9月26日

仮面ライダーとウルトラマンが消えた!2人の特撮ヒーローが不在だった80年代

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「シン・仮面ライダー」の客層に感じた特撮ヒーローファン特有の世代間の断絶


庵野秀明監督の手による70年代特撮ヒーロー作品の復刻版ともいうべき映画「シン・仮面ライダー」がこの春公開され、ファンの話題を呼んだ。その観客にはライダーファンのみならず、エヴァからの庵野作品ファンや、ゴジラ、ウルトラマンと続いた一連の “シン” シリーズとあって注目していた層が入り混じっていたことだろう。

ただダークな雰囲気が漂う内容と暴力描写もあってR12指定となっており、とりわけ現在毎週日曜朝に放送している通称 “ニチアサ” の仮面ライダーシリーズに慣れ親しんでいた層からすれば、その内容にかなり面食らったと思う。

庵野監督がこれまで手掛けた“シン…”と名付けられた作品と同様、まさに “新解釈” で作られた “新作” の “真実” の仮面ライダーであった。

私が劇場に足を運んだ時は、観客の年齢層は確かにおそらく20〜30代と見られる庵野作品のファンやキャストに惹かれた人たちも見受けられたが、どちらかといえば年配の方々が目立った印象だ。混雑を避け遅めの時間帯を選んだこともあるが、親子連れなど子供の姿はほとんど見られなかった。

『シン・ウルトラマン』にもその傾向もあったが、やはりオールドファンがノスタルジックな視点で観る傾向が一層強まったようにも思えた。それを考える時いつもこの種のファン層の間に大きな世代間の断絶を感じてしまうことがある。本来であれば志向がもっとゆるやかに変化していっていいような気がするのだ。

世代間ギャップを生じさせた2大特撮ヒーロー不在の時代を振り返る


巨人と等身大かの違いはあれど『ウルトラマン』『仮面ライダー』といえば、昭和の時代に生まれた2大特撮ヒーローであることは万人が認めるところだろう。これらの特撮ヒーローたちは共に、テレビ視聴者の飛躍的な拡大の中で誕生し、約半世紀を経てなお一貫して子供たちに夢を与え、存在感を示し続けてきた。

今の子供たちから中高年層に至るまで幅広いファンがいて当然ともいえるが、長きにわたるシリーズの歴史の中では、必ずしも順風満帆で高い支持を集め続けてきたわけではない。人気の低下や他のやむを得ない事情で放送期間の短縮やシリーズの中断を余儀なくされてきたこともあり、それが世代間の関心や支持の温度差に影響を与えているのは明らかだ。

今改めてその黎明期からそのファン層の中心いた僕ら世代の視点で考えてみると、真っ先に思い当たるのは、この両雄が共にほぼ同じ頃、テレビから姿を消していたことがあるという事実である。

ちょうど1965年前後に生まれた僕らの世代が成長し、いわゆる子供向けのコンテンツから距離を置き始める小学校の高学年から中学生にかけて、早い子たちでは1970年代半ばから1980年代を迎えようかというその頃から、両雄はいずれも大きな節目を迎えることになる。まずは『仮面ライダー』から見ていこう。

仮面ライダー、初期の変革で得た成功と試行錯誤の歴史


『仮面ライダー』は1971年の1号ライダーの登場から1975年の『仮面ライダー・ストロンガー』までのシリーズを一区切りとして見ることが多い。

筆者の世代が小学校へ入学し、こういったものに興味が薄れ始める5〜6年生に差し掛かる頃と合致しており、これこそが自らを中心世代と考える根拠になっている。

シリーズは怪奇色を帯びた初期の演出では大きな支持を得られず、路線変更を強いられるが、2号登場から1号の復帰とシリーズが進むにつれて人気が上昇。等身大の変身ヒーローもののスタンダードを築いていった。

次シリーズの『仮面ライダーV3』では一時視聴率30%超の高い人気を獲得するが、ダブルライダーからの意志の継承というファミリー化路線での人気は間もなく限界を迎える。新たにコンセプトが異なる『仮面ライダーX(エックス)』から『仮面ライダーアマゾン』へと試行錯誤は続いたが、この時点でも視聴率は14〜15%。子供向けコンテンツながら今ならスポンサーが小躍りしそうな数値だが、当時としては好調時の半分にも満たなかったから、やがて深刻な存続の危機を迎えることになる。

一方視聴者の僕らはといえば「初期ライダーへの回帰」と言われたアマゾンの怪奇性と野性味路線という新たな試みに違和感を覚え、一連のシリーズの流れを無視したかのようなトライアルに応えることができずにファンを離れてしまった。僕らは世界観や見識が広がったことでより科学的なレベルやリアリティの追求を望んでいたのだ。

初期ファン層の志向の変化を捉えることなく、インフルエンサーとしての存在価値を見出せなかったツケは人気の低下を招き、第1期は終了する。

以降も1980年前後にはファンからの期待に応えるように空を飛ぶスカイライダーやスーパー1といったキャラクターを立ててシリーズが再開されるが、往年の高い支持を得ることなく、再びシリーズは休眠期に入る。次作は『仮面ライダーBLACK』がスタートする1987年まで再開を待つことになる。

そしてBLACK登場はシリーズ再開を願う多くのファンからの歓迎を受けたが、価値観が多様化しマスマーケットが崩壊したといわれたこの時代、長くシリーズを維持することは難しくなっていた。1989年昭和最後の『仮面ライダーBLACK RX』が終了すると、いよいよ現在に連なる “平成仮面ライダーシリーズ” がスタートする2000年までテレビシリーズとしての仮面ライダーは11年という最長の休眠期に突入するのだった。

ウルトラマン、テレビ局の意向に翻弄された円谷プロの腐心と制作意欲の後退


もう一方の雄『ウルトラマン』が登場するテレビシリーズについては、仮面ライダーよりも歴史は長く、スタートは1966年まで遡る。

開始当初から時折社会問題や風刺、経済偏重の社会政策への警鐘を示唆した内容を含む硬派な作風が見られ、大人が見てもそれなりに愉しめる内容で注目された。

その第2弾『ウルトラセブン』ではさらにその路線を推し進めたが、ハードな作風は視聴者から支持されず、制作費がかさんだこともあって一旦休止となる。後年作品としての評価が高まることになったのは再放送を重ねた成果である。

こうして1971年に『帰ってきたウルトラマン』としてシリーズは再開する。仮面ライダーシリーズ開始と重なったことは我々にとって大いなる福音であった。

なお制作するテレビ局の意向や文化は作品の内容に大きく影響する。当時からドラマ制作に力点を置いていたTBSは子供向けであっても大人の視聴にも耐えるストーリーや作品性を重視した。ホームドラマや学園ドラマが人気を博したこの時代、主人公の家族や仲間、成長といった要素が比重を増していった。それ自体は悪いことではなかったが、『ウルトラマンA(エース)』『ウルトラマンタロウ』と続いたシリーズは “ウルトラ兄弟” をフィーチャーしたものとなり、コミカルな描写や能力のスペック上昇など子供っぽさが増していった。ライダーに同調するような軟化路線は、僕らの目には対象年齢を引き下げているように映った。

背景にあるのは子供の数の著しい増加だ。1966年の丙午生まれの出生数減少の反動から、1967年から74年までの間、経済の高度成長を背景として出生率は2%を上回り続けていた。小学校のひとクラス当たりの児童数が50人を超えることも珍しくなかった時代である。ターゲット年齢の下方修正は必然の課題でもあったのだろう。

70年代のウルトラシリーズの最終となる『ウルトラマンレオ』では一転してウルトラ兄弟の枠を外し、飛び道具を持たない発展途上のウルトラマンという、急激な路線変更を施しながら1974年度をもって終了した。

僕らが “ウルトラ” ブランドを信奉していながら離反するというのは、同時期に仮面ライダーシリーズに対して抱いた感情と同種のものであった。

特撮ヒーローとしてのウルトラシリーズは、1980年『ウルトラマン80』として一時復活を果たすも制作方針を巡って円谷プロとTBSが対立してシリーズを続けることが困難となった。円谷プロも経営環境の悪化から版権ビジネスに重きを置くようになり、ウルトラマンシリーズは『ウルトラマンUSA』や『G(グレート)』などの海外版を通して引き継がれるも、テレビシリーズとしては1996年の『ウルトラマンティガ』の登場まで16年ものブランクを経ることになる。



2大特撮ヒーローの不在を埋めたスーパー戦隊シリーズと平成期の復活に思うこと


こうしてヒーロー業界は、ほぼ両雄が不在の80年代を過ごすことになるが、その穴を埋めてくれたのは1975年、ライダーに入れ替わるように登場した『秘密戦隊ゴレンジャー』に端を発する “スーパー戦隊シリーズ” や『キカイダー』など実写のメカニカルな要素とロボットアニメやウルトラシリーズの宇宙的な要素を併せ持ち1982年に登場した『宇宙刑事ギャバン』から始まる “メタルヒーローシリーズ” である。

これらは僕らが成長と共に見切りを付けた2大ヒーローたちが退場した後に、より若い世代から支持され、育て上がられたキャラクターたちだ。

僕らはその頃、幼いころに見たスポ根ものや、ヒーローが駆使して興味を持ったクルマ・バイクについて手が届きそうな年齢に差し掛かり、リアルを追求することに躍起になっていく。そして特撮ヒーローたちからは自然と遠ざかっていった。彼らとの距離感は世代間の温度差を生み、今日に至っている。

平成以降のライダーシリーズやウルトラシリーズが復活したのは、また次世代のサイクルがついに一巡してきた結果と言えるだろう。つまり昭和シリーズに親しみを覚えた僕らが親世代となり、子供たちを煽って一緒に愉しんでいる図式が成立していたのである。

子育てを経験して改めて思うのは、子供の成長は想像以上に早く移り気で、ヒーローたちと向き合う期間は決して長くはないということだ。僕らは意識のどこかで、この両雄を見切ってしまった後ろめたさを感じていたが、今やそういうこともなくなった。シリーズにして4、5作品の間に過ぎないが、そんな時期を過ごせたことで、むしろ少しでも彼らに借りを返せたような気もしている。

いずれ間もなく、近い将来にその子たちが親となる日もやってくる。彼らや、その子たちの世代との懸け橋となるのは、果たしてどんなヒーローたちだろうか? 未だその興味は尽きない。


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2023.05.26
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1965年生まれ
goo_chan
お読みいただきありがとうございます。本コラムでは映画やビデオ作品は除き、テレビシリーズのみに着目しております。海外製ウルトラマンは国内では映像ソフトに過ぎませんが、テレビシリーズとして制作されています。ですがここではあえて円谷プロがライセンスなど、提携ビジネスに乗り出した例としてご紹介いたしました。
2023/05/30 14:42
1
返信
1983年生まれ
雪文
海外製ウルトラ兄弟に言及しておきながら、ネオライダー3部作に触れていないのは正直違和感。やはりマイナー、と言うかマニアック過ぎるんだろうか……個人的には90年代の仮面ライダーと言えばこれであり、平成ガメラと並ぶ日本特撮映画の金字塔だと思っていました。
2023/05/26 15:36
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返信
カタリベ
1965年生まれ
goo_chan
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