今となっては批判的に用いられる「ニューアカ(ニュー・アカデミズム)」という言葉。また、セゾン文化やパルコ文化など難解な現代思想や芸術をファッションとして消費してしまうあり方は、80年代の持っていたパワーを、その評価は別としてそのまま表しているように思う。
あらゆる海外のアート受容が頂点に極まった時、それがいわゆる「オリーブ少女」たちと「渋谷系」の出現だったと僕は理解している。
僕がはじめて「元」オリーブ少女に出会ったのは、大学に入学してすぐであった。
北欧雑貨の輸入業をしていた年齢が上の彼女は、小さな学部であったから「浮いて」いた。僕は僕で本の虫で「浮いて」いたから、浮いたもの同士が仲良くなったのも必然だった。
そして彼女は、映画においてはマイナー志向の僕をたしなめ、古典的な名作を観ることを教えてくれた。また、音楽では「古い洋楽」しか聴かなかった頑固な僕にフリッパーズ・ギターの『ヘッド博士の世界塔』を貸してくれたりした。
ザ・スミスやプライマル・スクリームを愛していた僕にとって、彼らの音はまさに天啓だった。そして彼女はフリッパーズのふたりがライナーを書いているオレンジジュースのファーストも貸してくれた。
僕はライナーの後ろにある「宮子和眞のネオ・アコ通信」なるものをコピーして、一枚ずつ聴いていった。彼女が僕に施した「教育」は効果覿面だったのだ!
しかし、僕の「先生」は2年で大学を出て「故郷」のスウェーデンに帰ってしまった。
彼女は、ニューアカ的「教養」を大学で学ぼうと入学したわけだが、時代はもはや変わっていた。大学は「食っていけない」思想や芸術を教えるよりも、実学の方向に向いていた。それに幻滅したのかもしれない。
僕は今でも『ヘッド博士』に収録された『ドルフィン・ソング』の『ほんとのことが知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり』という一節を聴くたびに、彼女を思い出す。
そして『ヘッド博士』と同い年に生まれた僕には、もう寂しい秋と寒い冬しか残されていないのかなどと、ぼんやり思っている。
2016.05.02
YouTube / SALONASUNDAYS
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