3月21日は、言わば「大滝詠一記念日」。アルバム『A LONG VACATION』(81年)や、『EACH TIME』(84年)、さらにはその後、おびただしい数のナイアガラ系再編集盤が、この日に発売されているからだ。 大滝詠一と言えば、個人的に、最も思い入れがある音楽家の1人だ。そもそも、音楽評論家として、ここでこういうことを書かせていただいているのも、元はと言えば、大滝詠一のせいである。 そこで、たまには、ここでの連載のコンセプト=「80年代音楽解体新書」を離れ、思い出話を書いてみようと思う。 私は一度だけ、大滝詠一本人に会っている。 それは、1997年2月7日金曜日、横浜のランドマークタワーにあるFMヨコハマにて。その日の夜、FMヨコハマで、大滝詠一とピーター・バラカンが出演する『我が心のリバプール』という特別番組が生放送でオンエアされた。 当時、FMヨコハマの、とある番組にレギュラー出演していた私は、この機会に、生・大滝詠一に何とか会えないかと画策。自分の出演するコーナーで事前盛り上げ企画を敢行。大滝詠一本人にメールも送り(新しいもの好きの氏は、当時インターネットにご執心だった)、何度かやりとりをした。 そんなこともあり、『我が心のリバプール』生放送のスタジオに潜入できたのだ。オンエアは夜だったのだが、当時勤めていた会社を、その日はまる1日有給休暇として万全の体制でランドマークタワーを訪れた。 最も思い入れがある音楽家に会うための、たった1日のお休み。それは、その後の人生を変えるかもしないア・ショート・バケイション。 大滝詠一のいつものやり方なのか、スタジオの狭いブースに入らず、広い副調整室にテーブルとマイクを置いて放送するというスタイルを取っていた。そのために部外者も潜入しやすかったということも、とてもラッキーだった。 タイトル通り、ハーマンズ・ハーミッツやゾンビーズなど、60年代のイギリスの音楽をかける番組。ハーマンズ・ハーミッツ「ヘンリー8世君(I'm Henery The Eighth I Am)」のエンディングに聴こえる「シェー」という声は、「おそ松くん」のイヤミのギャグ=「シェー!」の影響だという事実も、この番組で知った(嘘のような本当の話、あのジョン・レノンも、1966年の来日時に「シェー!」をしている写真がある)。 そして、番組のエンディングでは、大滝詠一から突然話を振られ、私の声が一言だけ電波に乗ったのだ(本文下の動画リンクでお聴きください) 楽しい時間には終わりが来る。ア・ショート・バケイションのエンディング。最後の勇気を振り絞りサインを求めた。そのために黒いペンと『A LONG VACATION』のLPを持参していた。しかし、その後の大滝詠一の言葉が、私のその後の人生を変えることとなる。ある意味。 「スージーくんとは、これから一緒に仕事をするかもしれません。私は、そういう人とは対等の関係でいたいので、サインはしません」 身体に電流が走るのが分かった。そして、いつの日か、違うかたちでお会いしたい。できれは「仕事」で、「対等の関係」で、コラボレーションしたいと思った。 しかし、それから、一度もお会いすることはなく、16年の時が経った2013年12月30日、大滝詠一は、長い長いア・ロング・バケイションに旅立った。お会いする可能性は、完全に、永遠に消えた。 それでも、それからも、音楽について書いているとき、私の頭の中にはずっと大滝詠一のあの言葉があった。そのおかげか、音楽評論家として、音楽に関する本をいくつか書いたり、テレビ番組に出演できたりと、「対等の関係」に、ほんのちょっとだけは近付けたようだ。 そして毎年、3月21日になると思い出すのは、1997年2月7日の人生を変えたア・ショート・バケイションのことである。
2018.03.21
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