1992年 3月31日

ブルース・スプリングスティーン史上初の「ニューアルバム試聴会」がロンドンで開催!

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ブルース・スプリングスティーンのアルバム「ヒューマン・タッチ」「ラッキー・タウン」発売日(米国)
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1992年に同時発売されたブルース・スプリングスティーン2枚のアルバム


1992年、私はレコード会社で洋楽部門の責任者になって3年目を迎えており(この頃、CBS・ソニーからソニーミュージック・エンタテインメントに社名が変わってます)80年代に私が担当したブルース・スプリングスティーンの現場も、ロック好きな若者に任命し任せていました。

そして、1987年のアルバム『トンネル・オブ・ラブ』から、4年半のブランクを経て、ブルースの新作が発表されたのです。それが、『ヒューマン・タッチ』と『ラッキー・タウン』という、2作品。2枚組ではなく、2枚別々のアルバムとして同時発売されたのです。前者が通算10枚目、後者が11枚目ということになります。

2枚同時発売されるという連絡が本国から入った時には、非常に驚いたのですが、アーティストが誰であれ、発売元のレコード会社やCDショップにしても、2アルバム同時の発売は非常に売りづらいものがあります。それが2枚組で高額な商品だとしても、好きなアーティストの新譜なら躊躇なく購入するコアファンですら、これには少々戸惑いを感じたはずです。



今まであり得なかった新譜試聴会開催


続けて驚く情報が入りました。アルバム試聴会の開催案内が本国から届いたのです。 ”発売前のアルバム試聴会がロンドンで行われる” と。“新譜の試聴会” と書いてしまうと、ごく普通に誰もが何処でも行っている、ありきたりのイベントと思われてしまいますが、アーティストがブルース・スプリングスティーンとなると話は全く別物なのです。今までならあり得なかったことが起きたのです!

彼に関しては、新譜がいつ発売されるとかレコーディングしているなどの情報は、噂で聞こえてくることはありますが、徹底的に箝口令(かんこうれい)が敷かれており、オフィシャルな情報は全てが決定してからでないと、こちらに伝わってくることはありません。

ブルースのクラスのレコーディングは極めて限られたメンバーで行われており、本国コロムビア・レーベルの担当A&Rですら、完パケテープが納品されて初めて状況を知る、といったくらい、音源に関してはレコーディング中から発売直前まで厳重な管理体制におかれていました。というのも、ブルースに関してはブートレグの多さがそのカリスマ性を物語っていますが、スタジオのスタッフが未発表テープをラジオ局に横流ししたこともあるし、局側も、レイティング競争でそれを高額で購入したりと、発表前の音源を巡っては、その手のトラブルが付いて回ってました。

レコード会社の手に渡っても安心できません。マスターテープを工場に運搬する際、それがスプリングスティーンのモノだと分かると、横道にそれてしまうトラックの運転手もいました。よって、工場へ送られるテープのケースには架空のアーティスト名を記入するほどで、関係者は、発売前の音源については、情報漏洩対策に異常に神経質になっていたのです。

このように、彼の新譜に関する本国での厳重なる管理体制については、こちらも何時も聴かされていたので、新譜試聴会開催の連絡をもらった時は、本当に驚きました。

新担当者を連れて会場となるロンドンのホテルへ




いよいよ新譜が発売されるという嬉しさ、これは部門の売り上げが期待できるという、ちょっと悲しい職務上のサガですが、初めて開催される試聴会にアーティストは参加するのだろうか、などエキサイティングな期待もありました。と同時になぜ今回は? と疑問をもちながら、“アルバムが2枚同時に発売される”という情報以外なにもなく、会場となるロンドンのホテルへ向かったのです。

自分のパスポート出入国記録を見ると、1992年2月4日に出国となっています。という事はおそらく2月5日の開催か? 日本でのアルバム発売は4月でしたので、なんと2ヵ月前に実施されたということです。当時はそこまで推測できなかったのですが、後に彼の自叙伝を何度も読んだこともあり、アルバムを5年近くも発表しなかったということ、そして何故、初めての試聴会が行われるに至ったのか、ある程度理解できたつもりです。

創作活動に注力できる状況ではなかったスプリングスティーン


私が現場ディレクターとして担当した、1984年発売のアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のロック史上に燦然と輝くアルバムのモンスターセールスとワールドツアーの記録的大成功をもって、ロック界の頂点に立ったスプリングスティーンでしたが、初の日本公演を終えた1985年5月、遂に35歳で結婚。

となると、次の作品の中に少しはハッピーさが見つかるのかと思っていたら、意外とその逆。1987年に発売されたアルバム『トンネル・オブ・ラブ』は、そのタイトル通りに、暗闇の中の愛と家庭、そしてファーストシングルのテーマは “猜疑心”。なんとか幸せな結婚生活を見つけ出そうと、歌詞を何度も読んでみても、残念ながらカケラすら発見できなかったのです。

予想通り、『トンネル・オブ・ラブ・ツアー』と『アムネスティ・ツアー』の最中に2人は別居。そして離婚。正確には離婚の前にバンドメンバーのコーラス、パティ・シアルファと同棲が始まっており、そして妊娠。長男誕生。1991年に正式に再婚。そして2人目の子供誕生。ジェットコースターのような数年間です。スプリングスティーンといえども、ヒトの子。まずは『ボーン・イン・ザ・U.S.A. ツアー』である種の燃え尽き症候群になっていた時に、結婚。別居。離婚。同棲。父親。再婚。これでは、さすがに創作活動に注力できる状況ではなかったことが分かります。

そしてEストリート・バンドとも別れ、西海岸での新生活がスタート。私生活での安定が、4年半しまい込んでいたクリエイティビティを大いに刺激し、新しい仲間との創作が今回の作品群をつくらせたようです。とは言え、本人もスタッフも2枚組としてひとつのアルバムとするには、余りにもそれぞれ性格が違い過ぎる、ということで、2枚を別々の作品として同時発売を選択したということになったのでした。この決定にレコード会社は口をはさむ余地はなかったはずです。

スプリングスティーン史上初めて、前代未聞のイベントがロンドンで開催




発売のスタイルが決まったとは言え、新しいヒーローが毎月のように現れてくる音楽シーンにおいて、前作の発表から5年近いブランクは、スプリングスティーンと言えども、そう易々と王座奪還させてくれるものではありません。なにせアルバム2枚の同時発売です。

5年近くのブランクと、特にこの2枚同時発売という、ヒットチャートを駆けのぼらせるにはやや足かせになりがちな発売スタイルへの抵抗を少しでもなくし、関係者の理解を深める必要を感じたはずです。レコード会社とマネージメント会社、どちらが言い出したのかは分かりませんが、そういう理由で、事前に音を聴かせることによって、チームとしての一体感をつくり発売前の不安感を取り除いていたい、という事だったのかもしれません。

特に、プロデユーサーでありマネージャーのジョン・ランダウはヒット・マーケティングに敏感であり、彼の右腕でアーティストのプレス関係を全て取り仕切っているバーバラ・カーにしても、かってはメジャーレーベルでパブリシストをやっていたキャリアがあるので、レコード会社やメディアとのコミュニケイションの重要さは充分に理解しています。そういう経緯、関係者の思惑とでもいいかえた方がいいのかもしれませんが、スプリングスティーン史上初めて、事前に新譜をレコード会社関係者に聴かせるという前代未聞のイベントがロンドンで開催されたのだと思います。

全員が「これは最高だ、売れる」というしかない忖度状態


残念ながらアーティスト本人は不在で、関係者以外はジョンとバーバラの2人。ホテルの大会議室にオーディオ装置が設置され、資料と言えるのは歌詞が印刷された用紙だけ。淡々と聴かされて終了。聴き終わると、各国感想求められるものの、ヒットシングルっぽいのが少ないのではないか、などと好き勝手言える雰囲気は全くなく、新譜が発売されること自体で満足しているわけであり、全員が「これは最高だ、売れる」というしかない忖度状態でした。

試聴が終わった直後に、歌詞カードが厳しく回収されたことで、私は一言。ジョンは初来日公演時にブルースが直面した日本人のランゲージ・バリアはよく分かっているはず。“この歌詞カードは貴重な資料だし、我々は対訳の準備も必要。取り扱いは最大に注意するから持ち帰らせてくれ” と訴えたものの願いは叶わず、無慈悲に回収。確実にツアーが行われるヨーロッパ各国は、最大級の宣伝さえやっていれば問題の大半は解決するけど、こちらは状況が全く違います。

ひたすらプロモ来日とツアーに日本公演を要請。“事前プロモーション来日で本人が来てくれれば最高に決まっているが、それはなしでもジョン・ランダウ、あなたに来てほしい。あなたがメディアに語ってくれるだけでも充分だ。3日間仕事してくれれば3日間温泉旅行つけるから本当にお願いします” とまで、本気で要請したものの、これも軽く笑って流されました。

実際、彼らにとって本国の次に重要なエリアはイギリスでありヨーロッパであることは間違いありません。歌詞カードはもらえなかったけど極めて貴重な試聴会でした。なによりも、こういう場面で日本公演以降会えなかったジョン・ランダウにあらためて日本側の希望を伝える事ができたのはいい機会でしたが、彼らにとって、やはり日本は遠い国なのかとあらためて思い知らされた切ない記憶だけが残っています。

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2024.02.02
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カタリベ
1950年生まれ
喜久野俊和
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