圧倒的な説得力、雄叫びと共に繰り出すウェスタン・ラリアット
130㎏を超えるような大男のくせに、とにかく、この男のプロレスは “せわしない”。リングの上でも場外でも、とにかくめまぐるしく動きまわる。まるでジッとしていられない小僧のようだ。噂では、かなりの近眼らしく、近くにいるヤツはみんな敵に見えるらしい。殴る、蹴る、ぶちかます! というシンプルな攻撃ばかりだが、最後に雄叫びと共に繰り出すウェスタン・ラリアート(当時はこう書いた。ラリアットではない)は、エンディングに相応しい圧倒的な説得力を持っていた。
その男、スタン・ハンセンは、“まだ見ぬ強豪” という触れ込みのひとりだった(実際には、それ以前に全日マットに上がっていたようだが、その頃はあまり注目されていなかった)。
ニューヨークのMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)で、時の帝王ブルーノ・サンマルチノの首を折ったという噂は日本にも届き、ファンの間では否応無しに期待が膨らんでいた。来日したハンセンは、新日本プロレス外国人レスラーのエース格となり、その後は猪木の持つNWFヘビー級王座も奪取するなどの大活躍を見せ、プロレスブームの牽引者のひとりとなった。
当時のリングアナ、古舘伊知郎が “不沈艦” “ブレーキの壊れたダンプカー” などと命名した頃には、『ワールドプロレスリング』の視聴率は20%を超えていたそうで、“ハンセン” の名と “ラリアート” は、ファンのみならず一般の人にも広く知られるようになり、1983年には、なんとPARCOのCFやポスターに登場して大きな話題となった。当時のプロレスファンにとっては、一般社会へのプロレスの広がりは、大いに溜飲が下がる出来事だった。
その後のプロレスが大きく変化、大きかったスタン・ハンセンの影響
さて、ハンセンの影響は、その後のプロレスを大きく変化させた。スローなリズムの中、相手と組み合ってお互いの技を出し合うという、いわばプロレスの定理を変えてしまった。新日の試合は、スピード感に溢れるようになり、長州やアニマル浜口などの維新軍が結成された頃には「ハイスパート」という表現がなされた。
さて、このせわしない男が、最もせわしなく、そして、小僧に見えたのは、やはりアンドレ・ザ・ジャイアントとの1戦。1981年9月23日、田園コロシアムにおけるビッグマッチだった。近年になってDVDが発売されたので、あらためて観てみたが、やはり当時の印象は変わらない。
試合は、短時間で両者リングアウトとなったが、あまりのあっさり感にファンが激しい再試合コール。すると、そのまま再試合になってしまった。でも、クライマックスはここから。アンドレがハンセンをロープに飛ばし、あの巨大な足を振り上げ18文キックをあびせようとすると、ハンセンはその横をかいくぐり、反対側のロープに自ら飛んで反動をつけたラリアート一閃。両者は、そのまま場外へ転落。そう、あのアンドレを場外までぶっ飛ばしてしまったのだ。興奮気味のアンドレは、リングに戻って、レフリーにラリアートをかましてジ・エンド。今度はわずか4分ほどだったが、観ている者の興奮は絶頂だった。
新日時代のテーマ「リベンジャー」は、ソフィア・ローレンの映画サントラ
ハンセンのテーマ曲は、全日移籍後の『サンライズ』が有名だが、新日時代はいくつもの曲を使用していた。中でも代表的なのがこの「リベンジャー(Theme From Firepower)」。なんと、1979年に公開されたソフィア・ローレン主演のB級アクションのメインテーマで、そのいかにもなサウンドはラテン・ジャズで名を馳せたアルゼンチン出身のテナーサックス奏者、ガトー・バルビエリの曲。イントロで思い出す人も多いはず。
しかし、この人のことを書き始めると指が止まらない。ハンセンはその後、全日に移籍するが、その話は
『俺たちのスタン・ハンセン、プロレスの枠を超えて今なお耳にする気合い曲!』で!
2020.08.29