9月25日

世界に挑戦した男たち、菊池武夫と矢沢永吉の伝説

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矢沢永吉のアルバム「YAZAWA」が全世界でリリースされた日
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菊池武夫と矢沢永吉、2人のビッグが世界の頂点に挑む


1981年、初夏、メンズ・ビギ・ヨーロッパを設立したファッションデザイナー、菊池武夫はパリにいた―― モードの本場パリで世界に自分のデザインを問うために。

そして、矢沢永吉は7枚目のスタジオアルバム『YAZAWA』の制作でロサンゼルスにいた―― 自身の曲をアメリカでヒットさせるために。

日本で頂点を極めた2人は、さらなる高みに登り詰めるために世界を相手に勝負に出た。当時も今もパリコレに代表されるように、フランス・パリはモードの最高峰。一方、音楽の世界ではアメリカ市場を制する者が世界を制すと言われている。奇しくも2人は同じ時期に世界の頂点に挑戦しようとしていた。

レイ・ペトリ率いる異色のクリエイティブ集団、バッファローとの交流


同年、菊池武夫はロンドンに向かう―― この頃、菊池武夫の創作意識はストリートに向いていたという。そう、プロのモデルを使うのは時代の雰囲気ではないと察知し、わざわざロンドンに赴いて素人モデルを探しに出かけている。その先見性と独創性は特筆に値する。

このとき、ロンドンにはバッファローという異色のクリエイティブ集団が頭角を現し始めていた。彼らはそれぞれ専門分野を持ち、自分の得意分野での活動を行なっていた。そのリーダーは、レイ・ペトリ。『The Face』や『i-D』等の雑誌で有名な天才スタイリストだった。

菊池武夫はレイのセンスとストリートモデルをハンティングする才に惚れ込み、メンズ・ビギの81年秋冬コレクションにおけるショーのディレクションをバッファローに依頼する。

この依頼にレイも快諾し、バッファローとロンドンでハンティングしたモデルは共に来日を果たす。もちろんショーは大成功を納め、バッファローのスタイリングはその後、様々なファッション関係者に影響を与えることとなる。まさしく “スタイリング界のマルコム・マクラーレン” と言ってもいいかもしれない。

ドゥービー・ブラザーズを筆頭に、名うてのミュージシャンとの交流


矢沢永吉は活動拠点を西海岸に移し、エレクトラ / アサイラム・レコードから9月25日に『YAZAWA』を全世界に向けて発売する。

このアルバムは、ドゥービー・ブラザーズのボビー・ラカインド、リトル・フィートのポール・バレアと共に作り上げた作品だが、その後83年2月には、ボビー・ラカインド、ジョン・マクフィーといったドゥービーメンバーのプロデュースで『YAZAWA It's Just Rock'n Roll』を海外向けにリリースしている。

ところで、あまり知られていない話だが、矢沢永吉は菊池武夫の作るメンズ・ビギを愛用していた。ビギといえば『傷だらけの天使』におけるショーケンこと萩原健一が有名だが、矢沢永吉の着こなしも見事だった。ショーに出演しても不思議ではないくらいだ。個人的には、81~82年頃の矢沢永吉が最もスタイリッシュで、写真集を出していたら良かったのに… それくらいメンズ・ビギと矢沢永吉の魅力が融合していた。

世界への挑戦、そして再び東京へ


時は流れ80年代の半ば、世界的文化の中心は日本の東京にあった。菊池武夫と矢沢永吉の2人は、世界で一番輝いている都市 “東京” に躍り出ていた。

アメリカ進出を熱望した矢沢永吉は、85年に『YOKOHAMA二十才まえ』を、86年に『東京ナイト』を日本で制作。これらをもとにして87年にアメリカに向けたアルバム『FLASH IN JAPAN』を送り出す。そして、パリコレを目指した菊池武夫は、84年にメンズ・ビギを退社しワールドに移籍。85年に自身のブランド『TAKEO KIKUCHI』を発表し、86年に西麻布に複合商業スペースの先駆け、TKビルディングをオープンさせる。

これは、向かうところ敵なしの絶頂期にあった2人が世界に挑戦し、再び東京に戻ってくる物語だ―― 菊池武夫とレイ・ペトリ&バッファロー。そして矢沢永吉とアメリカ西海岸の名うてのミュージシャン。80年代初めに異国の地で、世界の才能にも引けを取らない仕事をした。その結果、今や世界中のプロフェッショナルから一緒に仕事をしたいと言われる “マイスター” と、“ボス” であることは誰もが知るところ。

世界に向かって挑戦し、東京に戻って来た2人は、その経験を活かし “伝説” として語り継がれる存在になった。重要なのは、挑戦を実行に移すか移さないかだ。挑戦出来る環境と時間があるなら、挑戦権さえ与えられなかった者の分までやるしかない。そして、それがその後を左右することになる。

2020.04.28
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カタリベ
1969年生まれ
inassey
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