どんどん高まる消費志向、80年代後半はバブル時代に突入!
今思い出しても、1980年代の後半は本当に異常な時代だったと思う。
IMF(国際通貨基金)のデータを見ると、80年に1.1兆ドルだった日本のGDP(国内総生産)は90年には3.1兆ドル、つまり3倍近くまで膨れ上がった。
いったい何故そんなことが起こったのか… 日本円ベースでは約1.6倍(80年 270兆円 ⇒ 90年 424兆円)だから、残る増加原因は言うまでもなく為替である。
それは85年9月22日の「プラザ合意」に端を発している。その日、ニューヨークのプラザホテルで行われた先進5ヵ国(G5)蔵相・中央銀行総裁会議において、協調的にドル安を図ることが合意されたのだ。ちなみに、この会議に参加した当時の日本の蔵相は竹下登(DAIGOの祖父)である。
それはともかく、この日を境に日本円が急騰することになる。翌23日にはドル円レートは1ドル=235円から約20円下落し、1年後にはドルの価値はほぼ半減した。
輸入品の価格はどんどん下がり、誰でも海外旅行に行けるようになった。僕たちの消費志向はどんどん高まり、日本人の美徳であったはずの「質素倹約」はどこかに置き去られた。
そして、クリスマスイブはカップルが「ティファニーでプレゼントを買って赤坂プリンスホテル(今の東京ガーデンテラス紀尾井町)でセックスをする」日になった。
キース・ヘリングのアートワーク、真っ赤なジャケットが印象的な「クリスマス・エイド」
そんな狂乱の時代の真っ只中だった87年冬、タワーレコード渋谷店(宇田川町)の店頭には、真っ赤なジャケットが印象的なアルバム『クリスマス・エイド(A Very Special Christmas)』が並んでいた。
これはスペシャルオリンピックス(*)を支援するために15組のアーティストがボランティアで参加したチャリティ企画で、ジャケットは故キース・ヘリングのアートワークによるものだ。
しかし、その頃既にアタマがおかしくなっていた僕たちは、作品の意図やジャケットの芸術性には目もくれず、単なるドライブミュージックとして消化し、デートの際に重宝していた。
それでも、このアルバムにはボン・ジョヴィ、マドンナ、スティング、ブルース・スプリングスティーン、ブライアン・アダムスといった錚々たるアーティストが参加していたし、彼ら・彼女らもそれなりに本気でクリスマスソングを演っていたから、それだけで聴く価値があったのだ。
今回は全15曲の中から、ジョン・クーガー・メレンキャンプ、RUN-DMC、スティーヴィー・ニックスの3曲を聴いて(観て)もらいたいと思う。発売から32年経ったが、今でも十分に楽しんでもらえるはずだ。
*スペシャルオリンピックスとは
知的障害のある人たちにオリンピック競技種目に準じた様々なスポーツトレーニングとその成果の発表の場である競技会を、年間を通じ提供している国際的なスポーツ組織。68年、故ケネディ大統領の妹ユニス・シュライバーが、当時スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障害のある人たちにスポーツを通じ社会参加を応援するために設立。※2016年12月1日に掲載された記事をアップデート
2019.12.23