その CM は何もかもが斬新だった。欧州と思われる山間の草原にたたずむ1台のクルマ。夕暮れ時で、辺りはセピア色を帯びている。そこへ被さる「What a Wonderful World」の文字。ご存知、ルイ・アームストロングの往年の名曲のタイトルだ。哀愁を帯びた彼の歌声がこの風景に溶け込んでいる。余計なナレーションなどない。最後に、ようやくクルマの名前が明かされる。「ワンダーシビック、誕生――」。
確かに、それはワンダー(驚き)だった。ひたすらスペックを説明する従来型のクルマの CM と一線を画していた。画面に映える美しい車体は、これまで見たことのない斬新なフォルムであり、それは、曲名の “What a Wonderful World” と重なり、ダブル・ミーニングの様相を呈していた。
思えば、80年代のホンダの CM は音楽が際立っていた。1981年発売のシティはイギリスのロックグループの「マッドネス」でコミカルに攻め、82年に登場した2代目プレリュードはモーリス・ラヴェルの「ボレロ」を優雅に流した。そして、85年にフルモデルチェンジされたクイント・インテグラは山下達郎の「風の回廊」で世界観を作り、軽自動車のトゥデイは岡村孝子の「はぐれそうな天使」で明るくアプローチした。
「この素晴らしき世界(What a Wonderful World)」は、サッチモの1967年のヒットソングである。作詞・作曲は音楽プロデューサーのボブ・シール(ペンネームはG・ダグラス)。当時、泥沼化するベトナム戦争を嘆き、平和への願いを込めて作られたという。その寓話的歌詞は、ジャズ界のレジェンドの老成した歌声と、不思議と調和した。
I see skies of blue (青い空に)
and clouds of white. (白い雲)
The bright blessed day, (輝かしい祝福の日に――)
the dark sacred night. (暗く神聖な夜)
CM は大評判になった。100人中5人どころか、80人くらいが耳を傾けてくれた。そして肝心のクルマは売れに売れた。それまでマツダ・ファミリアが持っていた3ドア・ハッチバックの王座を、初代シビック以来、ホンダは奪い返した。更に、その年の “日本カー・オブ・ザ・イヤー” も受賞。名実ともに、日本一のクルマとなったのである。