8月27日

アメカジから渋カジへ。そのルーツに見える「アウトサイダー」

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photo:IMDb  

90年代に入り渋谷という街のイメージがガラッと変わったと感じたのは僕だけじゃないはずだ。それは、渋谷系という名の知的要素を下地にしたミクスチャームーブメントに他ならない。

確か91年ぐらいの出来事だったと思う。渋谷系と言えば、ピチカート・ファイヴ、フリッパーズ・ギター、ラヴ・タンバリンズ、スチャダラパーなど、その名を挙げてみても捉え方は幅広い。

つまり、ギターポップ、DJカルチャーとしてのヒップホップ、ボサノバなど様々な音楽の都会的要素をミックスさせファッションと連動した文化的な流れとなるのだが、80年代末の渋谷から考えてみるとあまりにもかけ離れた印象があった。

80年代末の渋谷と言えば、革ジャン、革パン、鉄板の入ったエンジニアブーツで武装し、頭にバンダナを巻いたチーマーと呼ばれた不良が席巻。後に彼らのスタイルを基盤に様々な解釈が入り、渋カジと呼ばれるスタイルは全国に広まった。

渋谷センター街には昼夜問わず、このような若者がたむろし、暴力的なイメージすらあった。また、この時期のセンター街を思い出してみると、渋カジのスタイルだけでなく、77年のセックス・ピストルズを彷彿とさせるガーゼシャツ、ボンテージパンツを身にまとったパンクスもいたように記憶している。センター街のどん詰まりにあったクラブ、ホットポイントではツバキハウス無きあとのロンドンナイトが毎週水曜日に催されていたからかもしれない。

90年代に入るとパンクスの他にも、ヒップホップ、スケーターなど様々なスタイルの不良がセンター街に集まり、深夜の公園通りにはカスタマイズしたアメ車や4WDが集結するようになった。その光景は、舞台を池袋に変えた小説『池袋ウエストゲートパーク』そのものだ。

とにかく、この時期の渋谷には、雑誌やTVなどでは決して紹介されない地域密着型のユースカルチャーが存在していた。そのピークは渋谷系という言葉が生まれる直前、91年の出来事である。

英国の労働者階級のユースカルチャー「テディボーイ」「ロッカーズ」「モッズ」「スキンヘッズ」と同じようにストリートから生まれたこのムーブメントは、まさに世紀末の名にふさわしく、インターネットなき時代の口コミが感度の良い不良の間で瞬く間に広がっていった最後のストリートカルチャーだったのかもしれない。

渋カジスタイルのルーツは、地元の不良少年たちが、83年に公開されたコッポラ監督の『アウトサイダー』に衝撃を受けたことから始まる。自らのコミュニティを映画の中のグループ「グリース」とダブらせて、彼らと同じようなアメカジスタイルを目指したのがきっかけだった。

リーバイス501にヘインズのTシャツやビッグマックのダンガリーシャツ。アウターとしてバドウィンのスタジアムジャンパーを羽織る。彼らは渋谷公園通り近く、アメリカンカジュアルセレクトショップの老舗「バックドロップ」を好み、揃いスタジアムジャンパーを別注で作ったりしていた。そして足元は『アウトサイダー』と同じようにジャックパーセルのバスケットシューズやアディダスのカントリーなどを好んだ。

83年と言えばDCブランドが台頭し、肩パットの入ったダブルのスーツや、チェッカーズスタイルが席巻していた時代。彼らのシンプルなアメカジスタイルは、時代の真逆をいっていたが、それは渋谷というコンクリートジャングルをタフに生き抜く都会の洗練されたイメージを強烈にアピールしていた。

渋カジはDCブランドブームのカウンターカルチャーとして80年代後半に登場したとされているが、彼らはその数年前、当たり前のように、このスタイルを好み、自分たちのものとして、『アウトサイダー』さながらの熱くリスキーな青春を送っていた。

このスタイルがよりブロウアップされ、80年代末になると、よりハードな革ジャン、革パンというスタイルに変貌していったのだ。

現在ではネットの普及に伴い、流行は瞬く間に全国に飛び火する。地域密着型のストリートカルチャーはもう出てこないのかもしれない。携帯すらなかった80年代末から90年代初頭、ポケベルを駆使し、口コミが最先端の流行の発信源だった時代。今より確かに不便だったかもしれないが、街に根差し、街と共に生き、街が自分の分身であった若者たちは、今を生きる若者よりも熱くキラキラ輝いていたのかなんて思ったりもする。

2017.07.26
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1963年生まれ
ワタナベース
ハゲドーです。流行の伝わり方が、その後のクオリティさえ左右していましたね。
2017/07/27 12:43
1
返信
カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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