晴らしいことか!」

―― 以上が、ワンダーシビック前史である。

そんな世界を揺るがした偉大なるシビックの3代目である。開発チームにしてみれば、プレッシャーはあまりある。実際、「スーパーシビック」と称して79年に発売された2代目はキープコンセプトに留まり、販売が低迷した。そこで、そのわずか半年後の80年初頭に、3代目シビックの開発はスタートする。

プロジェクトは「シビック・ルネサンス」と名付けられた。あの初代のチャレンジ・スピリットをもう一度、という意味合いだ。コードネームは「CR」。これは、後にワンダーシビックの2ドアクーペの車名 “CR-X” へと受け継がれる。

コードネーム「CR」―― そこで導き出された答えが “ワンダー” だった。

それは、M・M思想を背景とした世界に類を見ない、全く新しい3ドア車のデザインであり、2ドアから5ドアまで、通常なら基本コンポーネントを共有するところ、ホイールベースから車高まで全てを変える非・経済性だった。要するに―― 誰も見たことのないクルマづくりだった。

広告に選ばれたのは、“サッチモ” ことルイ・アームストロングである。言わずと知れたジャズ界のレジェンド。普通、広告は読んで字のごとく「広く告げる」意味合いで用いられるが、この時の広告担当者は「100人中5人が聴いてくれればいい」と腹をくくった。サッチモのかすれた歌声は、決して万人受けするものではない。好きな人だけ、受け止めてくれたらと――。

思えば、80年代のホンダの CM は音楽が際立っていた。1981年発売のシティはイギリスのロックグループの「マッドネス」でコミカルに攻め、82年に登場した2代目プレリュードはモーリス・ラヴェルの「ボレロ」を優雅に流した。そして、85年にフルモデルチェンジされたクイント・インテグラは山下達郎の「風の回廊」で世界観を作り、軽自動車のトゥデイは岡村孝子の「はぐれそうな天使」で明るくアプローチした。

「この素晴らしき世界(What a Wonderful World)」は、サッチモの1967年のヒットソングである。作詞・作曲は音楽プロデューサーのボブ・シール(ペンネームはG・ダグラス)。当時、泥沼化するベトナム戦争を嘆き、平和への願いを込めて作られたという。その寓話的歌詞は、ジャズ界のレジェンドの老成した歌声と、不思議と調和した。


 I see skies of blue
 (青い空に)

 and clouds of white.
 (白い雲)

 The bright blessed day,
 (輝かしい祝福の日に――)

 the dark sacred night.
 (暗く神聖な夜)


CM は大評判になった。100人中5人どころか、80人くらいが耳を傾けてくれた。そして肝心のクルマは売れに売れた。それまでマツダ・ファミリアが持っていた3ドア・ハッチバックの王座を、初代シビック以来、ホンダは奪い返した。更に、その年の “日本カー・オブ・ザ・イヤー” も受賞。名実ともに、日本一のクルマとなったのである。

1987年9月、登場から丸4年を経て、ワンダーシビックは4代目の “グランドシビック” へ引き継がれる。同時に、サッチモの歌うCM もその使命を終えた―― かと思われた。

同年12月、アメリカで1本の映画が封切られる。ロビン・ウィリアムズ演ずる型破りな戦場 DJ を描いた『グッドモーニング, ベトナム』である。その劇伴が「What a Wonderful World」だった。同映画は大ヒットし、同曲も発売から20年を経てリバイバルヒットする。


 And I think to myself
 (そして僕は一人思う)

 what a wonderful world.
 (なんと素晴らしい世界なんだ!)


―― そう、名曲は時代を超えて受け継がれる。

そして今なお、僕らは様々な作品を通して「What a Wonderful World」に触れることができる。サッチモのかすれた歌声は、今日も僕らを希望の世界へ導いてくれる。

なんと素晴らしい世界なんだ。

2018.09.22
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1969年生まれ
ほのぱぱ
87年サイバースポーツCR-XのCMではメガデスが使われましたね
カバー曲とはいえメタルがCMに使われたのは驚きで嬉しかったのを覚えています
2018/09/24 10:00
0
返信
カタリベ
1967年生まれ
指南役
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