「Tシャツに口紅」は、胸が締め付けられるように切なく、それでいて優しく甘い記憶を呼び起こす曲だ。
鈴木雅之がライブで歌う前に――
「1983年9月1日 この曲が流れていた当時、あなたはどこで誰と恋をしていましたか。」
と MC を入れている映像を目にしたことがあるけれど、この曲にはそういう多くの人たちの切なくて懐かしい気持ちが詰まっているんだと思う。
どうも男女の仲っていうのは、情があってもうまくいかない時があるらしい。そういう「どうしようもなさ」を描いた曲が「Tシャツに口紅」なのだ。たぶん。
21の私はまだそんな体験をしたことないのだけど、音楽というものは不思議なもので、聴覚だけで見える景色も感情も染め上げて、その世界に引き込んでしまう。私はこの曲を耳にする時、いつも映画のラストシーンを見せられているような気分になる。
夜明けだね 青から赤へ
色うつろう空 お前を抱きしめて
ぼんやりと明るくなっていく、海辺の朝焼け。新たな朝を迎えた頃には、二人はもう恋人ではなくなっている。最後の夜を過ごした二人は、どんな話をしたんだろうか。
別れるの? って 真剣に聞くなよ
でも波の音が やけに静かすぎるね
波の音に際立って彼女の言葉が響いていくのがまるで映画みたいだなと、思う。「Tシャツに口紅」はその場の「景色」「音」「感情」が移り変わっていく様子が丁寧に描かれている。男女の別れの「ワンシーン」をそのまま切り取ったというところに、私はたまらなく映画的魅力を感じるのだ。
色褪せたTシャツに口紅
泣かない君が 泣けない俺を 見つめる
鴎が驚いたように 埠頭から翔び立つ
特にサビの部分では、「泣かない君」「泣けない俺」の対比で、男女が交互にアップになるようなカメラワークを感じさせる。その緊張を解くかのように効果的に盛り込まれた、鴎の翔び立つ音と情景は、場面としてとても趣深い。
つきあって長いんだから
もうかくせないね 心に射した影
みんな夢だよ 今を生きるだけで
ほら息が切れて 明日なんか見えない
この部分は 男女の別れを描いた歌詞のとして特に秀逸だと思う。親しいからこそ伝わる違和感とか、どうにもならない先の見えなさとか、迫ってくる終わりとか、二人の間に漂う空気と感情が、息がつまるほどリアルに伝わってくるのだ。
色褪せたTシャツに口紅
黙った君が 黙った僕を 叩いた
子犬が不思議な眼をして
振り向いて見てたよ
2番のサビの歌詞は1番と似ているようで、音の描写が反転しているところが素晴らしいと思う。沈黙の後、「バシッ」という音が響き渡り、子犬はただそれを見ている。そして、1番では泣かない(泣けない)二人のそばで、鴎が翔び立った。
1番は静→動、2番は動→静といった構図が効果的に使われており、それが短い歌詞の中に映画のワンシーンのような動きを与えている。
さらに私が熱く語りたいのは、このフレーズだ。
これ以上君を不幸に
俺 できないよと ポツリと呟けば
この一言は、文学部女子的には大変にクルものがある。こういう言い方を男にされてしまうと「弱い」のだ。私だったらつい「不幸なんかじゃない!」「そんなことない!」なんてムキになって返してしまうが、
不幸の意味を 知っているの? なんて
ふと顔をあげて なじるように言ったね
と、返すのが、作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一ワールドの女というところなのだろう。私も早くそんな風になりたいものである。
さて、ここまで、スルーしてきてしまったが、改めてタイトルにもなっている「Tシャツに口紅」というフレーズについて考えたいと思う。歌詞の中にはこの言葉があるのみで、それ以外の説明はない。だがやはり、この「口紅」というのは、よその女がつけたものであると考えるのが妥当だろう。
このコラムを書くにあたって改めて考えたり、調べたりした結果、わかったことなのだけど、「Tシャツに口紅」は、アメリカの歌手コニー・フランシスが1959年に歌った「カラーに口紅(Lipstick On Your Collar)」をリスペクトして、制作されたものであるようだ。ちなみに改めて書く必要はないと思うが、ここでのカラーとは「襟」の意味である。
パーティーの途中で席を外した彼が戻ってくると襟に自分のものではないリップが付いていて… という曲なのだが、この「カラーに口紅」は大瀧詠一が小学5年生の時に聴いてアメリカンポップスに傾倒するきっかけになったと語っている一曲でもあり、影響を受けているのは間違いなさそうだ。
言われてみれば、リズムは全く異なるけれど、聴き比べてみると、サビの「Lipstick On Your Collar〜」と「Tシャツに口紅〜」の部分がなんとなく、似たような音の運びになっているような気がするし、最後のリフレインの表現にも重なる部分があると思う。あまり音楽に関して専門知識がある方ではないので、耳の肥えた皆さんは2曲を聞き比べて、どのあたりがオマージュされているのかをぜひとも教えて欲しい。
歌詞を書いているのは松本隆なので、おそらく「カラーに口紅」の世界観を大瀧と共有していたと考えられるが、原曲で「シャツの襟」についていた口紅を、「色褪せたTシャツに口紅」という表現にしたのは、二人の色褪せた関係についた口紅をイメージしたからなのだろう。「付き合って 長いんだから もう かくせないね 心にさした影」の部分の言い換えのようで、さすが松本隆と言わざるを得ない。
大瀧詠一、松本隆、ラッツ&スター。80年代という奇跡の時代に生まれたこの名曲に、私はこれからどんな思い出を重ねて生きていくのだろうか。
夜明けの海辺で、“長年付き合った彼との別れ” なんて切ないシチュエーションに憧れもするけれど、できることなら好きな人とは一緒にいたいし、彼氏のTシャツに口紅をつけられるなんていう体験は、願わくばしたくはないものである。
歌詞引用:
Tシャツに口紅 / ラッツ&スター
2018.09.01
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